ずっと、俺を好きでいてくれた。
 誰よりも慕ってくれた。
 強くて、カッコよくて、憧れで……と笑い。
 そばにいると、楽しいとも言ってくれた。
 ……お前の中の俺は、なんでもできるスーパーマンだろ?
 でも、違う。俺はそんなんじゃない。
 誠実じゃない。真面目じゃない。
 ズルくて、下心丸出し。
 もっとどうしようもなくて、自分の欲求には正直すぎる、汚いヤツ。
「……お前の中にある昔の俺と、違う」
 今の俺は、お前にどう映ってるんだ。
 昔と同じはずがない。
 イコールで結べるワケがない。
 今はもう、彼女は立派な大人で。
 初めて俺と会ってから、もう12年経ってるんだから。
「……お前の中の俺は、ヒーローかもしれない。でも、違う。ズルいんだよ、俺は。迷ってばかりだし、何も強くなんてない」
 完璧になんて、何ひとつこなせてない。
 何もかも、中途半端。
 必死に足掻いてるだけ。
「お前の中にいる俺は、こんなことしないようなヤツなんだろ?」
「っ……」
「ヒーローで、完璧超人みてーなモンなんだろ?」
 身体の下にいる彼女を見つめると、ただ静かに見つめ返された。
 頬にはらりとあるひと房の髪を、撫で付けるように指先で耳へかけてやる。
 ……大事な、教え子。
 そいつに、手を出した。
 …………最低だ。
 コイツの中にある大事な部分を、容赦なく傷つけた。
「お前たちに見せていた姿は、一部。大人の俺じゃない。担任としての顔。ただ、カッコつけてただけだ」
 当時は、必死だった。
 どうすればいいか、必死に考えて毎日がんばってた。
 何もできないのに、できるフリして。
 やれないのに、やれるフリして。
 虚勢張ってただけ。
 内心は、いつ見破られるかと不安でたまらなかった。
「弱い部分見せないように考えて、計算して、毎日繕ってただけ。ヘマしないように。カッコ悪くならないように……必死だった」
 新卒でも、先生は先生。
 30数人の児童にとって、俺は先生だった。
 何も教えてやれなくても、何ひとつ完璧にできなくても、それでもアイツらは俺を責めたりしなかった。
 認めてくれて、受け入れてくれて、許してくれて。
 子どもたちのほうが、よっぽど大人だった。
「……今の俺はカッコ悪いだろ? 富士山は遠くから見るのがキレイだってのと一緒で、俺も眺めてるだけが1番いいぞ。近いとダメだ。……ぼろが全部見える」
「そんなこと……っ……そんなことないです! 鷹塚先生は、どんなときだって……いつだって、私たちにとって1番だったんです。どの先生よりも優れてて、私たちにとってずっとずっと憧れで……っ……それは、今でも変わってません!」
 吐き捨てるように呟いた言葉を、葉山が首を横に振って否定した。
 つらそうに、眉を寄せて。
 ……お前は優しいな。
 優しすぎる。
 今、俺にあんな目に遭わされたクセに、まだ肩を持ってくれるとはな。
 当時の俺は、お前にいったい何をしたんだ。
 まるで、解けることのない魔法でも施したみたいに完璧だな。
「……そんなんじゃねぇよ。ただの男なんだ。お前を見て、ただ……抱きたい、と思ってるだけの」
「っ……でも……!」
「ヤることしか考えてなかったんだぞ、俺は。頭の中で、何回お前をヤったかわかんねぇよ」
 みっともなく、欲情してるのが俺。
 お前の中の俺は絶対にしないようなことばかりするのが、現実の俺だ。
「……最低だろ? でも、男なんだよ。しょうがねぇんだよ。キレイじゃないんだ。カッコよくねぇんだ。本能剥き出しの俺は、お前の想像の姿とは正反対だろ?」
 昔、子どもだったお前に接していた俺は、どんなだった?
 今、自分のクラスの子どもたちに接している俺は、どんななんだ?
 家にひとりでいるときの俺は、どうしようもないほど情けなくて。
 なのに、子どもを前にすると『なんとかする』が口グセに変わって。
 ……どんだけ体裁繕うんだよ。
 差がありすぎて、ヘドが出る。
「いつだって笑ってて、明るくて、楽しくて、面白くて。……それがどうだ? 怖いだろ? 怖かっただろ? 今。無理矢理キスされて、触られて」
「…………」
「……それが嫌なんだよ。お前の中の俺を壊すのは、嫌なんだ」
 せっかく、これまで保てていたのに。
 ずっと、嘘でも信じさせていられたのに。
「壊れた時点で、お前は俺を拒否する。怖がる。……嫌いになる。それが、怖いんだ」
 ずっと好きでいてくれた。
 俺を想ってくれていた。
 昔の姿を、ずっとずっと、彼女の中で成長させてくれた。
 美化されて、なかったことさえあることになって。
 なんでもできる完璧な大人だと、認識してくれていた。
「……俺は、お前の理想なんかじゃない。お前の理想の真逆。それが、実際の俺だ」
 お前は何も知らない。
 俺という人間の、汚い部分を見ていないから。
 フィルターかけて、見ないようにしてくれていたから。
 ……でも、もう無理なんだ。
 現実は違って。
 俺は何もできなくて。
 何も持ってなくて。
 ……それがバレるのが怖かった。
 理想と違う。
 何もかも嘘ばかり。
 そう気付かれてしまうのが、何よりもつらかった。
「言ったよな、お前。俺といると楽しいって。笑ってられるって。……でもどうだ? 最近のお前は、笑えてないだろ?」
 プライベートなときだけじゃない。
 職場でもそう。
 最初のころと違って、本当に穏やかで楽しそうな笑みは見ていない。
 ……いや、それはもうずっとそうだ。
 コイツと私的に関わってしまったころから、ひどく儚い顔しか見られなくなっていた。
「お前、俺と一緒にいて楽しいか?」
「っ……」
「俺の前で少し前みてーに笑ってンとこ、見てない。……泣いてるだろ。なんで無理してまで俺と居るんだよ。お前が傷つくだけなのに。俺は……お前を傷つけてしかいないのに」
 髪から頬に触れ、撫でるようにした手をゆっくりと離す。
 今、自分がどんな顔してるかはわからない。
 ただ、俺をまっすぐ見つめて瞳を揺らしている彼女は、不安そうで、つらそうで、今にも泣き出してしまいそうだった。
「……帰るぞ」
 目を閉じて頭を撫で、身体を離す。
「…………ごめ、なさ……」
「…………」
「……ごめんなさい……!」
 小さく、小さく、潤んだ声が聞こえた。
 甚平を掴んだ手が震え、俯いた彼女をまっすぐに見られなくなる。
「っ……」
「……悪かった」
 思わず眉を寄せたまま目を閉じると、掻き抱くように改めて背中へ腕が回った。
 ぎゅ、と強く抱きしめると、腕の中の彼女が小さく震えたのがわかって、自己嫌悪しか生まれない。
 ……俺には、護ってやることもできなかった。
 結局、何をしても傷つけるしかできなかったんだ。
 コイツの中にある、大事な部分を。


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