『覚えてませんか?』
そんなふうにめちゃめちゃ自分好みのかわいい子に言われて、戸惑わないはずがない。
……うっそ。
アレ……?
もしかして俺、どっかで彼女と会ってる……のか?
「……え、っと……」
眉を寄せたまま彼女を見つめ、気付かれないように小さく喉を鳴らす。
まっすぐに見つめてくる、どこか期待が満ちているようなふたつの瞳。
内心はもう、汗だらだら。
……やべ。
もしかして俺、ヘタなナンパとかしてたのかな。
それとももしかしたら、コンパとかでやっちゃった失態を見られてたとか……。
「……ごめん、あの……。いや、申し訳ないんだけど、覚えてない……んだよな」
何を言おうか。
ホントのことを言うよりも、もしかしたら嘘でも繕ったほうがいいんじゃないか。
なんてこともわずかによぎりはしたんだが、さすがにそれはできない。
誠実が人なり。
教師という立場についているからこそというのもあってか、やっぱり適当なことだけは言えなかった。
……と同時に、やっぱり自分好みの相手だからこそ、嘘をつけなかったというのもある。
「ですよね……」
「……え……」
「すみません、急にこんなことを言ったりして。あ、でもっ! 私、鷹塚先生を試そうとしたわけじゃないですから!」
予想外だった。
眉を寄せて頭を下げてすぐ、彼女が柔らかく微笑んだから。
……いや。
それどころか、むしろ彼女が俺に謝罪しだすというまさに驚きの展開。
……えーと……。
なんかよくわからないが、やっぱり人間正直な行動に出ておくのは割と吉だったりするのかもしれない。
「……あのさ」
「はい?」
「葉山先生、俺と……どこで会った?」
『覚えてない』と言った途端、絶対がっかりされるかはたまた……罵られるか。
そのどちらかだと思っていたから、こんなふうに言われて内心ほっとしたんだろう。
そのせいか、ほんの少しだけ肩に入っていた余計な力がすっと抜けたように思う。
「学校です」
「……学校……って、今の? 東小?」
「はい」
相変わらず彼女は穏やかな笑みを浮かべてくれていたままだった。
そして、俺にくれた答え。
……なんだ、が……。
「話とかもした?」
「はい。……というか……一緒に活動、というか……」
「…………活動……」
思わず腕を組み、壁へ身体を預ける。
彼女は、学校で会ったと言う。
俺と。
……俺が……?
彼女と?
未だに信じられないというよりまったく記憶に上ってこないが、それでも彼女が言うんだから間違いないはず。
俺は覚えてない。
だけど、彼女は正確に覚えている。
さっきだってそうだ。
俺を見たとき、『鷹塚先生ですよね?』なんて疑問形で言わなかった。
彼女と初めて会ったとき、声はかけたものの花山と違って、自己紹介なんてモノはやりたくてもできなかったのに、だ。
そりゃ、誰かに俺の名前を聞いていてもおかしくはないぞ?
だが、彼女は昨日の午後少しだけ学校に来ただけで、今日は来なかった。
だからこそ、俺なんかの名前を聞いて顔と一致させる余裕なんてないと思ったのに。
……でも、実は内心めちゃめちゃ喜んではいたんだけど。
そりゃそーだろ?
自分好みのめさめさかわいい子に、ストレートで『鷹塚先生』なんて覚えてもらったんだから。
…………にしても、だ。
いったい俺は、それじゃあ彼女と学校のどこで会ったんだろう。
昨日……の話をしてるワケじゃないよな。さすがに。
恐らく、彼女の口調からして結構……いや、少なくとも大分前。
覚えてなくても仕方がないと思えるような空白の時間があるはず。
……となると、だ。
うーん。
……うー……ん。
…………。
……いったいいつの話なんだ。
「……葉山先生」
「はい」
「あのさ……ひじょーに申し訳ないんだけど……」
「……はい?」
腕組みしたまま彼女を向き、1度瞳を閉じてから口を開く。
相変わらず見せてくれているのは、優しい表情。眼差し。
……うん。
この子だったら、俺も相談に乗ってほしいし癒してもらいたい。
「それっていつごろの話?」
大変申し訳ないことだが、やっぱり幾ら考えてみようともサッパリ出て来ない。
むしろ、そんな気配すらない。
俺はこれでもそこまで会った人間のことは忘れたりしない……ほうだと思う。
ましてや、こんなかわいい子だぞ?
ひと目見て『かわいい』ってきっちりインプットされたのに、だからこそ忘れるはずがない。
……だから。
やっぱりここは、恥の上塗りに違いないんだが、正直に聞くのが一番。
ヘンに気を回しすぎて、ほかの子と間違いでもしたらそれこそ一大事だからな。
人間、正直が一番。
しかも、彼女のように人の表情からも情報を得られる子相手ならば、特に。
「あのさ。正直言うと、葉山先生みたいなかわいい子は絶対忘れないと思うんだよ」
「っえ……!」
「いや、ホント。一度会っただけじゃなくて、話までしたってなったら絶対。俺、こんなかわいい子のこと絶対忘れたりしないと思う」
「そ、そんなっ! あの……鷹塚先生、私……」
「いやいや。マジで。お世辞とかじゃないから」
……真顔で俺はいったい何を口走ってるんだろう。
なんてことに気付いたのは、顔を赤らめて困ったように笑う彼女を見ながら首を振ったあとで。
すげーな、俺。
コンパでもこんな気の利いた言葉出て来ねーぞ。
……それもまぁ、恐らくは『事実』の為せるワザ。
ホントにかわいいと思った彼女に対してだから、こんなふうに言えるんだと思う。
「で?」
「え?」
「それって、いつごろの話?」
少しだけ赤らんだ頬に手を当てている彼女の顔を覗くようにして、もう1度訊ねる。
すると、何度かまばたきを見せてからすぐ、懐かしそうに瞳を細めた。
「今から、12年前のことです」
「…………」
「…………」
「……じゅう……にねん前」
「はい」
ですから、覚えてなくて当然だと思います。
苦笑を浮かべた彼女を見たまま、やっぱり思考が止まった。
……えー。
あの。
ちょっと待っていただこうか。
「……あの、葉山先生ってさ」
「はい?」
「12年前って、何歳?」
素朴かつ、当然の疑問。
すると彼女は、表情を崩すことなく笑顔で答えた。
「10歳です」
……と。
…………。
……じゅう。
…………じゅっさい……。
……ってことは、アレだ。
小学校4年生か5年生と置き換えて間違いないんだろうか。
「ッ……10歳!? うっそ、マジで!?」
「は、はい。……えっと……3月に大学を卒業したばかりなので……」
「うわ、そっか……そうだよな。そうだよな……! うわー、すげ! 若い!!」
ぽくぽくぽくちーん。
数秒の沈黙時間を経て、当然のように声があがった。
だってほら、そりゃそーだろ!
10歳だぜ、10歳!!
若いとかってレベルじゃなくて、なんかもー……そうなの!? みたいな。
……あーあー……。
なんかこー、頭ではわかっていたんだろうけど、やっぱりいざ実際に耳にしてみるとまた……コレはコレで結構ダメージ来るな。
そうか。
10歳か。
小学生か。
……うわ、若い。
そりゃ眩しいはずだよ。
「すげー……なんか、ジェネギャップっつーか……」
「えぇ!? そ、そんなことないですよ!」
「いやいやいや。だって俺、12年前すでに社会人だったもん。つーか、ちょうど今の葉山先生と同い年――」
……はた。
そこまで呑気な顔で口にして、ようやくあることに気付いた。
12年前に会って、話どころか一緒に活動したってトコに。
――……12年前。
彼女は、10歳だった。
俺は、22歳だった。
……そう。
俺はその年初めて、学校で担任を受け持つことになったんだ。
人生初、教師経験初の大仕事となる、冬瀬市立東小学校5年2組のクラスを。
「……もしかして……」
気付いたときにはもう、さっきまでの雰囲気はまったくなくなっていた。
……そう。
気付いた、んだよ。
思い出した、と言ってもいい。
…………そりゃそうだよな。
俺が知ってるはずないよな。
こんなに若くてかわいくてぴっちぴちの女の子を。
当時はまだ、10歳。
今とは身長も髪型も、何もかもが違う相手なんだから。
「お久し振りです、鷹塚先生」
それはそれは懐かしむかのように俺に見せてくれた、とびきりの笑顔。
だがそこには、やっぱりほんの少しだけ当時の面影が残っているように思えた。
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