その日の放課後。
例の如く、職員室では先生方が各学級から戻ってき始めた。
かくいう俺も、そう。
だが、あまった学級通信と給食の献立を手に席へ戻ると、椅子へかけた途端ため息が漏れた。
「……あー、腰痛ぇ」
独り言。完全なる、完璧な。
だが、口に出したぶん、もちろん他人にも聞こえている。
「先輩、ダメですよ。朝から晩までそんなこと言ってたら」
「うるせーな。いいだろ別に」
「よくないです! 気になります! とっても!」
ず、と机にあったすっかり冷めてしまったコーヒーをひと口すすり、思いきり首を横に振る花山に眉を寄せる。
別に、俺の腰が痛かろうと快調だろうと、コイツには関係ないだろうに。
……まぁ、機嫌が悪いと多少影響するだろうが。
「…………」
目の前の席に葉山がいないな、とは思った。
児童は下校しているので、もうアイツの仕事も上がりのはず。
……なのに。
なんで戻って来ないんだ。
いや、別にそれはいいぞ? あいつは今相談室で仕事しているであろうとわかるから。
だが。
「………………」
向こうの列の小川先生が立ち上がってドアから出て行ったのを見て、後ろ姿をつい追ってしまう。
どこ行くんだよ。
そっちには、校長室と相談室と保健室しかねーぞ。
……と言いたい。
恐らく彼は、ほかのふたつはハナから選択肢に入れず向かって行ったに違いないから。
「…………はー」
頭痛がしてきた。
なんだ。俺に対する試練か何かなのか?
それとも、そろそろ諦めろってことなのか?
お前は関係ないんだから、って。
先にツバ付けたヤツの勝ちなんだ、って。
……いや。
人生においてそれはないぞ。
俺が断言してやる。
つーかそもそも、最初にアイツにツバ付けたのは俺だし。間違いなく。
目には見えずども、会話してる時点でそう……なんてことを言いたいワケじゃないが。
「………………」
ふらりと立ち上がり、ドアから外へ出るべく向かう。
別に、あとを追うワケじゃない。
俺は俺の用事。
……なんて言ったところで、どうせ言い訳にしか聞こえないだろうが。
「…………はー」
後ろ手でドアを閉めたら、離れた場所のドアが閉まったのが見えた。
……そこ、相談室なんすけど。
やっぱり、って思いもあるが、どっちかっつーと当たってしまったその読みが切ない。
どーすっかな。
そりゃまぁ、別に何か特別な用事があったワケじゃねーんだけど。
とはいえ、出て来てしまった以上は、すんなり戻るってワケにもいかない。
……なんとなく。
ほかの先生方が俺の動向を気にするなんてことは、一切ないだろうが。
「…………」
仕方なく、明かりが付いているもののドアが閉まってる相談室を横切り、その奥にある保健室へ。
「………………」
「………………」
ノックもせずにガラリとドアを開けた途端、あんぐりと口を開けてマカロンを食べようとしていた小枝ちゃんと目が合った。
「何食ってんだよ」
「……あのね。子どもでもノックするか『失礼します』ってちゃんと言うわよ?」
アナタ今年で幾つ?
マカロンを箱へ戻した彼女が、椅子に背を預けてからため息をついた。
悪かったな、当たり前をしなくて。
でも、年聞いちゃダメだろ。
自分と同い年なんだから。
「……まったく。急に入って来ないでくれる?」
「なんでだよ。いいだろ別に」
「よくないの!」
肩をすくめてそちらへ歩み寄り、机の上にある箱へ躊躇なく手を伸ばす。
色とりどりの、マカロン。
とりあえず最初に目に付いた、チョコレート色のそれへ。
「って」
「ちょっと。勝手に食べないでくれる?」
慌てたように姿勢を正してから、小枝ちゃんもまた躊躇なくパチンと手を叩いた。
……ち。
ひとつくらいくれても、バチは当たらないと思うぞ。
「んじゃ、こっち」
「あ! ちょっと! だから、ダメだったら!」
「いーだろ1個くらい! けちけちすんなって」
「けちけちするわよ! ああーーだからもう! ダメだったら!」
ひょい、と手を伸ばしてアーモンドチョコの箱へ。
奪取成功。
これぞ、リーチの差ってヤツの勝利だ。
「ちょっとー!! 返して馬鹿!」
「誰が馬鹿なんだよ。あー、うま」
「馬鹿じゃないの、ホントに!」
机へ腰かけながら、しっかり咀嚼。そして嚥下。
口の中に残るチョコの味で、いっぺんにストレスが中和される気分だ。
「もいっこ」
「ダメだってば! ダメダメ! 絶対あげない!」
「けち」
「うっさい!」
手を伸ばした途端、ガッと両手で箱を引っ掴まれた。
お陰で、掴み損なった指先がくっ付く。
……ち。
「じゃ、マカロンでいいよ」
「よくないでしょ、馬鹿じゃないの!」
「んじゃ、チョコ」
「どっちもダメ! あげない!」
「えー」
「えー、じゃないし。うっさい!」
ひらひらと手のひらを動かして彼女に催促するものの、代わりとばかりにパチンと音を立ててまた手を叩かれた。
……だけに留まらず、よほど頭に来たのか腰まで叩いた。
食い物ってのはこえーんだな。ホントに。
改めて、そう思う。
「っ……てぇな」
「だいたいね、教師が机に座るんじゃないの! 馬鹿!」
「へーへー。そこは悪かったよ」
「そこは、じゃなくて全部!」
ぐい、と押されるままに机から下り、小さく肩をすくめる。
それにしても、小枝ちゃんはいくつ菓子をここに持ち込んでるんだよ。
ここは茶飲み場か、つの。
教頭先生に知られたら、怒られるぞ。わかんないけど。
「……ん?」
「あら」
俺とは違い、コンコンという控えめながらもしっかりしたノックのあとで、引き戸が開いた。
反射的にそちらを向く――……と、俺より先に反応した小枝ちゃんが立ち上がる。
「あの、金谷先生。少しだけ、お時間よろしいですか?」
「はいはーい、全然オッケーよ」
ぱちっと音がするくらいキレイに目が合ったのは、葉山。
わずかに丸くなった目は、『どうして鷹塚先生がここに?』と言わんばかりだった。
「さ。どいたどいたー」
「っ……なんだよ」
「邪魔よ。泥棒が目的なら、とっとと帰りなさい」
「別に泥棒してねーじゃん」
「同じようなモンでしょ」
しっしと手で払われただけじゃなく、服を掴んでそちらへ引っ張られた。
だが、なんとなくすんなり動くって気にはなれなくて。
……まぁ、俺も頑固というよりは天邪鬼だなと思ったが。
「ちょっとー、邪魔よ。邪魔。ね? 葉山先生」
「あ、いえ。鷹塚先生には、私からお話が……」
「あら、そうなの? ……んー……。んじゃ、わかった。私が出てくわ」
「っ……な……! ちょっ! 小枝ちゃん!」
首を振った葉山に、小枝ちゃんが一瞬考え込むような仕草をしてから、にやりと俺を見た。
なんだその、人の悪そうな顔。
思いきり性格が表れてるぞ。
てか、その前に。
俺に、葉山が用事ってのはなんだ。
ものすごく気になるというか、聞こえた途端耳を疑ったが。
「うるさいわねー。てか、職員室帰りなさいよ」
「なんでだよ! 俺と小枝ちゃんの仲だろ!」
「どんな仲よ。犬猿の仲ってヤツならうなずけるけど」
「……っちょ、マジで! マジ勘弁!!」
俺に、葉山が用事。
しかも、小枝ちゃんは出て行く。
イコール……ふたりきり。
しかも、密室で。
「っ……!」
それは勘弁。
せっかく今の今まで逃れてきたのに、ココに来ていきなりそんなことを言われても困るワケで。
つか、葉山が俺に話ってなんだ?
何がある?
急に頭があれこれ回転し始めるが、当然答えが出てくるはずもなく。
「そいじゃ、お先にー」
「っ……小枝ちゃん!!」
「ばっははーい」
葉山の隣に並んだ彼女が、ひらひらと手を振ってからドアを閉めてしまった。
廊下の向こうで行われている、やり取り。
……と思いきや、葉山も一緒に相談室のほうへ姿を消した。
「………………」
……あれ?
なんだよ。そーゆーこと?
なら、この間に俺逃げれんじゃん。
なんてことを考え、ドアへ近づく。
「っ……」
「……あ」
途端、ドア越しに目が合った。
……もちろん、相談室から戻ってきたらしい……葉山その人と。
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