「すっかり元気になったのねー」
「…………」
「相変わらず健康優良児っていうか、子ども並みの回復力ね。たくましいわー」
「……うるさいな」
 多少まだ声のガラつきはある。
 それでも、昨日の病院で処方された薬がよかったのか、喉の痛みは消え咳もぐっと減った。
 当然、熱もない。
 薬のお陰か体力のお陰かといったら、まぁ、後者かもしれないなとは正直思うが。
「ほんと、昨日あんな今にも倒れそうだった人には見えないわね」
「何が言いたい」
「べーつに?」
 にやにやとマグカップ片手に近付いてきた小枝ちゃんをチラ見し、改めて漢字ノートへ向き直る。
 今朝提出されたコレは、帰りの会に戻すのが定例。
 今日も今日とて漢字練習は当然宿題に出すから、とっとと見て直すところは直してやらなきゃならない。
「……で? 何見てたの?」
「何が」
「葉山先生見てたでしょ」
「見てねーっつの」
「あーらあら、嘘ばっかついちゃってー。やぁね、大人になると嘘のつき方だけはうまくなるんだから」
「……あのな」
 誰が子どもだ、誰が。
 つか、俺の子どものころなんて知らねーだろ?
 小枝ちゃんに会ったの、この業界に入ってからだし。
 ……たく。
 いつまで経ってもガキ扱いか。
 悪かったな、ガキで。
 あーあー、そうだよ。どうせ俺は子どもだよ。まだまだな。
「……ち」
 ずず、と音を立てて立ったままコーヒーを飲みやがった小枝ちゃんのデリカシーのなさに、思わず赤ペンを放る。
 なんなんだよ、だから。
 俺が何したっつんだ。
 何もしてねーだろ?
 ただ、ちょっと目の前の葉山を見てただけじゃねーか。
 指輪弄って、メール見て楽しそうにしてる姿を気に入らねーなと思ったのが悪かったのか?
 けど、しょーがねーだろ。
 それこそ、俺の素直すぎる本音がソレなんだから。
「はーやまセンセ?」
「え?」
「なぁに? 随分にっこにこしちゃって。……んん? 怪しい。そばにいる誰かの匂いがするわ」
 何を馬鹿なことを。
 少し前なら、鼻で笑って弾き飛ばすようなセリフだが、そうはいかない。
 むしろ、まじまじと小枝ちゃんの言葉を受ける葉山を見てしまい、表情がわずかに『照れ』に変化したのが見え、重いため息が漏れそうになる。
 それを必死にとどめたのは、オトナな理性。
 どうやら、俺にもまだかろうじて残っていたらしい。
「ねぇねぇ。あの子って、どんな子?」
「っ……」
 ずい、と彼女へ一歩近付いてにやっと笑った小枝ちゃんが、意味ありげな顔でなぜか俺をチラ見した。
 いや、別にそこは俺に振ってくれなくていい。
 つーか、むしろほっといてくれ。頼むから。
「えっと……そうですね」
 ……とは思うものの、葉山が喋り始めると途端に意識がそっちへ集中。
 どうやら、実際はさほどほっといてくれとも思ってないらしく、そんな自分が少しばかりダメだなと思った。
「ひとりっ子だっけ?」
「あ、はい」
「どんな性格?」
「んー……優しいですよ? それに、一緒にいると面白いです。……ふふ。見た目と違って、面白い番組とかよく見てて」
「あら、そうなの?」
「ええ。実際に、芸人さんのライブなんかにもよく行ってるみたいなんです」
「へぇー、それは随分なギャップね。……まぁ、そこがイイのかもしれないけど」
「そうですね。……ふふ」
 ぴくり。
 眉がつり上がるのを感じて、思わず手をやる。
 あからさまに反応して、どうすんだよ。
 つーか、なんだ。
 小枝ちゃんは、葉山の男のこと知ってんのか?
 ふたり揃って盛り上がってる感が伝わってきて、だからこそ――……まぁぶっちゃけ、面白くないワケだが。
「あ、でも煙草とか吸わないでしょ」
「そうですね。煙草は吸わないです」
「お酒は? ガンガン飲むタイプ?」
「いえ、ちょこっとずつ飲んで……味わうって言ったらいいでしょうか」
「……ふぅーん」
「………………」
 ちらり、と音もなく底意地の悪そうな顔で小枝ちゃんが俺を見た。
 ……だから。
 俺に何を求めるっつーんだよ。
 別にいいっつの。
 だいたい、この間言ったのは小枝ちゃんだろ?
 取りあげる、って。
 手ぇ出させねぇ、って。
 ……どーぞ、お好きに。
 俺には俺のやり方があるってことは、よくわかってるから。
 つーか、それは小枝ちゃんもわかってるはずなんだけどな。ぶっちゃけ。
「煙草は吸わない、お酒もたしなみ程度。んー、いいわねー。やっぱ人間、なんでも限度ってモノをわかってないと」
「…………」
「どっかの誰かさんみたいに、お酒も煙草もやり放題じゃ困るものねー」
「………………」
 今回は、ちらり、じゃなかった。
 むしろ、ガン見。
 どんだけ見てんだっつの。
 つーか、そんなにわかりやすくかつ思いきりアピールなんぞしてくれなくてイイんだけどな。
 だいたい、誰だよ。
 俺のことは放っておくっつったクセに。
「あら。もう次の授業?」
「別にいいだろ、なんでも」
 丸付けが半分しか進まなかったノートの束を持って立ち上がり、席をあとにする。
 ここにいたら、続きなんて進まない。
 どうせ、小枝ちゃんが面白半分に俺の目の前で葉山を弄くってんだってのはわかってるから。
 ……ち。性格悪いぞ。ホント。
 振り返りも反応もせずにドアを開け、外へ――……出ようとしたら、花山がにっこにこしながら通りすぎようとした。
 その顔が、なぜか無性に腹立って。
 すれ違いざまに舌打ちすると、途端に『えぇぇえええ!?』という悲痛な叫び声が聞こえた。
 が、それも無視。
 全部もう知らねー。

 ――……そんな鷹塚先生の様子を見ていた金谷先生が、くすくす笑い始めて私を見てから、その笑いを大きくした。
「あーあ、ほんっとに正直ねー。あの人」
 あはは、とおかしそうにお腹に手を当て、目尻に指を当てる。
 それから、表情を変えていたずらっぽく笑った。
「面白くねぇな」
「……え?」
「そー言いたげだったわね。今の顔」
 あからさまに。
 くす、と笑った彼女が、両手を腰に当てる。
 ……そう、なのかな。
 私にわかったのは、ただ鷹塚先生がとても不機嫌そうだったということだけ。
 でも、それが面白くないと思ってもらえてのことかどうかは、わからない。
 これが、付き合いの差というものなのかもしれないけれど。
「……あ」
「さ、私も保健室戻ろーっと。葉山先生は?」
 チャイムが鳴ったのを聞いて、彼女がコーヒーを飲みきった。
 それを見てから立ち上がり、クリアファイルと本を持つ。
「次の時間は、小川先生が少し相談があると仰ってたので」
「あら、そうなの?」
「はい」
 彼の名前を口にすると、意外そうに金谷先生が目を丸くした。
 だけど、もしかしたら何か思い当たるものがあるのかもしれない。
 ふふ、と笑って『よろしくね』とウィンクされたから。


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