「お先」
「……先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねーよ」
 なんとか、放課後まで持った。
 いや、持たせたというほうが正しい。
 痛みこそないものの鈍く重たい頭に、ときおり止まらなくなる咳。
 ……あー、だっる。
 仕事を終えたとわかった途端身体が一気に病気モードへ変わってしまったのか、ハンパなく疲れが急に出てきた。
 昼休みに職員室へ戻って来たら、すぐ教頭先生が俺のところまで来て。
 何かやらかしたのかと思いきや、大丈夫かね、なんて心配されてしまった。
 ……あの、教頭先生に。
 ヤバい。俺相当キてるんだな。
 その瞬間、『ああ、病院行こう』と決意した。
「お先に失礼します」
「お疲れさまでした」
 早く休みなね。
 声をかける先生方に一様に言われ、さすがに今日は早く寝るかって気になった。
「っ……」
 荷物を持ったままドアを開けるのにもたついたら、勝手にドアが開いた。
 ……って、勝手じゃねーよな。
 見れば、対面に葉山が立っていて。
 俺だとわかると、一瞬目を丸くしてから心配そうに眉を寄せて見上げた。
「……大丈夫ですか?」
「…………ああ」
 大丈夫じゃない。まったく。
 だが、葉山にだけは相変わらず自分を偽るクセが抜けないらしく、思わずうなずいていた。
「あ……お疲れさまです」
「……サンキュ」
 けほ、と小さく咳をしてからすれ違い、職員玄関へ。
 ……もしかしたら、こんなふうに具合が悪い俺を見るのは、アイツも初めてかもな。
 担任してるときは、体調不良で休んだりしたことはなかったし――……あー、2日酔いはあったかも。そういや。
 情けねぇ担任だな。
 風邪と2日酔いとどっちがダサいかわからないが、どっちでも同じかとしばらく経って結論が出た。

「…………あー……だり」
 メシを食う元気もなく、病院で処方された薬を飲んですぐ布団へ入る。
 ……ダメだ。
 布団がこんなにも心地いいと思ってる時点で、病気だ。病気。
 綿毛布をかぶって寝返りを打ちながら、そう強く思う。
 頭がくらくらする。
 起き上がる元気もない。
 かと言って、目をつぶったまま眠れるほどでもなく。
 ……まぁ、さすがにこの時間から寝れないよな。
 とはいえ、具合が悪いんだから寝てしまってもいいのにとも思うが。
「…………はぁ」
 ため息をついて寝返りを打ち、明かりのない室内を眺めてまた目を閉じる。
 洗濯もしてなければ、食ったモンのあと片付けも当然してない。
 脱いだ服もそのまま。
 取り込んだ服も同じく。
 ……もしかしたら、そのせいかもしれない。
 今、猛烈に人恋しいのは。
 独り暮らしで具合が悪くなるのなんて、学生のとき以来だろう。
 どんだけ元気なんだとつっこまれるかもしれないが、実際、多少の風邪は恐らく引いたんだろうが、伏せるほどのモノにはならなかった。
 独りでなんでもしてきた。
 それで十分だった。
 なのに、今。伏せっているのがものすごく寂しくて、ツラいと思っている自分がいる。
 年のせいなのか、それとも――……今までの環境のせいなのか。
「………………」
 寝返りを打ち、また小さく息を吐く。
 不意に浮かんだのは、友人でも親でもなく、葉山の顔だった。
 あの、笑顔。
 ……馬鹿か。
 今、そばにいてほしいと思う相手がアイツなんて。
 お前はどんだけ未練がましいんだ。
 もう手を伸ばさないと決めたのに、それ以来ずっと同じことの繰り返し。
 情けなくて、もうため息すら出ない。
「っ……」
 もう何度目だ、と数えなくなった寝返りをすると、すぐそこで携帯が鳴った。
 着信。
 だが、音があまりにも頭に響いて、眉が寄る。
 ……うるせーな。
 出なくてもいいとは思ったんだが、学校からだと困るので仕方なく手を伸ばす。
 違ったら、出なければいい。
 その程度の認識で携帯を開く。
「……もしもし」
 ガラガラを通り越した、掠れ声。
 表示されていた名前ですんなり耳へ当てると、アイツらしい恐縮したような声が聞こえた。
『すみません、こんな時間に。お休みでしたよね?』
「……いや。どうした……?」
 こんな時間ってほどの時間じゃない。
 なんせ、まだ19時半を少しすぎたところ。
 だからある意味寝れなくて当然なんだ。
『実は今、すぐそばまで来てるんですけれど……もしよかったら、今からお邪魔してもいいですか?』
「……ウチに?」
『はい。鷹塚先生、あまりに具合が悪そうだったので……。もしかしたら、何も召しあがってないんじゃないかと思ったんですが……』
 正解。
 ……さすが、教え子。
 俺のことをよくわかってるな。
 …………つーか、読みがよすぎ。
 わかられすぎていて、改めて自分が情けなくなる。
「……別にいいぞ、ウチならいつ来ても」
 しばらく考えたはずなのに、口からは予想外の軽い言葉が出た。
 もしかしたら、風邪でヘタってるせい。
 だが、恐らくは違う。
 相手がコイツだから、だろう。
 ……お前も俺を甘やかすなよ。
 1度されると、人は期待する。
 そして、どんどん付け上がるんだぞ。
『じゃあ、これから伺いますね』
「ああ」
 目を閉じたまま携帯を耳から離し、受話を終える。
 そのまま片手で携帯を閉じて枕元に放ると、急激に眠気が来た。
 安心して眠くなるとか、どーゆー了見だ。
 ……お前、子どもかよ。
 ほどなくして響いたチャイムの音で起きることになったのだが、そのときも先ほどの頭痛はどこへやら、重たいながらもすんなりと起きることができて、そんな自分に改めて呆れた。


ひとつ戻る  目次へ 次へ