「……わぁ……!」
手首を掴んだまま奥へ歩いてようやく開けた場所に出たとき、彼女がこれまでとは違う色の声をあげた。
先ほどまでは喧騒でいっぱいだったが、ここは違う。
人の声などせず、むしろセミとカエルのほうがよっぽど多いんだろう。
水辺ということもあって鳴き声が大きく、ああ夏だな、と改めて思わされる。
「……すごい」
外灯もなく提灯の明かりもないせいか、広い広い空に広がるいくつもの星々がはっきりと見て取れる。
これが、気持ちいい。
普段何気なく見上げる空は、明るすぎて星がよく見えないから。
「キレイだろ?」
「とっても……! すごいですね、こんなに星が見えるなんて」
林に囲まれた大きな池のほとりにある東屋のそばで立ち止まり、足を止めて彼女から手を離すと、空を見上げたまま笑みを浮かべてうなずいた。
遠くから聞こえてくる、祭り囃子。
そして、林の向こう側の空を照らす屋台と提灯のぼんやりとした明かり。
だが、このあたりにはそれが一切なく、この距離でも互いの顔がはっきりとは見えない。
そのせいか、葉山は珍しく俺の隣に寄り添うように立ったまま、あえてずれようとはしなかった。
「確か……あれが、夏の大三角形ですよね? アルタイルとデネブと……」
「ベガだろ?」
「……あ。それです」
さすがですね。
小さく笑いながら彼女に言われ、同じように空を見上げる。
……明日は七夕、か。
毎年毎年天気が悪く、その日に天の川を見ることはここ数年できていない。
もっとも、街中じゃまず天の川なんて見えないけどな。
だから、どうしても星が見たいときには、あの――……葉山が小川先生と話していた山の駐車場まで、上がる。
ひと気も明かりもないあそこに車を停めて、ボンネットへ寝転ぶようにしてただ空を見上げるために。
そうしながら煙草を吸うのが、俺は好きだった。
ぽつ、と火種だけが暗闇に浮かんで、それもキレイだと思えたから。
「えっと……あれは、なんでしたっけ?」
「どれ?」
「あの、ちょっとだけ赤っぽい、すごく明るい星なんですけれど」
空を指差した彼女と同じようにそこを見つめる。
……だが。
わずかに肩へ彼女の腕が当たった途端、意識がすべてそっちへ持っていかれた。
星どころじゃねぇな。
これだけの近距離、それこそ息遣いさえも聞こえてきそうな位置にいて、意識するなってほうが無理だ。
だが、葉山は気づいていない。
空を見上げるのに夢中だから。
「……確か……あ。さそり座でしたっけ? あの赤い――……鷹塚先生?」
あ、と声をあげた彼女の視界を遮るように、真正面から顔を覗く。
すると、ようやく空から俺へと彼女の意識が向いた。
「……? たか――っ……ん!」
なんですか、とまるでそう問うかのように首をかしげた彼女の顎を取り、唇を重ねる。
柔らかい、感触。
途端、自分の中の大きな何かが這い出す。
「んっ……! せん、せ……」
「……いいのか?」
「え……?」
「よその男とキスなんかして。……バレたらどうする?」
「……っあ……私……っ!? んっ!」
わずかに声が掠れた。
……らしくもないな。
どんだけ自分抑えるのに必死なんだよ。
「は……ん、んっ……ふぁ……ん……っ」
両手で頬を捕らえ、荒っぽく角度を変えて何度も口づける。
そのたびに濡れた卑猥な音が耳に届き、自身を当然のように煽り立てる。
――……ずっと、ずっとこうしたかった。
何度、無理矢理にでもと思ったか。
1度知った、彼女の唇。
見るだけで身体の奥が疼くような衝動を、何度も味わった。
許してほしいとは思わない。
なんせ俺は今、悪いことをしてるワケじゃない。
これまで、ずっとずっと押さえ込んできた自分の本能にあくまでも従っているだけ。
……これ以上は、無理なんだ。
コイツを飼い馴らすのは、容易じゃない。
「ふぁ……っあ!」
かくんと膝が折れ、慌てたように葉山が俺の服を掴んだ。
どちらかというと、しがみ付くってほうが正しい。
ぎゅうっと掴んだ手がわずかに震えているらしく、振動となって俺に伝わる。
「……あっ!? せんせっ……!」
肩と膝へ腕を回して抱き上げ、そのまますぐそこの東屋へ向かう。
この時間のせいか、祭りがあるからか、それなりの広さがあるここも人の姿はない。
昼間だったら、また違っただろうけどな。
「っん! ……は……ん、んんっ……!」
中に入り、1番奥めいた角の場所に座らせ、壁との間に挟んでから再度口づける。
敢えて音を立てるようにすると、彼女の反応がよくなったような気もした。
唇を舐めてから舌を差し入れ、すぐそこにある彼女の舌を捕らえる。
喉から漏れる声が、ある意味のバロメーター。
今のコイツがどれだけ感じているか、のだ。
「っ……ん! っ……」
いきなり携帯が鳴り、彼女が慌てたように俺の胸を押した。
だが、当然今はそれを拒否する。
彼女の腕を手で撫でながら辿り、バッグから取り出そうとしていた携帯を掴んで――……端へ。
リーチの差で、彼女には少し届かない場所。
そこに置くと、振動とともに着うたがしばらく響いた。
「っ……! ん、んっ……はぁ、ふ……」
わずかに唇を離し、再度重ねて舌を絡める。
まったく力が入らないようで、素直に反応を見せる彼女。
されるがままになってくれているのがひどく心地よくて、唇を離してから頬と耳元へも唇を寄せる。
「っん……ふ……ぁ」
薄っすらと開いた彼女の瞳に捕まり、その瞬間、こちらも瞳が細くなる。
とろんとした、熱っぽい眼差し。
途端、堪らなく欲しいと頭が判断する。
「……どうした? そんな顔するな。……ンな惚けた顔してるのバレたら、お前はどうなる?」
「…………鷹塚……せんせ」
「拒まないんだな、お前は」
「え……?」
「俺のキスは、そんなにうまいか?」
「っ!」
ごく近くで囁き、見つめたまま唇を重ねる。
離れたときに聞こえた、ちゅ、という濡れた音。
薄っすらと開いている唇がやけに艶っぽくて、どうしてもソコと瞳とに目線が往復する。
「お前はずっと俺のモノだったんじゃないのか?」
「……え……?」
「小さいころも、大人になってからも。ずっとずっと……俺だけのモノだっただろ?」
目を逸らさずに呟くのは、暗示めいたセリフ。
だが、それは同時にこれまでずっと理性で押し込めてきた自分の本音でもある。
もちろん、わかってる。
手離したのは俺だってことも。
今さら何をぬかしてんだ、ってことも。
……だが、離れられてわかったんだ。
俺は馬鹿だから。
そうなってようやく、コイツが自分のそばにいないことは不愉快でしかない、って。
「……ずっと俺のモノでいろよ」
瞳を細め、はらりと頬に垂れたひと房の髪を耳へ撫で付けてやる。
揺れる眼差し。
それが、今の彼女の気持ちを表しているかのようだったが、顎を取ったまま再度口づけると、先ほど胸元を押した手からはもう力が抜けたいた。
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