「あー……あっちぃ」
駐車場の木陰にかろうじて車を停めることができて安堵したのも束の間、クーラーの効いていた車内から外に出て一気に汗が噴き出す。
この時期の日差しは、朝でも夕でも肌を刺すような痛みがある。
それでも、嫌いじゃない。
暑い暑い言いながらも、本気で嫌がってるワケじゃないから。
やっぱり俺は、この時期が好きだ。
もちろん、季節ごとにそれぞれ楽しめるのが日本だとは思うが、やっぱり夏は特別。
そういや、子どものころも夜遅くまで明るくて沢山遊んでいられるこの時期が、いつだって待ち遠しかった。
「……はー……」
エレベーターではなく階段を選んだことに若干後悔。
……あー、やっぱエレベーターにするべきだった。
つっても、3階。
大した場所じゃないんだが、まったくエアコンの効いていない閉鎖的な空間というのはサウナと一緒。
まぁ、だからといってじゃあエレベーター内は涼しいかといえば、それもまぁないだろうなとは思うけど。
「…………」
階段を上がること……途中から、数えなくなった。
ようやく『3』のプレートがかかっている階を踏みしめ、思わず肩で息をする。
……苦しい。
あー、確かに。俺も禁煙を本気で考えたほうがいいかもしれない。
咳が出るようになったらヤバいからやめたほうがいいとかってのは聞いたんだが、どうやらそれよりも前になりそうだ。
「………………」
別に、この間の話がきっかけなんかじゃない。断じて。
葉山の彼氏が酒も煙草もしないってのは、別にまぁそうだろうなってなんとなく予想はつくし、アイツならそういう男を選ぶだろう。
俺なんかとは違う、律儀で、真面目で、優しくてっていうある意味の『理想的男子』ってヤツを。
……ままごとみてーな恋愛は、俺には無理なんだよな。
俺と一緒にいたら、アイツは泣く。
だけじゃ済まないから、タチが悪い。
それなのにまた手を伸ばそうとしている自分がいるのも事実だから、なおさらタチが悪い。
いや、悪すぎる。
「…………」
どっちつかずだよな、俺は。
フラフラしてて、みっともねぇ。
諦めるっつったクセに、それを始めた途端やけに気になって結局迷ってて。
……悩むなよ。迷うなよ。
1度決めたことなんだから。
「……はー」
廊下に置かれている案内板通りにゆっくりと進み、突き当たりにあったドアに手をかけようとして――……一瞬止まる。
……会議って、ここでやるのか。
確かに、この建物自体デカくはないから、あまってる部屋がごろごろあるとは考えられない。
だが、まさか場所がこことはな。
聞いてねーぞ。
『冬瀬市適応指導教室』と書いてあるプレートを見ながらドアノブを握ると、ため息なのかなんなのかわからないような息が漏れた。
「失礼します」
ギッ、とドアが鈍く軋んだ。
……うわ、涼し!
つーか、快適。
一歩踏み込んだ途端、ひんやりとした空気が身体に当たって、思わず頬が緩む。
それをばっちり正面から見られていたらしく、奥の席に座っていた男性が盛大にむせびこんだ。
「げほげほっ! ちょ、おまっ……! 子どもか!」
「……しょうがないじゃないすか。すっげー暑かったんすよ? 外」
「いや、そりゃわかるけどよ。だからっつって、ンなめちゃめちゃ嬉しそうな顔すんなよなー」
デカいマグカップを机に置いてから、がははとこれまたデカい声で笑い始めたのは、ここの専任教諭の山崎センセ。
元々は中学の英語教諭だったのだが、去年からここに通う児童生徒の指導を行っている。
「つーか、山さんこそアレじゃないすか。この部屋、すっげーコーヒーのいい匂いだし」
「だろー? ふふーん。そうなんだよ。俺の自慢のコーヒー、お前も飲みたいか?」
「え。飲ましてくれんすか?」
「ダメに決まってんだろ。つーか、アレだろ? お前、これからそっちの部屋で担当者会議だろ?」
「そーすけど」
「なのに、ひとりだけコーヒーとかないなー。ンなことしたら、俺がツバキさんに怒られる」
「……ですよね」
ツバキさんというのは、彼と同じく去年から教育委員会に来た英語の先生。
見た目、絶対古典の先生という雰囲気を纏っているんだが、英語が本当に堪能で。
腕を買われて、他市の教育委員会も彼女の授業を見に来るほどだ。
「いやー、でもな? 俺、そろそろ現場戻りてぇんだけど」
「そーなんすか?」
「そりゃそーだよ。見てみろこの腹! この1年で3キロ太った!」
「……あー。まぁ、ここじゃ部活ないっすもんね」
「そうなんだよ!! それによー、怒鳴り散らすようなことするヤツは来ねーだろ? そういうパワフルなやつはみんな街に行っちまうからよ」
「確かに」
「……あー……。お前が羨ましいよ。毎日はつらつとしてて」
「いや、そーでもないっすけど」
「なんで! 現場だろ! 6年だろ!?」
「それはまぁ」
「いいよなぁ。あー、ダメだ。来年は俺も戻ろ」
そんな簡単に戻れるんすか? とは、さすがに言えなかった。
ズズ、と音を立ててまるで茶でも飲むかのようにブラックコーヒーをすする彼の姿は、やっぱり哀愁が漂っていて。
確かに、山さんにきめ細やかな指導とかって感じはないんだよな。
熱血とかなら、話はわかるんだけど。
「つか、今の時間って山さんしかいないんすか?」
「いや。今日はたまたま心理の先生が外に出てて、俺は留守番ってワケ。今はもう生徒も帰ったしな」
「なるほど」
「それに、今日はあとふたり指導員が来てる」
「……指導員?」
「そ。あ、ほら。お前知ってるだろ? お前んトコで心の教室相談員やってる、葉山瑞穂ちゃん。あの子、ここで指導員もやってんだよ」
知ってる。つーか、むしろ知りすぎてるっつーか。
……そういや、彼が葉山に東小を勧めたんだったな。
最初はナイスとか思ったが、今では――……いや、今でも同じことは思ってるけど。
「ウチは8人指導員がいるんだけど、いやーみんな若いんだよなー。女子大生だぜ? ぴっちぴちの! それが5人も居てさー、いやー、元気出るわ」
「……おっさんみてーな顔すよ」
「しょーがねーべー。そこは。おっさんだもん。俺」
否定しないんだ。
思わず噴きそうになり、『なんでもないす』と手を振る。
ちょうどそのとき、ドアが開いて誰かが入ってくるのがわかった。
高い、声。
……そう。
振り返るとちょうど目が合ったのは、コンビニのレジ袋を手にした葉山だった。
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