「お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
 予定より少し早い、16時20分に会議は終了。
 ぞろぞろと市内各校1名ずつが集まっての担当者会議は、無事にことなきを得た。
 ほとんどが見知った顔で、20名程度の参加者のうち3分の2は顔見知り。
 中には、ホントの同期もいたりして久しぶりにちょっとした同期会めいた話で盛り上がった。
「お疲れした」
「おう。終わったなら、飲み行くか?」
「え?」
「なんだその顔。えぇ? 嫌なのか? なんだよ連れねーな。かわいいオネエチャンがいる店連れてってやろーと思ったのに」
 隣の部屋で会議の前に見たときと同じようにコーヒーをすすっていた山さんが、俺を見つけるなりニヤリと意味ありげな笑みを見せた。
 別に、そっちの意味で声かけたワケじゃねーんだけど。
 つか、相変わらず元気だなと感心する。
「……指導員って、もう帰ったんすか?」
「お? なんだお前。葉山ちゃんに気があるのか?」
「別にそんなんじゃ……」
「そんなんじゃあるだろー。えぇ? ダメだぞお前、葉山ちゃんは。俺のイチオシ」
 何気なくを装ったつもりだったのに、どうやらばっちり顔か声かに出ていたらしい。
 思いきり食いついた彼は、腕を組んで首をぶんぶんと横に振った。
「かわいいよなー、あの子。ほんっと気が利くし、デキた嫁になる」
「……ふぅん」
「あ、なんだお前その顔。やだねー、かわいくない」
「別にいいすけど」
「あっそ。んじゃ教えてやんねー」
「何を?」
「だから、教えてやんねーって」
 ちっ、と思い切り舌打ちした彼が、しっしと追い払うように手を振った。
 つーか、この人ほんっといつでも爪楊枝くわえてるよな。
 シーハーしてるところしか見たことないような気がして、一瞬本当にこの人同業者だったけかと悩んだ。
 すでに、時間は時間。
 とはいえ、俺は指導員の勤務時間が何時までかは聞いていない。
 だから、すでに葉山が帰ったのか、それともまだ別のところで仕事してるのかはわからない――……が、どうやら今の彼に聞いたところで素直に教えてくれる気はさらさらないらしい。
 なら、直接本人に連絡取ったほうがいいかもな。
 ……あの学生と一緒にいるかもしんねーし。
「んじゃ、お疲れさまです」
「おー、帰れ帰れ。やっぱ一緒にメシ食いたいっつっても、もう遅いからな? 本気だからな?」
「わかってますって」
「あーもー、つめてーなお前は!」
 小さく手を挙げてとっととドアへ向かい、階段に向かう。
 ――……と。
 ちょうど、紙の束を抱えたまま上がってくる葉山に出くわした。
 枚数を数えているらしく、まだ俺には気づいていない。
 ……時間の問題だな。
 鞄を持ち替えて片手をポケットにつっこんだまま、彼女の動線上に立ちふさがる。
 ぱっと見たところ、あの男の姿はない。
 ということは、今しかないってことだ。
「……っ……あ」
 顔を上げた拍子に目が合い、葉山が足を止めた。
 何も言わずドアの取っ手を引き、開けてやる。
 すると、ひょっこり向こうから山さんが『なんだ、お前まだ帰ってねぇのか』と怪訝そうな顔を覗かせた。
「葉山。上がり何時だ?」
「え、っと……16時までなので、もう帰るつもりですけれど」
 別に、山さんにやり取りを聞かせるつもりでドアを開けたワケじゃないんだが、結果的にそうなった。
 プリントの束を持ち直した彼女が、俺の隣まで段を上がってから笑みを浮かべる。
 胸の前で抱くようにしているその手には、相変わらず指輪がキラリ。
 ここにいないクセに、自分の所有物だとばかりに効力を発揮しているそれが、目障りでしかたない。
 ……少し前までは、なんてことなかったのにな。
 それこそ、こんなにも小さな輪に目が行くなんて考えもしなかったのに。
「……え?」
 彼女に伸ばした手を、頬へと移して触れるか触れないかギリギリの場所で止める。
 ……知らねぇだろ。
 いくら指輪が男避けの護符代わりになるとしても、こうやって実際に出された手を払えたりしないって。
 結局は、モノでしかない。
 完全なる盾になり得るはずはないんだから。
「メシ、食いに行こうぜ」
 な、とまっすぐ目を見たまま言葉を強める。
 こんなふうに彼女を誘うのは、いつ振りだ。
 ……ああ、そうだな。
 そういや、前回こうして声をかけたときは、もうひとり俺以外に男の存在があったんだっけか。
 彼女を傷つけ、泣かせ、決定的にしたあのとき。
 あれからまだ1週間しか経ってないってのに、随分とゲンキンだな。俺は。
 ……つーか、もっと早く気づけってな。
 『やっぱり、やめるのをやめた』って、1週間後にはもう一度手を伸ばすことになるんだから。


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