「晴れてりゃ、もっといい眺めなんだけどな」
西湘バイパスを通ってから、熱海ビーチラインまで。
もうずっと海沿いを走っているが、いつものようなキラキラした海面ではなく、どっしりと重たい水銀のような色の海が広がっている。
海はどうして青いか。
小さいころは、空が映っているからだと思っていた。
出身は静岡。
だが、山側の人間なので幼いころはそこまで海に親しんでいなかった。
そのせいか、海には未だ惹かれる。
ドライブでも……と車を出せば、東名も好きだが山よりは海を選ぶ。
こんなふうに、海に最も近い道を。
「……初島、でしたっけ」
「だな。デカいホテルがある」
ここから左手に見える島。
定期船で30分弱といったところか。
「昔、あそこに泊まり行ったことあんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。今はもう退職された校長先生がな、ホテルの会員権持ってて」
もうずいぶんと前の話。
だが、今でもその先生とは親しくさせてもらっている。
というか、俺を構ってくれてると言ったほうが正しい。
「……海、きれいでしょうね」
「そうだな」
釣りを好む人間は、島で気の向くまま釣りに没頭している姿を見かけた。
俺は正直そこまで釣りをしたいという人間ではないので、島では……何してたっけな。
なんか、夜通し飲んでた記憶しかない。
すげーホテルで、散々。
メシもうまかったな。
「……熱海か」
ビーチラインも終点。
左手には、一面熱海サンビーチが広がっている。
大きな広い砂浜。
1年を通して、この浜辺では沢山の花火が打ち上げられる。
俺も、学生のときはよく来たモンだ。
独特の地形のせいか、すげー迫力あるんだよな。
身体に響く、音。
玉数も多いし、派手で見ごたえがある。
……ここ数年どころか、就職してからは来てないな。そういえば。
もう――……10年以上か。
「……少し歩くか」
「あ、はい」
ぐるりとサンビーチの通りをゆっくり進んでから、親水公園の駐車場に停め、外に出る。
鬱陶しいような空と、むっとする暑さ。
じめっとした空気は好きじゃない。
ただ、この時期の浜辺という環境を考えれば仕方ないかもしれないが。
「……キレイになったモンだな」
俺が学生だったときは、親水公園もこんなにキレイには整備されていなかった。
いつの間にか、ヨットハーバーもキレイになってるし。
つーか、広くなったな。
こうして自分の足で歩くと、時の流れを実感する。
「……わ……」
駐車場から階段を上がり、親水公園からサンビーチへ。
さすがにまだ時期外れだが、それでも浜辺で遊んでいたりサーフィンをしている人々がいる。
……最近、サーフィンもご無沙汰だな。
つーか、こうして遠出したのも久しぶりな感じだ。
「っ……」
サンビーチへのコンクリートでできた歩道を歩きながら、階段をゆっくり下りる。
そのとき、目の前を歩いていた葉山の髪が風になびいた。
風に弄られ、片手で押さえながら整える。
その仕草は、昔にはなかったモノ。
……伸びたな、髪。
もちろん、背も。
昔の面影こそあるが、顔だって違う。
大人っぽくなったというよりは、もう十分立派な大人だ。
「……砂浜、久しぶりです」
少し前を歩いていた葉山が、俺の視線に気付いてか振り返った。
楽しそうな顔してんな、とは思った。確かに。
だが、別にそれで見ていたワケじゃない。
違う目で見ていた自分に、小さくため息が漏れる。
「……ん?」
俺とは違う、パンプスの足跡。
ヒールの部分が小さな穴となり、そこを踏むように後ろを歩くと、俺を待つかのように足を止めていた葉山がまた小さく笑った。
「鷹塚先生と居られるなんて、なんだか不思議です」
「そうか?」
「はい。……憧れの人、ですから」
隣に並んで見下ろすと、まるで言葉を噛み締めるかのように呟かれ、思わず喉が鳴る。
……憧れ、か。
俺は葉山にとってどんな存在だったんだ。
完璧な人間にでも映っていたんだろうか。
今から、もう10年以上前の話。
思い出の中で俺の姿が美化されていることは間違いないが、恐らくそこに彼女のプラスの感情が働いて、なお“ステキなもの”になっているに違いない。
修正もかなりされてるんだろうな。
あった失敗も、なかったことになっているかもしれない。
……ありがたい、と思えばいいのに。
それでも、俺にとって彼女の思い出に生きている過去の俺自身は、正直1番のネックでもある。
この、今の俺と彼女にとっては。
「……ここって、花火とかもあるんですよね?」
「ああ。海上花火大会な。地形がイイらしいぞ。スタジアムみてーに迫力があるのは、その影響らしい」
目の前に広がる、広い海。
音を立てて砂浜に打ち上げてくる波は、砂を巻き込んでいて灰色。
こんな天気のせいか、若干荒い。
ここの花火、見たことあるか?
すげぇ迫力あって、キレイなんだぜ。
どうせなら、今年。もうじきある夏の花火、一緒に見に来るか?
浜で見てるとな、バラバラ雨みてーに破片が降り注いで来て、それが結構笑えるんだよ。
怪我するほどじゃない。
ほら、水族館でイルカに水かけられるようなモン。
火薬臭くて、腹まで音が響いて。
絶対楽しいし、ここの花火見たらほか見れなくなるかもしんねーぞ。
ソレくらい、迫力ある。
「…………」
少し前だったら、花火見にこようぜなんて誘ってたに違いない。
なんの気なしに。深くなんてまったく考えず。
ただ、葉山を楽しませたいがために。
……そして、そんな彼女と一緒に笑いたい、自分のために。
だが、今の俺にはそれができない。
「……あ」
並んだまま海を眺めていたら、葉山が不意に空を見上げた。
手のひらを上に向け、仰ぐようにする。
「雨……」
「……降って来たな」
この時期、晴れていても急に空が曇って雨が降り始めるなんてことも多い。
だから、なおさら。
朝からずっと重たい色の空が広がっていたんだから、急に天気が崩れたとしても何も不思議はない。
「戻るか」
「はい」
サンビーチのほぼ真ん中あたり。
そこから駐車場へときびすを返し、歩き始める。
――……だが、予想以上の速さで雨粒が大きくなった。
「っ……!」
最近の雨は、いつだってそうだ。
昔は、しとしとならばずっとそうだったのに、今はまるでスコールのような激しい雨が降り始める。
人を、追い立てるかのように。
かと思えば、不意に弱まって小雨にもなり――……そしてまた、激しい雨にも。
それでも、雨が上がって日が差すと同時に虹が現れるのはいつだって同じ。
季節を問わず、見えるときには見えるモノ。
ただ……今はまだ俺の前には出そうにない。
コイツの笑顔と同じで。
「っ……あ……!」
「こっちだ」
バラバラと音を立てて降ってきた雨の中、彼女の手首を掴んでそばにあった階段を駆け上がる。
ちょうど、サンビーチの真ん中あたりにある建物。
トイレとはいえ、十分な広さの軒下があるから、雨よけにはもってこい。
「……すごいな」
ひと息ついてから振り返ると、景色が白くなっていた。
それだけじゃない。
景色と同じく、大きすぎる雨粒が容赦なく降り注ぎ、激しく音を立てている。
海面も、もちろんそれは同じ。
犬の散歩をしていたヤツも、サーファーも、みんな慌てて屋根を求めて引き上げて行った。
雨に気付いたとはいえ、俺たちも間一髪とは言えない。
互いに、6割は濡れている。
「……平気か?」
「大丈夫、です」
濡れた髪をかき上げ、葉山に向き直る。
すると、うなずきながらハンドタオルを取り出して、こちらに差し出した。
「すごい雨でしたね」
「……俺は平気だ」
「でも……」
「人の心配より、自分の心配だろ」
「っ……」
水が頬を伝う。
それは彼女とて同じ。
……なのに、なんで俺なんだよ。
どうしてまず、自分を気遣わないんだ。
眉を寄せて手を取り、そのまま彼女の頬へ当てる。
「風邪でも引いたらどーすんだ」
「でもそれはっ……! 鷹塚先生も同じです」
「俺は平気だって」
「……でも……っ」
触れた手が、冷たかった。
よく見れば、髪も肩もしっかり濡れていて。
薄っすらと肌が透けて見える。
「……風邪引くだろ」
思わず眉を寄せて彼女から手を離し、改めて景色を見る。
雨足はまだ弱まらない。
大粒の雨が道に落ちて、砂交じりの水を跳ね上げている。
それでも、先ほどよりは若干弱まったように見えなくもない。
……車に戻るなら今か。
それとも、まだ待ったほうがいいか。
だが、たとえ車に戻ったとしても、ここから家まではかなりある。
その間に身体が冷えたら、意味がない。
「…………っ……」
ふ、と視線を海ではなく山側へ向けたとき。
道を挟んだ向こう側に、幾つもホテルの文字が見えた。
幸い、ここは温泉街。
探すまでもなく、休める場所は幾らでもある――……が。
中でも、視線が止まったのは、一般的な文字じゃなかった。
明らかに周りとは違う、新しい建物。
休憩の文字がある、場所。
「少し走るぞ」
「え、あ……はいっ」
うなずいたのを視界の端で捉え、手を掴んでそちらへと駆け出す。
選択を誤ったといえばそうかもしれない。
だが、正解といえばそうで。
雨のせいか人通りのほとんどない歩道へ下りたあとは、彼女を振り返らず止まることなく駆けていた。
|