「……あー……疲れた」
月曜日の朝。
職員室に入るなりそんなセリフを口にしたら、花山が怪訝な顔をした。
「先輩。月曜日から疲れたとか言わないでください。なんか、ものすごくテンション下がります」
「しょーがねーだろ。ホントのことなんだから」
腰がバキバキ言う、現在。
椅子に座ると、鈍く痛む。
……腰が、じゃなくて。尻が。
「…………はー……」
腰いてぇ。
うっかりそんなセリフを廊下で吐いたら、小枝ちゃんが嘲笑しやがった。
そんなに酷使したワケ? やらしーわね、がっつき独身は。
……そんなふうに取るほうが、よっぽど俺はやらしいと思うけどな。
そりゃまぁ、男に腰が痛いとか言われたら『ご精が出ますね』って思うけど。
――……先日。
この間結婚式を挙げた友人から連絡があったので、リーチと一緒にメシを食いに行った。
つっても、近所のファミレス。
……だが、しかし。
そこで延々あっちこっちの話に飛び火し、予想以上の滞在時間。
当初は昼メシを食うだけが目的だったが、ドリンクバーで粘りながら気付くと夜になっていて……またそこでメシ食って。
どんだけファミレス占拠してんだよ、って感じだな。
しかも、そこのバイトがリーチの教え子で、途中で『先生暇なの?』なんて真顔で言われてかなり慌ててたのが、俺としては普段見れないアイツの姿だけにかなり噴いた。
……ま、俺も人のこと言えなかったけど。
遠くのテーブルで手を振られてるなと思ったら、こちらは教え子一家だったんだから。
「……あー……。もう、当分ファミレスはいい……」
「何したんですか。迷惑ですよ?」
「うるせーな。ふつーにメシ食ってデザート食って、ついでにまたメシ食っただけだ」
「そんなに満喫してどうするんですか! マンキツは漫画喫茶ですよ!?」
「…………あ、そ」
「うわぁあああん! そんな顔しなくたっていいじゃないですかぁ! もう!」
頬杖を付いたまま、ふ、と真顔になって花山を見ると、急に唇を噛み締めながら腕を顔に当てやがった。
それにしても、ファミレスで半日過ごすとは。
学生時代にもしなかったことだけに、会計してからため息が漏れた。
……ま、もちろんそのあと改めて遊び行ったけど。
ボーリングにカラオケ。
ついでに深夜のバッティングセンター。
あー、久しぶりに遊び倒した。
……でも、日曜にすることじゃない。
まぁ、ほかのヤツらも今ごろ同じような目に遭ってるだろうから、別にいいけど。
昔はコレくらい、なんてことなかったんだけどな……。
やっぱり、30を過ぎたあたりから身体的に差が出るようになった。
……切ない。
ちなみに、新婚ほやほやの友人のほうは毎日楽しく過ごしてるそうで。
相手が教職に就かなかったこともあって、それはそれは毎晩のように弄られてるんだそうだ。ヤツが。
「………………」
思わず頬杖をつきながら、机の向こう側へ意識を送る。
そこにはまだ、今、彼女の姿はない。
まだ朝なので、来るのは数時間ほど先の話。
……それでも。
先日のことがあってか、ついつい気にはなる。
まさか、あんな所で会うなんて誰が考えるよ。
「……はー……」
目を閉じてため息を漏らし、小枝ちゃんから貰った保健だよりを手に教室へ向かう。
今日の朝の学習は、漢字のプリント。
これから、昨日やった漢字のテストをやる。
まだまだ、やること多いな。
そんなことを考えながら重たい腰を上げると、途端にピキと嫌な音がした。
2時間目は、音楽。
専科なお陰で空き時間であり、貴重な仕事遂行タイム。
だが、10時少し前に職員室のドアが開いた途端、すっかり意識がそちらへ持ってかれた。
「おはようございます」
いつにも増してかわいく見えるのは、気持ちの問題かもしれない。
淡いピンク色のカットソーに、白のスカート。
そして――……胸元には、あのネックレス。
ハーフアップで纏められた髪がゆるやかに動きを見せて、思わず見つめたままになっていた。
「おはようございます」
「……おはよ」
にっこり微笑まれて、思わず勝手に口が動いた。
……は。
いや、だから。
自分から距離を取ろうと思ってんのに、すんなり打ち負けたらダメじゃねーか。
ぽやんと口を開けたまま頬杖をついて彼女を見ていたのに気付き、慌てて背を正す。
……それにしても、これまでとはまるで違う雰囲気。
一時の、俺にどう接すればいいのかと悩んでいたころの葉山の雰囲気は、微塵もない。
にっこり笑われた。
まるで、自信満々とも言わんばかりの顔で。
「………………」
ワザとらしく咳払いをし、とっとと脱出を試みる。
目の前に座られてたら、気が散るっつーか、意識がそっちにばっか行って仕方がない。
……ここは、保健室にでも入り浸るか。
どうせ今ごろは、こっそり自分だけおやつタイムとばかりにしてそうだし。
「鷹塚先生」
「っ……何?」
「あの、先日仰っていたエンカウンターについてなんですが……」
「……あー……。そんなこと言ったっけ」
葉山を遠回りするようにドアへ向かおうとした途端、背中にばっちり声をかけられてしまった。
お陰で、びくっと情けなく肩が震えた。
顔だけでそちらを見ると、葉山は身体ごとこちらに向いていて。
正面から見てしまい、思わず喉が鳴る。
胸とか、足とか、首とか……なんかそのへん、いろいろ。
どうしても目に付く箇所が多すぎて、たまらず視線を逸らす。
……って、そう簡単にできれば問題ねーんだけど。
剥がれないから、タチが悪い。
「いくつか探してみたんですけれど……どんなタイプのがいいですか?」
「……あー……そうだな。まぁ……そのへんは、おいおいでも……」
「今、お時間あります?」
「…………ある、けど」
普通の顔で何枚かのプリントを持った彼女が近づいて来て、すぐここで止まった。
だが、そちらを見れないどころか、なんとなく……なんとなく、すでにこの距離でも甘い香りがする気がして、顔ごと逸らす。
……マジか。
どんだけやべーんだよ。
我ながら、早くもキャパの狭さにげんなりする。
「じゃあ、相談室でもいいですか?」
「っ……いや。ここでいい」
今ふたりきりになったら、マズい。どう考えても。
つか、そんなかわいく俺を見上げるな。
食ってください、つってるようなモンだぞ。お前。
「………………」
言ったよな、俺。お前に、近づくなって。
……あれ? 言わなかったか?
とにもかくにも、まったく先日のことなんてなかったかのように彼女が臆面もなく近づいてきたので、逆にこっちが焦る。
「それじゃあ、少しだけ。お願いします」
「……ああ」
プリントを束ねた彼女が、にっこり笑った。
気のせいか、その笑顔がやたら嬉しそうで。
……う。かわいい。
席へ戻って本を数冊手にした彼女に再び見つめられ、顔を背けて咳払いをひとつ。
「……コーヒー持ってくるから、待ってろ」
苦し紛れに出たセリフがわずかに掠れていて、妙に情けなかった。
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