彼が、『吾輩は猫である』と言ってから数時間が経った。
 ……ありえない。
 もちろん、ありえないのよ。
 …………。
 ……だけどね……?
 だけど、さ。
 なんか……『猫だから仕方ないか』と思うと、ふつーにうなずけるようなことが……多々あったワケだ。
「……何してるの?」
「え?」
 これもそう。
 私が床に座ると必ずと言っていいほど、彼が膝に乗ってくる。
 ……正確には、乗れないから頭だけ乗せてくる。
「邪魔なんだけど」
「……冷たいな、美空は……」
「何がよ」
「昔は、よく抱っこしてくれたのに」
「……あのね」
 ちぇーとか言いながら立ち上がった彼は、そのままぐるりと私の周りを1周した。
 ……コレ。
 ツカサ――……って、もちろん猫のね?
 ウチのツカサと、同じクセだ。
 たまに、ツカサが重たくて膝からどかすと……私を見上げてから、ぐるりと1周する。
 そして――……。
「っきゃあぁ!?」
「……ねー……抱っこして」
「やっ……やだっ、やだやだっ! 何してるのよ!!」
「美空ぁ……」
「やだってば!!」
 ……こんなふうに、擦り寄って来るのだ。
 うぅうっ……!
 何よ、何よこれぇー……!!
 こんなところとか、すごくそっくり。
 それこそ、気持ち悪いほどに。
「みーそーらーぁ」
「ッ……うー……!!」
 すりすりすりすりすりすり。
 私より背の高い大の男に擦り寄られて、嬉しいはずがない。
 ……そ……そりゃあね?
 仁志になら……話は別だけど。

「ああもう!! ツカサ!!」

「っ……!!」
 ……そして、もうひとつ。
 ツカサ(猫)と同じだなぁと思うのが……コレ。
 私が怒った途端、まるで子どもみたいな顔をして動きを止めること。
「…………」
「…………」
「……美空が……怒った……」
「う。……ちょっ、ちょっとぉ……。……だから、泣かないでよ!」
 ……こうして半泣きになるのも、一緒。
 …………あー……。
 あああああああああーーーもーぉ……。
「……はぁ……」
 もしかしたらこの人、ホントのホントにツカサ(猫)だったのかしら……。
 端々に見えるクセといい、素振りといい……なんかもう、全部が全部、ダブって見える。
 …………。
「え……?」
「……おいで」
 隅っこのほうでイジけていたのを見かねて手を差し出すと、瞳を丸くしてから、嬉々として寄って来た。
 ……あーー。
 なんかもう、ますます猫としか思えない行動だわ。
 膝に擦り付けられた頭を無意識の内に撫でていると、そんな自分の反射的行動に、ため息が漏れた。

「テストするから」
「……テスト?」
「そう。テストよ、テスト! ……ホントに……あなたが、ツカサなのかどうか」
 お昼ごはんを食べ終えたとき。
 自室に戻った私は、彼にそう言っていた。
 ……自分でも、何馬鹿なこと言ってるんだろうって思ってる。
 思ってはいるけど……でも、そうなのかもって思い始めちゃったから、その疑問をなんとかしたかった。
「第1問。ツカサの1番好きな場所は?」
「美空」
「……いや、だから」
 ……あぁ……。
 やっぱり、猫ってあんまり賢くないのかしら。
 ベッドに座っている彼を見たままで、俯いてしまう。
「……だから、そうじゃなくて。ツカサが1番好きだった――」
「美空の匂いがするところが、1番好きだよ」
「……はぁ」
 ダメかもしれない。
 っていうかそもそも、やっぱ……こんなことを言い出した私にも責任があるんだろうけれど。
 私まで仲間になってどーするのよ。
 真顔で答えた彼を見たまま、眉が寄った。
「……あ……え……?」
「こっち」
 いきなり、立ち上がった彼が私の手を引いた。
 そういえば……初めて会ったときから本当に不思議だったんだけど、彼は、気味が悪いくらいウチのことをよく知っていた。
 どこに何があるとか、あそこにはこういう場所があるとか。
 しかも、ついさっきなんか――……お父さんがなくしたヘソクリの場所まで知ってたっけ。
 のんきな両親はそれで驚くどころかむしろ感謝してたけど、私はやっぱり気持ち悪かった。
「ここ」
「……え?」
「ここが、俺の1番好きだった場所」
 そう言って、躊躇なく彼が開けたドア。
 そこは――……物置になっている、納戸の部屋だった。
「……ここが……?」
「そう」
 嘘だ。
 そんな話、聞いたこともない。
 だっていつも、ツカサは私の目に見える場所にしか居なかったんだから。
 私が知ってる、ツカサのお気に入りの場所。
 それは、リビングのピアノの上か冷蔵庫の上。
 それで、お父さんがわざわざそこにベッドを作って――……。
「ほら」
「っ……え……」
 目が丸くなると同時に、ごくっと喉が鳴った。
 納戸の1番奥。
 そこにある窓際に、1枚のバスタオルが丸い形を作ったまま置かれていた。
「……これ……」
「ここが1番暖かいんだ。……美空の膝の上の次にね」
 そういって笑った彼を見ながらも、何も言えなかった。
 ……嘘。
 こんな場所あったなんて、知らない。
 それに、コレ。
 このバスタオルは、昔……私がツカサにあげた物だ。
 丸い形になっているのは、ツカサが……寝ていた証拠、だと思う。
 よく、ツカサがいたところには、そういう跡が残っていた。
「…………」
「どう? これで信じてくれた?」
「……まっ……まだ……!」
 少しだけ得意げな顔をした彼に一瞬見とれたものの、慌てて首を振る。
 もしかしたら、私が知らない間に家捜ししたのかもしれない。
 それでここを見つけたとすれば、簡単に話くらい作れるもの。
 ……騙されないんだから。
 だけど、ぎゅっと両手を握るものの……彼は少しだけおかしそうな顔をしていた。
「つっ……次!」
 部屋を出て、廊下に戻る。
 あのままあそこにいたら、ペースを持っていかれてしまいそうで。
 それが少しだけ、怖かったのかもしれない。
「じゃあ、次の質問ね? ツカサが1番仲良かった猫は?」
 廊下に戻ってから、ドアを背に立つ彼に人差し指を向ける。
 すると、ドアにもたれて顎に手を当てた。
「…………」
 ほーらみなさい。
 これは答えられないでしょ。
 ……ふふん。
 結局は、ホンモノがモノを言うのよ。
 やっぱり――……っていうかまぁ当然なんだけれど、彼がツカサ(猫)だったって言うのは口からでまかせなのよね。
 猫が人間になるはずなんて、夢かはたまたおとぎ話でしかありえないんだから。
「んー……そうだなぁ。……1番っていうのは……うーん……猫じゃなくて、芝原さんちのボブだけど」
「……ボブぅ……?」
「そう。ボブ」
 思ってもなかった発言に、思わず口が開いた。
 ボブというのは、彼が今言ったように、ウチの隣の隣の隣にある家の飼い犬のこと。
 ……犬よ? 犬。
 あくまでも、猫じゃなくて犬。
 嘘だぁ。
 だって私、ツカサがボブと一緒にいるところなんて、見たこともないもん。
 それに、ボブってすごく怖い犬なのよ?
 シベリアンハスキーなんだけど、ものすごく無愛想で、人嫌いっていうか……。
 飼い主の芝原さんでさえ、この間もまた噛み付かれたって言ってたのに。
 そんな犬と、仲いいはずがないじゃない。
「そんなわけないでしょ?」
「なら、確かめてみる?」
「……は?」
 なんで、こんなにも余裕めいた顔をしているんだろう。
 にっこりと微笑まれての言葉に、思わず何も返せなかった。


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