「……はぁ」
自動ドアをふたつくぐった先にある、幾つものパネルが並ぶ場所。
自動音声が流れてほかに人が居ないという時点で、明らかに普通のホテルとは違う。
……どこも作りは一緒なんだな。
まだ新しいらしく『新規オープン』と書かれたビラが貼られているエントランスで、ふとそんなことを思った。
「…………」
葉山の手は掴んだまま。
もしかしたら、ここがどういう場所か彼女は知らないかもしれない。
それでも、別に構わなかった。
空いている部屋番号を押し、印字された紙を持ってエレベーターへ。
その間も、葉山は口を開くことなく。
俺も同じように何も言わず、口を開けたエレベーターへ乗り込んだ。
「…………」
「…………」
狭いエレベーターの中にも、大小さまざまなビラが何枚か貼られている。
キャンペーンだとか、なんだとか。
ただ、その内の1枚に書いてあった『全室温泉付き』の文字に、内心『お』とは思った。
小さく鳴って停まったエレベーターから降り、ぐるりと左向きに通路を巡る。
と、ちょうど目の前にある部屋のドアの上にある番号が点滅していた。
躊躇することなくドアノブを掴み、回して中へ入る。
明るい壁紙の、部屋。
普通のホテルとほとんど違わない部屋で、内心ほっとする。
……あまりにも奇抜だったら、引くよな。さすがに。
場所が場所だけに仕方ないとは思ったが、こういう造りの部屋だったことに安堵した。
「…………はぁ」
濡れているせいか、空調が入っていないにも関わらず暖かく感じる。
靴を脱いでスリッパに履き替え、内ドアを通って部屋の奥へ。
ソファと、デカい液晶テレビに冷蔵庫。
普通のホテルにもある普通のモノが目に付く一方で、いわゆる大人のおもちゃと称されるモノの販売機も置かれていて、見た目は普通でもやっぱりそうだよななんて妙なところを納得する。
まぁ、それを言ったら、ひとつしかないデカいベッドも普通じゃないかもしれないけどな。
色とか。
どーなんだ、その濃いピンクのベッドカバーは。
「風呂。入って来ていいぞ」
「え?」
「その間に乾くだろ。服も」
腕時計を外してローテーブルに置き、ついでにジーパンのポケットから携帯と財布、そして鍵を取り出す。
所在なさげな顔をしている葉山を残して脱衣所らしき場所に向かって……当たり。
脱衣カゴの中には、バスタオルと一緒に女物の浴衣と甚平が1セットで入っていた。
……それにしても、浴衣も甚平も普通のみてーだな。
いわゆる、一般的な旅館やホテルに置かれている地味なヤツではなく、祭りに着て行っても違和感がないようなモノ。
……ヘンなところ、凝ってんな。
まぁ、いいんだけど。
「濡れたままでいたら、風邪引く」
「あ、でもっ。それは鷹塚先生も一緒で……」
「俺は平気だって。だから」
脱衣所まで来た葉山に声をかけると、眉を寄せて首を横に振った。
だが、今まで彼女に触れていたからこそわかる、冷え。
彼女をこれ以上冷やすわけにいかない。
俺とは、丈夫さが違う。
「っ……あ……!」
「いいから。あったまってこい」
小さくため息をついてから彼女の腕を取り、入れ違いに脱衣所へ引き込む。
そのままドアを閉め、外から声をかけると、ほどなくして小さく返事が聞こえたような気がした。
ようやくため息が漏れ、身体から力が抜ける。
じっとりと肌に張り付いていたTシャツを脱いで放り――……仕方なく拾ってハンガーへ。
そのまま脱いだジーパンをソファへ掛けてから、甚平に着替える。
1時間もありゃ、それなりに乾くだろ。
多少湿ってたとしても、着れれば問題ない。
「…………」
ソファに座ってテレビを付けると、いきなりAVが流れた。
無反応でチャンネルを変え、バラエティへ。
……それにしても、俺が甚平着てるとやっぱハマりすぎだよな。
ガラの悪いにーちゃんみてーだ。
こんな姿を見て、誰が教師だと思うか。
いろいろクレームがつきそうだから、個人的に祭りへ行くことはあっても絶対にこんな格好はしない。
大抵男だからな、そういう場所でツルむの。
隣に浴衣姿のかわいい子でもいれば、見方が違ってくるだろうけど。
「…………はー……」
ずるずると姿勢を崩してソファにもたれ、頭をもたげてテレビを見る。
……見てるようで見てねーけどな。
ふ、と目を閉じると水の音が遠くから聞こえて来た。
ホテル、ね。
なんでここにしたんだ。俺は。
ほかにも幾つかマトモなホテルがあったにもかかわらず、選んだのはラブホ。
まるで試してるみてーだな。
葉山と――……俺自身を。
「…………ん……」
もしかしたら、少しうとうとしてたのかもしれない。
聞こえた物音で目を開けると、脱衣所から浴衣姿の葉山が出て来たところだった。
ぼんやりする頭を起こすべく額に手を当てて姿勢を正すと、シャンプーの匂いが鼻についた。
「お先です」
「……ああ」
答えた声が掠れていて、ああやっぱり寝てたんだなと実感した。
いつもとは違い、ハーフアップではなくてポニーテールのように高い位置で髪を纏めた彼女が着ている、黒地に鮮やかな花が描かれた浴衣。
雰囲気ががらりと変わり、半分寝ぼけていた頭へ急速に血が巡り始める。
ただ、普通の浴衣じゃない場所がひとつ。
硬そうな帯と違って、ふわふわした……それこそ、小さな子が浴衣を着るときに締める帯ってところか。
「温泉なんですね。すごく肌がしっとりして、気持ちよかったです」
「……そっか」
「鷹塚先生も、あたたまってくださいね。……風邪引いちゃいます」
俺の隣へ腰かけた彼女が、心配そうに顔を覗き込んだ。
いつもとは違う香りがふわりと漂い、頭をソファの縁へもたげたままそちらを見ると、まず形いい唇へ視線が向かった。
「……なぁ、葉山」
「はい?」
「なんで素直について来たんだ?」
「……え……?」
「ここ。どういう場所か知ってるか?」
そのままの格好で訊ねると、一瞬視線を外してから小さくうなずいた。
少しだけ表情が強張り、緊張しているのかわずかに唇を噛む。
「……知ってます」
「来たことは?」
「……ない、ですけれど……」
「なら、どうして来た?」
「っ……それは……」
視線を外し、困ったような顔を見せた彼女から、こちらも視線を外す。
「俺なんかと一緒に入るな」
呟いた言葉こそが、紛れもない本心。
仕方なかったとはいえ、ふたりきりの密室どころかソレがメインの場所。
連れ込んだ、というほうが正しい。
最初から、ここを目指して自分は足を向けたんだから。
「……鷹塚先生だから、です」
「…………俺?」
「はい。一緒に居るのが、鷹塚先生だから……私……」
膝に置かれた両手を、きゅ、と葉山が握り締めた。
1度落ちた視線。
その目元を見たまま、静かに続ける。
「……知ってるか?」
「え?」
「そういうセリフ、簡単に男に吐くモンじゃねーってこと」
「っ……」
簡単に手を伸ばして顎を捉え、顔を近づける。
息遣いがわかる。
唇が目の前で結ばれ、小さくその喉が動く。
何もかも、まさに手に取るが如くわかる距離。
「だいたい、お前は俺をハナから信じすぎだ。あんまり信用するな。男だぞ? 独身の。欲求不満とか考えねーのか?」
「……そんな――」
「鷹塚先生に限って、か? ンなモン、相手が子どもじゃなけりゃ関係ねーぞ。……お前の目の前に居るのは、ただの男なんだから」
「っ……」
葉山が言いそうなことを先に告げると、瞳を丸くして小さく唇を開いた。
コイツはいつだって、『俺だから』と言う。
特別扱いする。
だが、何よりもそれが間違い。大間違いもいいトコ。
俺はもう、先生じゃない。
幼いころの“葉山瑞穂”の先生であって、成人した今のコイツの先生なんかじゃない。
……ただの、男に成り下がったんだ。もう。
頭の中だけじゃなく、実際に手を出したんだから。
「言ったろ? 次はねぇって」
近づくな、と警告した。
なのにコイツは平然とした顔で入ってきた。俺のテリトリーに、躊躇せず。
むしろ、自らそれを歓迎だとも言わんばかりの態度で。
……だから、手を出した。
いや――……出てしまった。
自身を抑えきれず、咄嗟の強い衝動に負けて。
「……キスしたことあったか?」
「…………なかった、です……」
「なかった、か」
「…………」
視線を逸らしてぽつりと呟くと、なんとも言えない感じが身体に広がった。
つい、ため息が漏れてしまいそうになる。
俺にとって、葉山が初めてだったことは沢山あった。
だが、もしかしたら葉山にとってもそれは同じなのかもしれない。
嫁になりたいと言ったのも、俺が初めて。
そして――……キスも、俺だとしたら。
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