「…………」
月曜の朝。
いつもと同じように目覚めたにも関わらず、寝足りないようなそんな疲労感がまだ身体に残っていた。
理由は、恐らくアレ。
……まぁそうだろうな。
俺にとってアレは、消すことのできない最悪な出来事。
根源は、俺。
……杉原にも葉山にも、ひどいことをした。
結局、葉山を見送るしかできなかったあと席へ戻ると、杉原がものすごく落ち込んでいた。
自分のせいだ、と。
アイツを傷つけた、と。
……でも違う。お前のせいじゃない。
悪いのは、俺なんだから。
高校のとき告ったと聞いて、内心よしと思った。
手が届かない場所にあれば、諦めがつく。
手離せる。
教え子同士がくっ付いて、揃って幸せになる。
それ以上の幸せはないと思った――……馬鹿な俺のせい。
「…………」
子どもと大人の違いは何か。
そんなモン、簡単。
思ったことをすぐ口に出すのが子どもで、思っても口に出さないのが大人だ。
俺は前者。葉山は後者。
「……はー……」
職員室の自分の席。
7月に切り替わったカレンダーを見ながら、思わずため息が漏れる。
今日も、10時前には葉山がやってくる。
いったいどんな顔で現れるのか見当もつかない――……てのは、嘘。
アイツはまた笑みを浮かべているだろう。
小枝ちゃん曰く、『必死に繕ってる防御の笑み』で。
今日のアイツはどんなだっただろう。
思いはするが、結局昼休みをすぎた今でも見ることはできなかった。
正面からも違う場所からも、まだ、今日は葉山を見ていない。
……いや。
正確には、見ないように気をつけて――……逃げていたというのが正しい。
「…………」
数日前から続いていた、喉の痛み。
それが、今朝起きたらひときわ酷くなっていた。
飲み込むだけで痛む。
……熱なんぞ出るなよ。この忙しいときに。
かったるい身体がすでに発症ぎりぎりな感じもしたが、気力でないものにする。
夏休み前の今、休めるワケがない。
ましてや俺は今、6年の学担なんだから。
「……はー……」
とはいえ、さすがにキツくもあって。
早め早めってことで、小枝ちゃんに薬を貰うべく保健室へ足を向ける。
幾ら栄養剤を飲んでみたところで、そうそう効かないってか。
……俺ももう若くないな。
少し前なら、1本飲めばそれなりに動けたってのに。
「あら、いいの?」
「もちろんです」
「……?」
保健室の手前。
ドアが開きっぱなしの相談室まですぐそこというときになって、声が聞こえた。
誰か、なんてもちろんわかる。
……だから、足が止まったんだ。
「かわいいわねー。コレが噂のバースデーシールね」
「ご存知なんですか?」
「もっちろん! てか、アレでしょ。鷹塚君にもあげたでしょ? コレ」
「あ……はい」
「あの人、すっごい自慢げに付けてたもんねー。ホント、子どもみたい」
……悪かったな。
くすくすというより、けらけら笑う小枝ちゃんの声を聞きながら、思わず壁にもたれて眉を寄せる。
つーか、誕生日って……あれ?
小枝ちゃん、7月だっけ?
付き合いはそれなりに長いはずなのにまったく覚えていない自分に、やっぱりな、とうなずく。
ほんっと、興味ねーんだな。俺。小枝ちゃんに対しては。
なんてことを口走ったら、平手打ち食らわされそうだけど。
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがと。祝ってもらえるのは、やっぱり嬉しいわね」
声しか聞こえないが、確かに小枝ちゃんは嬉しそうだった。
……誕生日、ね。
先月は、自分が彼女に貰ったバースデーシール。
あのときは確かに、嬉しかった。
祝ってもらえるというのは、特別扱いそのものだから。
「葉山先生はいつ?」
「11月11日です」
「あら。ポッキーの日じゃない」
「はい。……昔、誕生日に鷹塚先生がお菓子で祝ってくれたんです。チョコが好きだって教えてもらったのも、その日で……」
「あの人らしいわねー。ほんっと、食べ物の好みが子どもと一緒なんだから」
やることも、だけど。
けらけら笑いながら付け足した小枝ちゃんに、ため息が漏れる。
子どもと一緒なのは、小枝ちゃんだって同じクセに。
誰だ? いちいち隠れて菓子食ってるヤツは。
引き出しにごっそり仕込んでること、俺は知ってる。
「……毎年、誕生日が早くくればいいって楽しみにしてたんです。誕生日が来ると、位がひとつ上がる気がして……」
「確かに。レベルが上がるみたいよね」
「はい。だから誕生日が来るたび大人に近づいているように思えて、すごく好きでした」
「……でした?」
「ええと…………もう、必要なくなっちゃったんです」
声のトーンが、ひとつ落ちた。
ぽつり、とまるで独り言のように呟かれた言葉に、小枝ちゃんが反応する。
だが、彼女の問いに対して葉山はやっぱり自嘲気味な声で応えた。
「誕生日なんて来なければいいのにって思う私は、カウンセラー失格ですね」
「……あら。葉山先生らしくないわね。そん――……っ……葉山、せんせ……?」
「金谷先生が羨ましいです。……私、ずっと勘違いしてたんです。大人になれば鷹塚先生と対等になれる、って。向き合える……って。……私を見てくれるかもしれないって。……でも違った……。たとえ幾つになっても、私はずっと鷹塚先生の教え子なんです。……ずっと、子どものままなんです」
息を呑んだ小枝ちゃんに続いて、葉山の言葉は少しだけ潤みを持って聞こえた。
声が、滲む。
震えを生む。
……涙。
壁にもたれたままふと今の葉山が見せているような表情が頭に浮かび、眉が寄った。
|