「瑞穂ちゃん、じゃあ……悪いけど、お願いね」
「大丈夫です」
 来るときも乗せてもらった、黒エボ。
 後部座席へ仲良くふたり揃って乗り込んでから、小枝ちゃんが少しだけ酔った口調でお願いした。
 いつもと雰囲気の異なる喋りかた。
 ……果たしてそれに、本人は気づいているのか。
「…………」
 運転席を見ると、短いスカートから伸びる足が丁寧にクラッチワークをこなしていた。
 相変わらず、見た目からは想像もできない車をよくもまぁ上手に扱うモンだな。
 エボのクラッチほど、バネが強くて重たいモンはない。
 俺だって最初踏んだときは『うわ』と思ったほどだから、彼女にしてみれば相当だっただろうに。
 ……それとも、最初がこの車だったのか?
 だとしたら、これ以外は知らないからクラッチはこういうモンだと思ってるかもしれない。
 そしたら、俺のシルビア乗ったらビビるだろうな。
 元々硬くないクラッチが、俺のせいで相当柔らかくもなってるだろうし。
「おいしかったですね」
「ん? あぁ、そうだな。久しぶりにお好み焼きとか食った」
「私もです」
 後部座席のふたりは、ずっと小声で喋っている。
 ときおり聞こえる小枝ちゃんの笑い声は、やっぱりいつもとはまるで違って。
 明らかに、彼氏の前に居る女でしかない。
 ……あーゆー声も出るんだな。
 そんな、妙なところに感心する。
 だから恐らく、葉山が他愛ない話を切り出したのは、ふたりへの配慮なんだろう。
 黙っていれば、まるで後ろの会話を聞いているかのようになる。
 そんなつもりなくても形としてはそうなってしまうから、だったら……という気の遣い方か。
 相変わらず、いつもそーゆーところをすぐ気づくよな。
 まぁ、職業柄のモンだと言えば確かにそうなのかもしれないが。
「んー……あ、そこでいいわ」
「あ、はい」
 国道と県道のぶつかったところを左折して、すぐの路地を右折。
 ゆっくりと進むと、4階建てのマンションの前で小枝ちゃんが身を乗り出した。
「ありがとうね」
「ありがとうございます」
「いえ、とんでもないです。こちらこそ、ありがとうございました」
 ハザードを焚いて停車したところで、小枝ちゃんと小川先生が揃って下りた。
 ……あ?
 小川先生、住んでるのここじゃねーよな。
 ついでに言えば、酒も飲んでるよな。
 てことはイコール、運転はできない。
「…………」
「じゃ、鷹塚君もちゃんと送ってもらいなさいね」
「もちろん。明日も仕事だしな」
「……何?」
「別に」
 平日からよくやるよ。
 葉山が助手席の窓も開けてくれてしまったので、仕方なく腕を曲げて出し、いつものように指先でボディを撫でる。
 いつものクセ。
 今日は助手席側だが、普段は片手が空くとついやってしまう。
「……おやすみ、つったらいいか?」
「あら。まともなあいさつ知ってるのね」
「あのな。……彼氏の前でケンカ売るなよ」
 堂々と。
 ……ま、小枝ちゃんらしいっちゃらしいけど。
 彼女は、待ってるじゃなく自ら取りに行くタイプだから。
 …………俺と同じか。
 あー、そうだよ。
 彼女は俺と同じ匂いがするから、一緒に居ても心穏やかにならないんだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
「では、また」
「お疲れした」
 ぺこりと丁寧に頭を下げた小川先生にならい、小さく会釈。
 ぶんぶんと手を振って満面の笑みの小枝ちゃんには、目もくれず。
 あー、はいはい。わーったって。
 邪魔者はとっとと帰るっつの。
 つか、その態度は俺にはまぁよしとしても、葉山にすんな。
 気を利かせてくれたのはコイツなのに、随分な扱いだと思うぞ。
「じゃあ、次はご自宅ですね」
「悪いな」
「いえ、大丈夫です」
 ハザードを2度点滅させてから徐々にスピードを上げ、来た道を戻る。
 次は俺の家、か。
 むしろ、俺の家のほうが回り方によっては小枝ちゃんの家よりも近いんだが、それをわかった上であえてこういうルートを取ってるんだろうか。
 もしそうだとしたら、無意識か意識的かはわからないが、多少なりとも望んでくれてると捉えていいんだよな?
 ……手を出されるの覚悟、か。
 はたまた俺とならふたりきりでも構わない、か。
 まぁ、どちらにしろ俺にとっては好都合。
 ここからは、完璧なふたりきりの時間なんだから。
「…………」
 邪魔者は居ない。
 口を挟むヤツも、出そうとする手を横から阻まれることもない。
 ……俺にとっては、この上ない時間だな。
 県道を左折して流れに乗ったのを見ながらシートにもたれると、自然と口元が緩んだ。


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