「えー、それでは。前途ある先生方の赴任を祝してぇ……かんぷぁーい!」
「かんぱーい」
「カンパイー」
かちん、かちんと響くグラスの音。
やっぱり最初はなんといっても生中らしく、女性数名を除いた全員がジョッキを突き上げていた。
……無論、俺も言うまでもなく。
ふ。
この場所に限って言うならば、俺はまったく車の心配がないからな。
さすがにオーナーの店とはいかないものの、自宅から徒歩10分圏内にあるチェーンの居酒屋。
ここならば大手を振って飲むことができる。
……それにまぁ、バスやら何やらっつー交通の便もイイしな。
駅前から割と離れているにもかかわらずここら一帯が栄えているのは、そういう理由もあるのかもしれない。
「………………」
一気にぐいっと半分ほど呷ったところで、当然無意識の内に探すのは……例の彼女。
先日赴任して来たばかりの、まさにぴっちぴち女子大生とほぼ変わらないウチの学校最年少の葉山先生だ。
「っ……」
居た。
居たよ、居た。テーブルの隅に!
……くぅっ。
相変わらず、眩しいくらいの笑顔。
弾けるってのは、まさにああいうのを言うんだと思う。
……あー。ホントかわいいな。
昨日のスーツ姿とは違い、『いかにも』というくらい華やかでかわいらしい服装。
コレはもう、間違いなく私服に違いない。
…………うん。
決して、期待を裏切らない格好。
そしてそして、ハーフアップに纏められている髪型。
緩やかにウェーブがかっている長い髪は、しっかりと肩にかかっていて。
…………うん。
嫌味じゃない。
上品で清楚。
ついでに可憐。
「………………」
つまみをパクつきながら、まじまじとあれこれ観察しすぎちゃってるのに今さら気付きはしたが……まぁいいか。
どーせ、この距離じゃバレてもいねーだろーし。
そもそも、俺がこんなこと考えてるなんて、ほかの誰が知る由もないんだから。
「……まーたヤらしい顔しちゃって」
「ッ……! な……んだよ、小枝ちゃんか」
「なんだはないでしょ? なんだ、は。……ったくー。ほかの新任の先生方には見向きもなし?」
焼き鳥に手を伸ばした途端、背後から嫌味たっぷりの声が聞こえて思わず瞳が丸くなった。
……つーか、ジョッキ片手に早速席から移動始めるなよ。
早くも飲み会女王の片鱗が見え隠れし始めていて、苦笑が浮かぶ。
「ほかの新任っつったって……今回ふたりだけじゃん」
「あーら。それでも、鷹塚君より若い子居るじゃない」
「……残念ながら、タイプじゃない」
「うわー。そういう目で見てるんだ? 職場の先生のこと。……やーらしー」
「っ……! 小枝ちゃんがそう言い出したんだろ!」
「人のせいにしないでよねー」
ああ言えばこう言う。
彼女はまさにその典型だと強く思う。
だいたい、振って来たのはそっちじゃねーか!
人の肩に腕を置いたまま思いきりよくジョッキを飲み干した彼女を見て、大きな大きなため息が漏れた。
「彼氏居るのか聞いてきてあげよっか?」
「ぶ!! なっ……馬鹿か!」
ひと口飲んだビールを吹き出しそうになり、慌てて口を押さえる。
つーか、いきなりなんてこと言い出すんだよ。
飛びすぎだろ、飛びすぎ!
「なんでそうなる!」
「えー。だって、鷹塚君知りたそうな顔してるし」
「いや、そっ……れはまぁ、そう…………って、だから!」
危うく本音を口走りそうになり、慌てて顔を背ける。
ガラにもなくというか、年甲斐もなく内心どきどきしてる自分が、ひじょーーに情けない。
……でも、ひっさしぶりなんだよな。
こんな気持ちになったの。
うわ、はずかしー。
「いーから、小枝ちゃんはあっちに混ざって来いって!」
「えー。だって、そこまでかわいい子居ないしー」
「……あのな。じょしこーせーじゃねーんだから、そういう口調はやめてくれ」
俺と年違わねークセに。
……でもま、彼女の言い分もわかるっちゃわかる。
小枝ちゃんのタイプの子、居ねーしなー。
今回の新任は、お互い不発か。
…………。
……いや、少なくとも俺は当たりだと思うけど。
「せんぷぁーい」
「うわ!」
いきなり首に絡み付いてきた、太い腕。
……ってほど太くはないな。
それでも、男は男。
こんな目に遭って喜ぶよーなオカシイ趣味はない。
「とう!!」
「ぎゃあ!」
二の腕を掴んで引き離すと同時に、身体をひねって放り投げてやる。
すると、部屋の端に積まれていた座布団へ背中から突っ込んで行った。
「うえーん。ひどいじゃないですか、先輩!」
「うるせーな。男にしがみ付かれる趣味はねーぞ」
煙草をくわえたまま花山に瞳を細め、背を向けてから火をつける。
しばらくの間ぶーぶーと文句を垂れられていたような気がしないでもないが、この際放置。
自分のしたことを、そこで反省するがいい。
「鷹塚先生」
「っ……あ、はい」
出口に近い、テーブルの角。
残念ながら、葉山先生とは真逆の位置だ。
……でもま、だからこそ大っぴらに煙草吸えるんだけど。
「なんすか?」
なるべく人の居ない方向へと煙を吐いてから、ついでに手で払ってもおく。
ウチの学校じゃ、煙草吸うの俺と校長先生と……まぁほかにも居るけど。
さすがに職員室は禁煙だから、大っぴらに吸えないんだがな。
「今日、参加してくださって嬉しいです」
「あー……それは、どうも」
この笹井先生も、吸わない人のひとり。
だが、嫌な顔ひとつせずに隣へ座った。
「…………」
が、困るのはこの右手にある吸い始めたばかりの煙草。
……まだほんのちょっとなのに。
とは思うが、1度それを見てから灰皿へひねり潰す。
さようなら、俺の大事な一服。
……うー。
さすがに、この場でさもしくまた火をつけて吸うワケにいかねーしな。
貧乏クサいところを見られるワケにいかない。
最初が肝心。
第一印象が重要。
葉山先生に好印象を植え付けるためにも、そこだけは必死でがんばらねば。
「鷹塚先生っ……!」
「っ……え」
すっかり目は彼方に居る葉山先生に向かっていたせいか、笹井先生の顔が目の前に来たのはびっくりした。
つーか、突拍子ないだろ。あまりにも。
目を丸くしたまま手を後ろについて身体を支え、できるだけ距離を作る。
だが彼女は、膝を揃えて座ったままさらにこちらへとにじり寄って来た。
……ちょ。勘弁してくれよ。
なんで、俺?
そもそもの疑問がそこ。
俺、彼女に好かれるようなことしてないのに。
気のある素振りも見せてなければ、言葉で表したことだって皆無。
……なのに、なんで。
どーして俺なんだ。
花山ならわかるぞ?
だってアイツ、彼女のことが――……というよりは、なんかもういろいろがんばってるし。
でもだな。
俺は違うだろ、俺は。
彼女よりずっとか年上で、バツイチで、そこまでがっついてなんか居ないのに。
……なのに、なんで。
俺、何かしたっけ……?
「2次会も、参加されますよねっ?」
「え?」
「カラオケ、行かないんですか?」
「……いやっ……俺は、その……えーと……」
なんで、あとずさりなのかな、俺。
つーか笹井先生、目がものすごく笑ってないんですけど。
俺……アレ?
もしかしてこの状況って、ひょっとして『獲物』認定?
「ッ……!」
「あっ!」
ごくりと喉を鳴らすと同時に、脱兎の如くその場から退く。
……立ち上がり、向かうのはただひとつ。
いつの間に復活したのか、新任の先生に息巻いてる花山のところだ。
「で、ね? 実は僕、アパート暮らしなんだけど、だから明日――……っぶわ!?」
「お前はこっち」
「うぃやはぁああ!? うわうわ、ちょっ、先輩!?」
片手で首根っこを引っつかむようにワイシャツを握り、自分が歩いて来た方向へ引きずってから放り投げてやる。
……バリケード、完成。
ああだこうだと文句を連ねている花山に心の中だけで軽く謝ったものの、顔にはばっちり笑みが浮かんだ。
「先輩! もー、何するんですか!」
「鷹塚先生!」
押し付けたように見えるかもしれない。
だが、コレはれっきとした……ええと、なんだ。
とにかく、アレだよ。
「ワリ、ちょっとトイレ行って来るわ」
困っているというよりは何か少しだけ怒りが滲んでいるように見えたふたりに対して、コレでもかってくらい満面の笑みが浮かんだ。
逃亡成功。
……言うまでもなく、内心かなーりほっとした。
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