「もー、相変わらず素直なんだからぁー」
「えへへ。そうかなぁ?」
「そーよ。……かわいいもんね、すなおちゃん」
「えへー。あーたん、ありがとー!」
「………………」
 ……あー…………激しく帰りたい。
 なんだこの芝居。
 つーか、プレイ?
 ずーーーーっと続いているのを見ないようにしながら酒を飲み、相手をしてくれているこの店のママに酒を注いでもらう。
「……コイツ、いつもこんななんすか?」
「ああ、花山先生? ええ、だいたいこんな感じですよ。ただ、今日は幾分かまだよろしいほうかしら」
「……はー……」
 頭痛くなってきた。
 どうしたらいいんだ、俺は。
 身近で同僚というよりは後輩的な存在の男の、ものっそいかわいくもないむしろ嫌悪感しか溢れてこないようなまさに醜態を見てしまって。
 ……知ってしまった。
 コイツが、キレイなおねーちゃん相手だとニヤニヤどころか、ドロドロになってしまうことを。
 まぁ多少は想像がついていたと言うよりは、若干分かっていた部分でもあるから、そこまで引かずにいられる自分を褒めてやりたいとも思う。
 若干、今飲んでる酒も悪いっちゃ悪いんだろうけどな。
 宮本酒造『黒姫桜』。
 少数しか出荷されていなくて手に入らないというよりは、ファンが多すぎて手に入りにくい地元酒。
 この酒、たけーんだぞ?
 味わうとかじゃなくてとりあえずアルコールを的なお前には、もったいなくてしょうがない。
 ……ちびちび飲めよ、ロックで味わって。
 口内に広がる爽やかな香りと、まろやかな喉越し。
 あー、ウマ。
 ただまぁ、普段日本酒を飲みも嗅ぎもしないコイツにとっては、刺激が強すぎる代物だ。
「失礼しまーす」
「ふわ! かわいい子がきたー!」
 ひらひらとしたフリルが各処にあしらわれている、薄いピンクのドレスを纏った女性がひとり。
 胸元をアピールするようにしながら頭を下げて、花山と俺の間へ座った。
 途端に香る、香水の甘い香り。
 悪くはないが酒の匂いが若干濁る気がして、酒の場では相応しくないモノだと正直思う。
「あ、花山先生。この子ね、先月から入ったリカちゃん。花山先生みたいなタイプ、好みなんですってー」
「えぇぇえええ! ほ、本当ですか!?」
「はぁい。ママからお話は伺ってるんですよ? とーってもかわいい先生がいる、って」
 うふふ、と頬に手を当てて微笑んだのを見て、花山の鼻下が3センチくらい伸びた。比喩じゃなく。
 くるくると巻かれた髪を指先で弄りながら花山を見て、にっこりと笑みを浮かべる。
 艶やかな唇は、ふっくらと桃色に色づいていて。
 いい女だ、と思わせる雰囲気を十二分に纏っている。
 ……恐らく、本人もわかってるんだろうな。
 魅せ方が、慣れてるしうまい。
「初めまして」
「どーも」
「えっと、もしかして花山先生と同じ小学校の先生なんですか?」
「まぁ、多少」
 息を含んだような、特有の語尾の母音が伸びる喋り方。
 それが好きなヤツは大勢いるし、現にそっち側が好きなやつにとっては大好物だろう。
 ……だが、残念。
 俺は正直、その喋り方があからさまに媚びを売っているように思えるから好きじゃない。
「わー、先生なんだ。すてきですよね。ていうか、こんなかっこいい先生が担任だったら、私、すっごく自慢します」
 ぽん、と指先を合わせてにっこり笑った彼女に、どーも、と小さく言ってからグラスに口を付ける。
 別に、こういう場所で飲んだことがないわけじゃないし、それなりに連れてってもらったこともあった。
 ……それでも、正直好きになれない場所。
 何度経験しても慣れるどころか、やっぱ俺はいいやって気になる。
 独り酒も嫌いじゃないし、馬鹿騒ぎする飲み会も好きだ。
 だから、どうせ飲むならキレイなねーちゃんはべらせて云々ってよりも、気心知れた連中と盛り上がって飲むほうがよっぽど楽しいと思える。
「今日は、花山先生のご紹介ですか?」
「まー、そんなトコ。……だろ?」
「ぶはぁ!? ううもうっ! 先輩、やめてくださいよ!」
「いーから、絡んでこい」
 もりもりとつまみに頼んだチーズ鱈を食ってばかりいる花山の首を掴んで引き、彼女へ近づける。
 すると、楽しそうな『きゃーん』なんて悲鳴が聞こえた。
「もー、花山先生のえっち」
「えぇぇえ!? ち、違うよ! 今のは、ええと、その……ふ……ふふー。ごめんね?」
「しょうがないんだからー。でも、許してあげるね?」
「わーい、ありがとう! リカたん!」
「うふふー」
 早くも隣で展開し始めた花山ワールドに、軽く眩暈がしてきた。
 ……あー。帰りてぇ。
 つーか、帰ろう。やっぱり。
 俺にはこういう雰囲気のよさは実感できない。
 それどころか、いつまでもここにいたら、花山菌がうつってしまいそうでそれはそれで怖かった。
「先帰る」
「えぇ!? ちょ、なんでですか先輩!」
「飽きた」
「えぇぇええ!? なんでですか! もう! 飽きる訳がないじゃないですか! こんなにきゃわゆいお姉ちゃんたちがうっはうはなのに!」
「……お前、日本語喋れてねぇぞ」
 残っていた酒を呷って飲み干し、テーブルへ置く。
 すると、グラス内に残った氷がいい音を立てた。
「んじゃな」
「ちょ! せんぷぁい! 待ってくださいよ!」
「しつこい」
「だめですよぉ! こんなに早く帰られちゃったら僕、金谷先生に怒られちゃいます!!」
「………………何?」
「ッ……あぁっ!? 僕としたことが!」
 眉を寄せてシャツを掴んだ花山の手を払ってから立ち上がろうとしたとき聞こえた、名前。
 ……へぇ。
 それは詳しく聞く必要があるってモンだな。間違いなく。
 今ごろ慌てたように口を両手で押さえた花山を見ながら、再度腰をすえる。
「どういうことだ」
「…………うぅ……それは……」
「今殴られるか、あとで殴られるか。どっちがいい?」
「うえぇえ!? ど、どっちも嫌です!!」
 ぶんぶんと首を振った花山に瞳を細め、腕を組む。
 ……わかってるんだよ。
 こうすれば、コイツがひぃとかうぅとか言いながら白状することを。
「……じ……実は、金谷先生が放課後すぐ、僕のところに来たんです」
「で?」
「それで、その…………金谷先生が今日、先輩を飲みに連れて行けって……」
「…………ふぅん」
「もう、ものすっごく怖かったんですよぉ! 金谷先生ってば!! あの、だからですね!? 今日ここに先輩を連れてきたのは僕じゃなくて、金谷先生がそう言ったからなんです! だから、怒らないでくださいよ!?」
「怒ってねーだろ。別に」
 そうだ。怒っちゃいない。何もな。
 ただ、どうして小枝ちゃんがンなことをコイツに強制させたのかはわからない。
 ……それでも。

 彼女に、もう二度とあなたの手が届かないようにしてやるから。

 小枝ちゃんが俺に向かって言った言葉。
 あのときの目は本気だった。
 だから、手始めにまずこういうやり方をしてきた、ってことか。
 ……なるほど。
 やってくれんじゃねぇか、本当に。
「………………帰る」
「うぇえ!? ……っ……うぅ。わかりましたよぉ」
 ふーん、と宙を見つめていたから膝を叩き、立ち上がる。
 すると、今度ばかりは花山が止めることはなかった。
 ――……が。
「……もう帰っちゃうんですか?」
 うる、と瞳を潤ませながら、隣の子が俺を見上げた。
 そーゆー仕様なのか、それとも何か目が潤む何かを使ってんのか。
 その辺の企業秘密はわからないが、口元に手を当ててまるで『がっかり』なんて雰囲気を作り出した彼女を見ながら、小さくため息が漏れた。
「……寂しいです」
 唇を尖らせながら視線を外し、指先でくるくると髪を巻きながら伏せ目がちにする。
 その表情がほんの少しだけ――……葉山に似ているように見えた。
 もしかしたら、同い年ぐらいだからかもしれない。
 だが、いろいろと箇所箇所で似てるようなところがあって。
 年下で、甘い声で、ついでに言うならかわいい笑顔もそう。
 胸も大きくて、肌がキレイで、髪は艶々で。
 ……そう。
 箇所だけを見れば、似てるんだ。アイツに。
「せっかくだから、お店じゃないところでも会いたいなぁって思うのは、我侭ですか?」
 舌ったらずなのか、それともそういう喋り方を敢えてしているのかはわからないが、上目遣いに見つめられ、やはりまたため息が漏れた。
 ……浮かぶのは笑みじゃないんだな。
 我ながら、正直すぎてそれが笑える。
「じゃあな」
 彼女と視線を合わせることなく、花山の頭を小突く。
 すでにへべれけになりながらも、席に戻って来たあーたんとやらに絡み始めたあたり、コイツはタフだなと若干思う。
 ありがとうございました、と背中にかかる声を聞きながらドアを開け、外へ。
 夏の始まりの夜は、未だじっとりと蒸し暑い。
 だが、クーラーの利いた室内よりかは、なぜか若干居心地よく空気が澄んでいるように思えた。


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