「戻りました」
「収穫は?」
「ありましたよ。金曜18時に北口で。そのままホテルへ直行、ってさ」
「そうか」
おなかいっぱい苦しいランチを過ごしてから車内に戻ると、鳴崎さんは飲んでいた缶コーヒーをホルダーに戻してエンジンをかけた。
「金曜、どうする? 鳴崎さん行く?」
「いや。金曜は休みを取ってある。悪いが、ほかを当たってくれ」
「うーん、そっか。みーくんは……金曜仕事だよね? 夕方もキツイか」
「あー……うん。ごめんね」
「それじゃ、亜沙。僕と行こうか」
「えー。みーくんがいい」
「だから、それは無理だって言ってるでしょう?」
「わかってますけど!」
それでも言ってみたかっただけなんです!
再度申し訳なさそうに瑞穂さんが『ごめんね』と頭を下げたのが見え、慌てて『違うんです!』とは否定する。
ぐぬぬ。でも、センリさんとラブホ潜入かぁ。
まぁ、美坂じゃなくてよかったけどね。
アイツ、半年前にペアを組んだら、盛大にベッドで寝過ごしたあげく、ターゲットを取り逃がす失態おかしたんだから。
あのときの社長の顔は、今でも忘れられない。
別室に連れて行かれたヤツは、戻ってきたとき半べそをかいてたっけ。
「金曜か……じゃあ、明後日までは動かないってこと?」
「じゃないの? 平日だしね。まぁ、退社時刻を調べておけば、家に着いた時間から割り出せるでしょ。いろいろ」
「……ですね」
シートベルトを締め、後部座席でどっかりとシートにもたれたセンリさんのセリフにうなずく。
帰宅時刻は、奥さんから再度依頼を受けた1週間前から彼女が逐一報告してくれているので、今日明日のぶんもきちんと把握できるだろう。
「でも、なんで浮気するかなー。完璧な奥さんっぽいのに」
ゆっくりと走り出した車の流れと同じく、外の景色も動き出す。
瑞穂さんはあの日、奥さんが『復讐したい』と依頼を出してすぐ、カウンセリングに入ってくれた。
水曜日だったこともあって、ちょうど顔を出してくれていたんだよね。
「瑞穂さん、そのあたりって情報入ってます?」
「うん。まぁ……あるんだけど」
「けど?」
「……結局、人って『ないものねだり』する生きものだから」
ミラー越しじゃなく、ダイレクトに振り返って彼女を見ると、曖昧な表情を浮かべてから困ったように笑った。
ないものねだり。
それは……まぁ、確かに。
でも、あれだけまさに“完璧超人”みたいな奥さんに、ないものってなんだろう。
料理だって上手で、子育ても問題なくて、掃除だってせっせと毎日やっている。
そのうえ、駅前のブティックでは店長職をこなして……っていう、バリバリの人なのに。
美人で、頭もよくて、なんでも器用にこなす。
そんな人を奥さんにもっておいて浮気とか……。
「……ありえないでしょ」
ぽつりと漏れたひとりごとには、当然のように誰も反応しなかった。
「さーて。それじゃ、行きますか」
「ふたりとも、気をつけてね」
「いってきます」
金曜の17時。
事務所に残っていた社長に声をかけてから、センリさんと一緒に藤沢駅を目指す。
ここからバスで駅まで向かって、そこからは東海道線1本。
ちょうど、帰宅ラッシュとぶつかり始めるころなのもあって、今日はふりふりのスカートじゃなく、走れるようにショートパンツとレギンスをあわせた。
もし、奥さんがいきなり登場! とかして、修羅場になっても大丈夫なように。
……ああ、なるべくそういう場面には立ち会いたくないんだけど。
だって、今日はカウンセラーとボディガードの両面を持ち合わせている瑞穂さんがいないんだもん。
センリさんだってそれなりに動ける人だから、いざってときもきっと、美坂みたいに私を置いてったりはしないだろう。
……でも、ねぇ。
「ほら。いつまでも瑞穂ちゃん待ってたって、こないよ?」
「わかってますってば!」
今日のセンリさんは、ネクタイこそしてなかったけれど、スラックスにワイシャツを着込んでいる。
ごっつい腕時計がいかにも男っぽくて一瞬どきりとしたものの、『相手はセンリさんだ』と自分をたしなめていた。
これが瑞穂さんだったら……ああもう、考えただけで仕事にならない。
「ほら。妄想する暇があったら、バスに間に合うように歩く」
「わかってますってばもう!」
バス停までの道のりを歩きながらセンリさんに2度同じことをいい、大股で足を出す。
西の空は、まだ日が暮れそうにはないけれど、時間が時間のせいか『ああもう夕方だ』なんてちょっとだけ思った。
「……にしても、鳴崎さんってお休みの日何してるんでしょうね」
「さぁ……彼の素性は誰も知らないからね」
「え、センリさん仲いいんじゃないんですか?」
「別に?」
「あれ。じゃあ……ウチの事務所で鳴崎さんといちばん仲いいのって誰ですか? 美坂?」
「さぁ。案外、瑞穂ちゃんとかかもよ?」
「な!? それはダメです!」
「あはは。言うと思った」
くっくと笑われ、またからかわれたんだとわかって顔が赤くなった。
でも、どうしようもない。
今はただ、口を閉じて我慢するだけ。
そうすれば、顔だっていつもと同じ色に戻るもん。
「それじゃ、行きますかね」
「何事もないといいですけれどね……」
「まぁね」
とはいえ、きっとそうもいかないんだろうけど……。
ハザードを炊いて停留所に入ってきたバスを見ながら心の中だけで付け足すと、なんだかもう刹那さと不安からか、またため息が漏れた。
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