「先輩、今夜飲みに行きましょう!」
「……はァ?」
 機嫌が悪い。虫の居所がよくない。
 見るからに不機嫌そうな顔をしている俺を見て、花山はにこにことまったく気にしていない様子で声をかけてきた。
 コイツは馬鹿なのか。
 それとも、抵抗力が跳ね上がったのか。
 どちらにせよ、俺にとっては鬱陶しい以外の何モノでもない。
「行かねーよ」
「なんでですかぁ! いきましょうよ!!」
「だいたい、風邪気味だっつってんだろ」
「だからこそですよ!! アルコール消毒です!」
「……鬱陶しい」
「うわ、先輩その顔っ! なんですかその顔は!」
 相変わらず容赦ないですね、なんて口元に手を当てた花山を睨んでから、ふん、とそっぽを向く。
 つーか、ホントにコイツ最近俺に対して遠慮ねーな。
 そんなに慣れたのか?
 ちょっと前までは、眉を寄せるだけで『ひぃいごめんなさいごめんなさい!』とかって連呼したクセに。
 ……めんどくせ。
 拒んでも拒んでも真正面からどーんと来続ける花山に対して、ため息が漏れた。
「とってもかわいい子が揃ってるいいお店があるんです!」
「ふぅん」
「お酒もおいしいんですよ!」
「へぇ」
「そこのママったら、とっても美人で、僕のこと……かわいいわねって……」
「興味ねぇな」
「そんなぁあ! せんぷぁああいい!!!」
「……うるせぇよ」
 ぽ、とまるでそっち系のヤツみてーに頬へ手を当てて顔を赤くした花山へ『け』と口を歪めてそっぽ向くと、今にも泣き出しそうな顔で俺の腕を掴みこんだ。
 ……あー、めんどくせ。
 コイツ、すっげーめんどくせぇ。
 ぶんぶんと首を振りながらわんわん喚くのをチラ見するも、ほかの先生方の失笑が聞こえてため息が漏れた。
 正面の机。
 普段ならこんな俺たちの姿を見てくすくす笑うであろう葉山の姿も、今はない。
 とっくに彼女は、ご帰宅済み。
 結局、今日は小枝ちゃんに説教されたあと葉山に会うことなく1日を終えてしまった。
 つい先ほどまで、6年の学担とコーディネーターの先生を含めての話し合いを校長室でやったので、そのせいというのもあるだろうが。
 ……まぁ、顔を合わせづらいしこれはこれでよかったんだ。
 とはいえ、こんなふうに丸1日アイツと会わなかったのは今回が初めてで。
 ほんの少しだけ違和感にも似たものを感じて、なぜかため息の数が多かった。
「いいじゃない、付き合ってあげたら」
「…………」
「ですよね、ですよね!」
 ため息をついてから開きっぱなしだったノートパソコンへ向き直った途端、上から低い声が聞こえた。
 見ないでもわかる人物。
 目だけでそっちを見ると、腕を組んでマグカップを持ったまま、なぜか笑みを浮かべている小枝ちゃんがいた。
「こんだけ言ってるんだから、奢ってくれるわよ。きっと」
「えぇ!? ……っ……え、あ、はいっ。もちろんです」
「…………」
 今、一瞬ものすごい悲鳴が聞こえた気がするんだが、小枝ちゃんが花山を見た途端、それは消えうせた。
 もごもごと視線を外して何か呟いているように見えるが、そんな花山をまったく気にすることなく小枝ちゃんが続ける。
「きれいなお姉ちゃんはべらせて飲むの、鷹塚君好きでしょ? ヨイショしてくれるわよ、いーっぱい」
「……なんだ? 急に」
「いいじゃない。行ってあげれば。花山先生がどうしても行きたいって言うんだから」
 どうしても、というところにアクセントを込めた彼女が、ちらりと花山を見た。
 ね。
 たったひとことの短い言葉なのに、表情がものすごく怖くて。
 ……さすが、氷の微笑。
 随分前に流行った彼女のあだ名が、ふと頭に蘇る。
 ついでにいうと、その瞬間、花山の『ひぃ』という声も聞こえた。
「…………。そんなに行きてーのか? お前」
「えっ? あ、はいっ。行きたいです!」
 びし、と耳に腕を当てて挙手した花山を数秒見ていたら、視線が逸れるとともにまたため息が漏れた。
 コイツ、1度言い出すと聞かねーからな。
 しかも、何かやたらと今日は気合入ってるし。
 ……めんどくせーことになったな。
 つか、そもそも飲みてーならひとりで行きゃイイのに。
 まぁもっとも、コイツに独り酒ほど似合わないモンはないが。
 酔い潰れて店に迷惑かけて、出入り禁止食らうのはすぐ目に浮かぶけど。
「……わかった。付き合ってやる」
「ホントですか!? やっ――」
「ただし。奢りだからな」
「うぇぇええええ!?」
「んじゃ行かねー」
「っ……い、いいですよ! 奢りますよ! 奢りますとも! 喜んで!」
 思いきり顔を歪めたのを見て視線を逸らすと、慌てたように両手を挙げた。
 わかりやすいっつーか、操りやすいっつーか。
 コイツは自覚してるんだろうか。
 少なからず俺にとっては利を得られる長所だが、コイツにとっては短所に違いないんだけどな。
 ……ま、いいけど。
「じゃ、うまい酒奢れよ」
「うぅ。わかりましたよぉ」
 広げたままだったノートパソコンをシャットダウンし、先日の『名前の由来』作文を揃えてファイルに入れ、鞄につっこむ。
 それから立ち上がると、なぜか半べそをかきながら花山も計算ドリルを鞄に入れた。


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