「……37度8分」
 保健室に入ってすぐ掠れた声で薬を頼んだら、怪訝そうな顔をした小枝ちゃんが体温計を突きつけてきた。
 仕方なく受け取って計り、アラームが鳴ったところで差し出す。
 すると、表示されたらしき数字をご丁寧にも読みあげてくれながら、改めて怪訝そうな顔をした。
「何、この熱」
「熱じゃねーじゃん。微熱だろ?」
「微熱じゃないでしょ! 馬鹿じゃないの!? 朝っぱらからこんな熱あったら、上がるわよ! このあと間違いなく!」
 小さくむせながら短く喋り、肩をすくめる。
 だが、小枝ちゃんはぶんぶんと首を振りながら大げさにため息をついた。
「今日早めに上がって病院行きなさい。わかった?」
「無理」
「無理じゃないわよ! 馬鹿じゃないの!?」
「……るせーな」
 さっきから、人を馬鹿馬鹿言いすぎだ。
 そりゃ、確かに自分でもわかってるけどな?
 だからって人に言われて平気かつったら、あんまいい気はしねーだろ。誰だって。
「市販薬飲んでたってしょうがないのよ。いい? 夕方ぎりぎりでもいいから、ちゃんと病院に行きなさい。じゃないと、明日はもっと大変なことになるわよ」
「…………」
「今、かなりしんどいんでしょ。ぶっちゃけ」
「……しんどい」
「ほらみなさい。馬鹿じゃないの」
「…………うっさいな……」
 両手を腰に当てた彼女が、やっぱりと言いながらため息をついた。
 悪かったな、馬鹿で。
 ああ、馬鹿だよ。馬鹿。
 どうせ俺は馬鹿だよ。
 ……あー……。なんか頭痛くなってきた。
「…………とりあえず、なんでもいいから薬」
「だから、ないっつってんでしょ」
「頭痛薬でいい」
「ダメよ。38度超えてもないのに、鎮痛剤飲まないで」
「頭痛い」
「痛くない顔してる」
「……ち」
 相変わらず、使える養護教諭だな。
 仮病は無理か。
 ……病院ね。
 あの、待ってなきゃいけない時間ってのが、俺にはものすごく無理なんだが。
「…………はー……」
 とはいえ、どうやらそうも言ってられない体調のようで。
 ため息をつくと自然に瞼が下り、このまま寝てしまえたら随分楽になるだろうなと思った自分に、改めて具合の悪さを実感する。
「わかった? ちゃんと行くのよ?」
「……わかった」
 さすがに、今回ばかりは否定する元気もない。
 すんなり肯定し、重たい身体を持ち上げるように立つ。
 まだ、今日は始まったばかり。
 まだまだまだまだ、終わる気配はない。
 幸いなのは、今日は体育がないってことか。
 ……あと、座ってられる図工が2時間あるってあたりだな。
「どうしても我慢できなくなったら、しょうがないから来てもいいわよ」
「…………わかった」
 手渡された使い捨てマスクをしながら、小さくうなずく。
 ツンデレか、とは突っ込まない。
 小枝ちゃんにはもっとも似合わない言葉だからな。
「……まったく。自己管理ちゃんとしなさいよね」
「…………」
「でも、珍しいじゃない。鷹塚君が風邪っぽいなんて。……何かあった?」
「……別に」
 一瞬、彼女の声の色が変わった。
 それがわかったからこそ敢えて振り返ることなく、さらりと流しておくにとどめる。
 決して、先日のアレじゃない。
 小枝ちゃんに言われてヘコんだワケでもないからな。絶対。
「……つか、小枝ちゃん知ってたのか?」
「何が?」
「葉山の髪」
 ドアに手をかけたまま彼女を見ると、一瞬口を閉じてから、にやっと笑った。
 瞳を細めて、それはそれは人の悪そうな顔で。
 ……性格見えてんぞ。
 まぁ、こんなふうに口を歪めてみたところで、マスクで見えねーだろーけど。
「あら。何? まるで俺のモノが傷ついたみたいな言い方ね」
「……別に」
 別にって顔じゃないクセに。
 は、と短く笑った小枝ちゃんが、腕を組んでこちらに身体ごと向き直った。
「言ったでしょ? 取りあげるって」
「………………」
「彼女ね、了承してくれたから」
「……何を」
「気になるの?」
「…………別に」
 反射で聞き返したにも関わらずすかさず訊ねられ、当然のように否定する。
 そのままドアを開け、ひんやりと心地いい廊下へ。
「っ……ごほ! ……はー……」
 廊下に出ると同時にまた咳が出て、たまらず壁にもたれる。
 ……しんどい。
 久しぶりに実感した。
 改めて体力が低下してるということも。


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