「本当によかったんですか?」
「何が?」
「その……ごはん、ご一緒しても……」
 まだ夕日というモノに切り替わっていない太陽をバイザーで隠し、車を平塚方面に走らせる。
 恐らく、さっきの山さんの言葉を気にしてるんだろう。
 まぁ、わからないでもない。
 あんだけデカい声で『あー、ダメダメ! ソイツは今日これから飲み行くっつってたぞ! 一緒に居るといろいろマズいから! ダメだ! 葉山ちゃん、考え直せ!』とかなんとか言われりゃ、そりゃ気にもなるよな。
 悪かったな、いろいろダメで。マズくて。
 まぁ、これまでの俺を知ってる人の発言だから、半分以上は当たってるんだけど。
「それはむしろ、こっちのセリフだけどな」
「え?」
「よかったのか? 俺なんかと一緒にメシ食って」
 自分で誘っておいてそれはないだろと思うが、仮にも相手は男持ち。
 しかも、彼女にとって俺は強く出れない相手で。
 無理矢理って言葉がしっくりだな、ホントに。
 『ご一緒できて、嬉しいです』なんて言ってくれたのを聞きながら、内心やっぱり自分はひどいヤツだなと自覚する。
 言わせてるんだから。どれもこれも。
 この俺が。力で。
「……わ……ぁ」
 ウィンカーを右に出して曲がり、がっちりとした白い門をくぐる。
 途端、ざわついた国道から雰囲気ががらりと変わり、ゆったりと落ち着いた空間に入り込んだ。
 両側に、オレンジ色のランタンが飾られている車道。
 まだ日があるにもかかわらず、両側を包み込むかのように生い茂る背の高い木々のお陰で、あたりはすっかり夜の とばり)が下りたように見える。
 ここは、海沿いの住宅街にあるイタリアンレストラン。
 だいぶ前にとある先生の歓送迎会で幹事だったときに使ったんだが、ものすごく好評だった。
 特に、女性陣と独身の男連中から。
 俺は知らなかったんだが、どうやら情報誌に載っている店だったようで、『1度来たかったんですけど、なかなかレベルが高くて』なんて言葉も貰った。
 ……まぁ確かにな。
 俺だって、ひとりだったらまず来ることのない場所だ。
 ここを知ったのだってたまたま同僚が『年齢問わずウケがいい店』として教えてくれたからで、そのときついでに『でもお前だったらまず行かない店』と釘も刺されたし。
 ……それでも、今は違う。
 隣に居るのは、友人じゃない。顔見知りレベルじゃない。大事な相手。
 いわゆる範囲対象に確定変更した相手だから。
「……すごいですね」
「そうか?」
「はい。……すごい……きれい」
 駐車場に車を停め、むっとする外へ先に下りてから助手席に回ると、ぐるりとあたりを見回しながら彼女が笑った。
 レストランと言っても、隠れ家のような雰囲気漂う洋館めいた建物。
 まるでひっそりと佇んでいるようで、この感じはまぁ悪くないなと初めて来たときも思った。
 秘密めいている。
 まさに、それ。
「こっちだ」
 ぽんぽん、と肩を叩いて方向を指差し、彼女を連れ立って歩き始める。
 薄暗い道。
 だが、このほのかな灯りに照らされているレンガの道を歩くというのも、悪くない。
 普段の日常とはまるで違う空間。
 それこそが、心理的に大きな作用を及ぼす……って言ってたっけな。
 多くの人があの大きなテーマパークにハマるワケもそうだ、と以前聞いた言葉が頭に浮かび、そうかもしれないなと改めて思った。

 広いエントランスからギャルソンに案内されるまま、細い廊下を通って抜けた先。
 そこは、壁の梁に至るまで細工を施されている、かなり洒落た部屋だった。
 建築云々はわからない俺でさえも、『へぇ』と思わず漏れたほど。
 言うなれば、明治時代に建てられたような凝った造りの建物とでも言えばいいか。
 細部にわたって装飾が施されていて、ちょっとした保護指定建築物的な匂いもする。
 それらの中で案内されたのは広い庭園を眼下に見下ろせるようにと、すぐ隣が大きなガラス張りになっている席。
 どうやらいくつも部屋があるらしく、シルバーがセッティングされているテーブルこそほかにもあるのだが、俺たち以外に客の姿はなかった。
 もしかしたら、店側が気を利かせてくれたのかもしれない。
 時間的にもまだ早いので、それを可能にしてくれたのだろう。
「別に、俺を気遣う必要はないんだぞ?」
「あ、いえ。そういうつもりじゃ……」
 席に案内されてすぐ、ドリンクを聞かれたとき。
 俺がアイスコーヒーを頼んだら、葉山までアルコールじゃないものを注文した。
 コイツが飲めないクチじゃないのは知ってるから、何度か勧めはしたんだが、苦笑を浮かべるだけで結局選んだのはPOPにあった天然の炭酸水で作った白葡萄ジュースで。
 おいしそうなので飲んでみたかったんです、なんて笑ったのを見ながらも、ああやっぱ気を遣わせたなってのを感じた。
 コイツはいつだってそうだ。
 『自分が』じゃなくて、『自分を』人に合わせる。
 きっと、小さいころからずっとそうやって生きてきたから、もう無意識のウチに入ってるのかもな。
 だがそれは、正直優しさとはまた違う気がして俺が若干気になる点だ。
「オーダーは一緒でいいよな?」
「あ、はい。お任せします」
 入り口付近に背を正して立っていたギャルソンに合図し、手元のメニューから同じコース料理を選ぶ。
 今頼んだドリンクとは別に紅茶かコーヒーが付くというので彼女に聞くと、俺とは違って紅茶を選んだ。
「どうした?」
「え……っと、私、こんな格好で来てしまってよかったでしょうか」
 ギャルソンが注文内容を復唱して戻ったあと、葉山がおずおずと上目遣いで俺を見た。
 こんな格好、ね。
 そういうほどラフじゃないとは思うんだが、もしかしたら俺が珍しくスーツなんかでいるからかもしれない。
「葉山なら、いつだってこういう店に来れるだろ」
「そんなこと、ないです」
「いや。山さんも言ってたぜ? 葉山ちゃんはオシャレでキチっとしてる、って」
 本当は、もっとほかにもいろいろ言ってたけどな。
 それはあえて伏せておく。
 彼女のためでもあり、俺のためでもあるから。
「問題なのは、むしろ俺のほうだな。いつもみたいな格好だったら、まず入れない店だし。たまたまスーツだから来れたようなモンで」
「そんなこと……っ」
「いや。いつもと同じだったら、メシはまたラーメンかファミレスに落ち着いてたぞ」
 アイスコーヒーを飲んでから、静かにグラスを置く。
 それでも、氷が揺れてグラスに当たり、心地いい涼しげな音を立てた。
 ……そのせいかもな。
 いつもとは違って――……そう。
 少し前までの俺みたいに、葉山を見て笑みが浮かんだのは。
「……私は、どこでも……誘っていただけたら嬉しいです」
 どうやら俺の雰囲気がいつもと違うというのは、葉山も感じたらしい。
 一瞬驚いたように目を丸くしてから、安堵したみたいに柔らかい笑みを見せたから。


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