「っ……鷹塚先生……!」
それはそれは驚いた顔で見られ、小さく手を挙げるにとどめておく。
ンな反応しなくてもいいだろ。
それじゃまるで、会いたくもなかったヤツに会っちゃって困る、みたいに取れる。
……ち。
悪かったな、ここに居ちゃいけないヤツがいて。
「え、どう……したんですか?」
「いや、半からそこで会議」
「そうだったんですか」
隣の部屋を顎で指してから、彼女に向き直る。
すると、相変わらず優しい顔でにっこりうなずかれた。
――……だけじゃない。
まじまじと見つめられ、何か言いたげに唇を薄っすらと開いてはまた閉じ、を繰り返す。
「どうした?」
「あ、いえ。すみません。ただ……やっぱり、スーツ姿すてきですね」
「……っ」
えへへ、とまるで邪気がない顔で言われ、思わず口をキツく結ぶ。
ンなこと言っちゃダメだろ、お前。
まるで――……そう。
あの、結婚式で言ってくれたときのような軽いレベルだとは思う。
それでも、ヨソの男にンなこと言うな。彼氏持ちが。
……煽んなよ。
お前、俺が何考えてるのかわかってねーだろ。
「あ、山崎先生。買ってきました」
「おー、ありがと。悪いな、変なこと頼んで」
「いえ、大丈夫です」
思い出したように葉山が彼へ向き直り、レジ袋とつり銭らしき小銭を渡した。
……って、それ。
「ちょ、山さん! 何買わしてんだよ!」
「え? いや、ちょっとなー。煙草切れて」
「そーゆー問題じゃなくて! だいたい今、勤務中だし。つか、コイツが買ったらまるで吸うみてーじゃん!」
「しょーがねーべよ。いや、だってほらお前、アレだよ。葉山ちゃんが買ってくれるって言うから……」
「葉山!」
「は、はいっ」
「断れ! お前も!」
「え、あ……すみません。つい……えと、通室している小学生を、家の近くまで送るついでだったので……」
「……ったく」
人がよすぎるんだよ、お前は。
びし、と思わず指差すと、驚いたように背を正して『すみません』と眉尻を下げた。
お前は優しすぎる。
いくら頼まれたからって、何も煙草買って来てやることなんてねーんだぞ。
……まったく。
あとでツバキさんにでも説教してもらおう。
「戻りました」
「おー。ご苦労さん」
腕を組んで山さんを睨んでいたら、低い声が聞こえた。
そのままの格好でドアを向い――……たところで、目が丸くなる。
眼鏡をかけている、細身の青年。
それは…………そう。
あの夜、葉山に躊躇なく手を伸ばした男と同じ背格好で。
……葉山の彼氏、か。
くそ。
まさかこんなところで見つけるとはな。
「……タカ? どうした?」
「え。いや……別に」
もしかしなくても、そいつを無意識のうちに睨んでいたのかもしれない。
山さんも葉山も、同じように驚いた顔をしていたから。
「初対面だよな? 彼は、七ヶ瀬大学院生の遠藤君だ。葉山ちゃんと同い年だっけか」
「そうです」
笑ってうなずいた顔が、嬉しそうに見えた。
その声が、いつもよりかわいく思えた。
……これは何か。
やっぱり、隣に居るそいつのせいなのか。
だとしたら、圧倒的だよな。
完敗ってヤツ。
俺の隣にいるときのお前は、恐らくそんな優しい顔じゃなかった。
「こっちは、東小の鷹塚先生。ベテランだぞー」
「初めまして、遠藤です」
「どうも」
軽く会釈しながらも、内心では『初めてじゃねーけどな』と付け足した自分に、子どもかとつっこみを入れる。
あー、帰りてぇ。
まだ会議はこれからだってのに、テンション急降下。
つーか、まさか揃って指導員やってたとはな。
ある意味、職場恋愛みてーなモンか。
……いや、同い年だっつってたし、ヘタしたら学生のときからの付き合いかもしれないが。
「あ。葉山、さっきの林君のことなんだけど……」
「え? ……あ。明日からする、英語学習?」
「そう。あれってさ、俺どこまで見てあげたらいい?」
「んー……そうだなぁ。ほら、期末テスト返されたでしょ? だから、あのプリントの復習をしてあげて、間違えた箇所を重点的に復習したほうがいいかもしれない」
「……なるほど」
楽しげに話す姿を見ながら、それでも半分は当然だが納得しちゃいない。
それは、男に対してもそうだが…………葉山に対しても、そう。
お前はいつだって、俺の前でそんな口調じゃなかった。
いつだってきっちり“です・ます”を守り、決して崩れなかった。
……それがどうだ。
今は、まるで当たり前のような言葉遣いで。
「…………ち」
それこそ、誰にも気づかれないような小さな舌打ちが漏れた。
確かに、俺には葉山にそんな顔をさせることはできないかもしれない。
けど、改めて手に入れたいという思いが、大きくなるのを感じた。
……そうか。
お前が、男か。コイツの。
そうわかったからこそ、ふつふつと湧いてくるモノがある。
敵対心?
ンな生易しいモンでもなけりゃ、ガキみてーなモンでもない。
どっちかっつったら――……奪取つったほうがいいかもな。
これまで感じていたものの形を作るまでに至らなかったどす黒い感情が、このときひとつに纏まった気がした。
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