「なんであんなことしたの?」
家に帰ってからも、彼はこんな調子のままだった。
ショゲたように背を丸め、目を全く合わせないように俯いたまま。
だから、リビングのソファに向かい合って座ったら、自然と口が開いた。
「…………」
「……ちょっと。黙っててもわからないでしょ?」
新しいカップにココアを入れ、湯気の立つそれを含む。
穏やかな甘さで、変なしこりが溶けていくように感じた。
「……嫌いだから」
「…………あのねぇ……」
はぁー……と、それはそれは重たいため息が漏れる。
だって、『嫌い』って言われたってさ。
この人と仁志は、そもそも初対面なのよ?
それなのに、好きも嫌いもないじゃない。
だけど彼は、さっきからずっとこの調子だ。
「……だから。嫌いって言っても、アナタと仁志は初対面――」
「…………信じてくれないかもしれないけど」
「……え……?」
「俺、この家の猫だったんだ」
いきなりのとんでも発言に、ぽかーんと口が開いた。
「……美空?」
「いやっ!! 呼ばないで!!」
あああああ……どうしよう。
……どうしようどうしようどうしよう……!!
精神的にヘンな人と係わり合い持っちゃったよ……!!
ずきずきと痛くなり始めた頭を、抱えるしか私にはできない。
……そ、そりゃああのね?
世の中には、そーゆー変な人がごろごろいるってわかってたけどさ。
でも、だからって『猫だった』なんて言う人いないでしょ!?
……うわーうわーうわー!
どうしよう。
なんか、ものすごく気持ち悪い。
「……信じてくれないだろ?」
「信じるも信じないも……。……あのね。そんなありえないことが起こるわけないでしょ?」
くらくらと酸素の少なくなった頭を手で支えながら、一応彼を見てみる。
……いや。
そんな真剣な顔で言われても、無理なものは無理だから。
私がカウンセラーとかだったら対処法はまた違ったのかもしれないけれど、残念ながら、私はただの女子高生。
そっちの面に免疫もなければ、対処療法も何も知らない。
……どうしよう。
警察よりも先に、メンタルに詳しい先生に見せたほうがいいかもしれない。
「……はぁ……よりによって、猫って。嘘だかなんだか知らないけどさ、つくんならもっとマシな嘘を――」
「ほら」
「……え……?」
「コレ。……証拠だから」
痛い頭を押さえながら瞳を伏せたら、彼が声をあげた。
「……コレ……」
「覚えてるだろ? ……当然だけど」
目の前に差し出された、ソレ。
それは紛れもなく――……。
「ツカサ……の……」
そう。
『ウチの』ツカサの、ものだった。
「ちょっ……! ……え!? なんでっ……なんで!? どうしてアナタが持ってるの!?」
手のひらに乗っていたそれをひったくるように掴み、まじまじと見つめる。
小さな鈴が付いている、薄汚れたミサンガ。
これは間違いなく、私がツカサにあげた首輪だ。
「……それは、俺のだ」
「まさか!! そんなワケないでしょ!? ッ……アナタ……アンタ、ウチのツカサどこにやったのよ!!」
ガタンっと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、ミサンガをぎゅっと握り締める。
……今日はまだ、姿を見てない。
だけど、彼がこれを持っていた。
…………ということは。
ということは、もしかしたら――……っ……!!
「人殺し!!」
思い切り睨みつけたままで、そんな言葉が漏れた。
正確には、人じゃない。
でも、私たちにとっては家族も同然。
嫌だけど、ついツカサの痛々しい姿が目に見えて、涙が浮かぶ。
「人殺し……ぃ……っ!!」
ぎゅうっとまぶたを閉じると同時に、涙がこぼれた。
――……なのに。
「……寿命だったんだ」
ぽつりと、彼が口を開いた。
「ッ……何言っ……!」
「仕方なかったんだ。自分でもわかってたから。……十分生きたよ。だってそうだろ? 美空が……まだ小学生のときから、ずっと一緒だったんだから」
「……な……」
私を見ながら、彼は笑った。
……何……?
っていうか……え……?
いったいどうして、知ってるんだろう。
そんなこと、だって……お父さんとお母さん以外、知らないことなのに。
「なんで……?」
真正面から彼を見ながら、自分が微かに震えてるのがわかった。
「……まだ、こんなだったよな」
手のひらを見つめ、懐かしそうな眼差しを見せる。
……そう。
あれはまだ、私がランドセルを背負って間もない……小学1年生のときだった。
「通学路に捨てられて、沢山の子どもが俺を見に来た。給食の残りも、お菓子も、牛乳も。いろいろ貰った。……だけど、俺を連れて帰ってくれる子は誰もいなかった」
「…………」
正解。
みんな……ううん。
本当に沢山の子が、小さな猫を抱き上げてはあやしていた。
ご飯を持ってきたり、牛乳を持ってきたり。
でも、みんな……帰るときはひとり。
日が暮れるころには、手を離してひとりきりにしてしまう。
――……だから。
生き物は飼えないって言われてたのに、それでもなお私は抱いて帰った。
……だって、かわいそうだったんだもん。
ひとりきりになって、寒くて……小さな声で鳴いてるのを見たら。
「俺、嬉しかったんだよ」
「……え……?」
「美空が、抱っこしてくれたとき」
まるで、懐かしむかのような満面の笑顔。
それをまっすぐに向けられて、思わず喉が鳴った。
「温かかった。……すごく。優しくて……」
両手を見つめるその顔に、嘘はないように思えた。
……って、何言ってるのよ。そんな。
そんなこと、あるはずがないのに。
だって、『猫』よ? 猫!
よりにもよって、そんなこと信じられるはずがない。
……もちろん、ツカサの姿が見えないのはすごく心配だけど……。
「…………」
寿命。
……さっき、そう言ったっけ。
ちらりと彼を見ると、私に気づいてにっこりと微笑んだ。
…………その顔。
不思議とその顔を見たら、小さな鈴の音が聞こえたような気がした。
「だから俺、恩返しがしたかったんだ」
「……恩返し……?」
「そう」
大きくうなずいた彼は、少しだけ真面目な顔をしてから――……両手を重ねた。
まるで、とても大切な話をするときに人がするかのように。
「あんなヤツ、俺は認めない」
「え……?」
「……アイツだよ、アイツ。……あの、仁志とかってヤツ」
それはそれは嫌そうに眉を寄せた彼が、ぐっと拳を握った。
……ぶる。
一瞬、さっきの光景が頭に浮かんで、身震いする。
「美空だって知ってるだろ? 俺が――……ほら。猫のときの俺が、アイツを嫌いだったってこと」
「…………」
それは、まぁ。
そううなずいてしまいそうになって、慌てて首を横に振る。
……違う違う。
だから、目の前のこの人はちょっと頭のおかしい人であって、猫なんかじゃないんだから。
名前が一緒なのも、昔のことを知ってるのも、あくまで『偶然の一致』ってだけ。
猫が人に生まれ変わるなんて、漫画やドラマじゃないんだからありえるはずがない。
「……アイツ、猫嫌いのクセに俺に媚を売る」
「え?」
「それが、気に食わない」
「ちょっ……」
「あんなヤツ、大っ嫌いだ……!!」
次の瞬間。
彼の後ろに、鋭い爪と牙を剥き出しにした、ツカサの姿が見えた気がした。
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