「ちょっ……ちょっと! ねぇ、ちょっと! ねえってば!! やめようよ!!」
「大丈夫だって。……美空は心配性だな」
「っだ……だからっ!!」
所変わって、芝原さんちの門柱前。
すぐそこにある犬小屋を覗く私たちは、ハタから見たらやっぱりものすごく変なんだろうと思う。
……でも、だって。
彼がここまで連れてくるから。
すごい力で引っ張られて、そこだけは決してツカサ(猫)とは違うな、なんて真剣に思った。
「それじゃ、見てて」
「あっ!? ちょっ……!!」
眉を寄せて考え込んでいたら、彼が飄々と中に入り込んでしまった。
「だ、ダメだってば! ねぇ、やめて! 危ないわよ!?」
「大丈夫だってば」
大丈夫じゃないから言ってるんでしょうが……!!
ひらひらと手を振る彼を精一杯説得するものの、まったく聞き耳を持とうとしない。
……あぁあああっ……!!
どうするのよ! とんでもないことになるわよ!?
「ねぇ! やめてってば!! ホントっ……ホントに、血が出るわよ!?」
「大丈夫だって。……あ。久しぶり、ボブ」
「っ……!!」
久しぶり、じゃないわよーー!!!
小屋から現れたのは、相変わらず厳つくて愛想もない顔のハスキー。
目が合った瞬間じろりと睨まれて、びくっと肩が震えた。
血が出る……!
容赦なく噛み付かれて、血が出るってばホントに……!!
ぞぞぞっと嫌な考えが頭に浮かび、血の気が一気に引く。
「え?はは。やだなー。俺だって、俺。ツカサだよ」
「ひぃいっ……!!」
彼が手を延ばした瞬間、ボブがものすごく怪訝そうに彼を見つめた。
く……っ……食われる!!
両手が、抱えていた頭から、塞ぐように瞳へ移動した。
「っ……!!」
神様!!
無宗教の分際で思わずそんなことを願った、次の瞬間。
思ってもなかった声が耳に届いた。
「ははは! やめっ……あはは! あははは!!」
「……へ……?」
笑い声、に違いない。
両手で塞いで真っ暗だった世界にゆっくりと光を入れると――……。
「え……」
あまりにも、予想からは遠い光景が広がっていた。
「……うそ……」
「あはは! っは……はあ……ったくもー。相変わらずボブは好きだなー、俺のこと」
「…………」
のしかかられ、べろべろと舐められている姿。
倒されて地面に寝そべっている彼に、ボブはじゃれつきながらその顔を舐めていた。
……唖然、とはこのことを言うんだろう。
開いた口が塞がらない、というのも。
「……は……ぁ。やっと出れた」
「…………」
べったべたになった顔をシャツで拭いながら私の隣に立った彼は、満面の笑みで私を見下ろした。
……いや。
いやいやいや。
そんな顔されたところで、信じられるわけじゃないから。
さも、自信満々みたいな顔をされても……ねぇ。
「元から仲良かったんでしょ?」
「まぁ……そうとも言うけど」
「だから。そうじゃなくて、人としてって意味!」
違う違う、と手と首を一緒に振りながら、しっかりと否定。
すると、まるで『やれやれ』とでも言わんばかりの顔をして、肩をすくめた。
「じゃあ、どうしろと?」
「だっ……だから……。だから、それは……」
う。と、思わず言葉に詰まった。
……そう言われても。
だって今の私には、『本当』とも『嘘』とも判断なんてできないんだもん。
「…………」
もしかしたら。
……いや、でもそんなことはこの世の中に限ってありえない。
ありえない、のよ。ホントに。
だって、猫が人間になんて――……そんな。
「……え?」
なんてことを考えていたとき。
不意に、通りを通ったきれいなお姉さんが、ツカサに手を振ったのが見えた。
「…………」
……そして。
それと同時に、彼が彼女に手を振り返したのも。
「待って!!」
「っわ!?」
「待ってください!!」
考えるよりも先に、身体が動いた。
彼の手を引っ張って駆け出し、そのまま、彼女のあとを追う。
すると、音で気づいてくれたのか、少しだけびっくりしたような顔をしてから私たちを振り返って足を止めた。
「あら、なぁに?」
「あのっ……! ひとつ、お……お伺いしたいんですけど……!!」
ふわりと香水の漂う、すてきな女性。
もしかしなくても、この人は彼を知っている!
それがわかったから、それを教えてもらうために自然と取った行動だった。
「あのっ! 彼のこと、ご存知なんですか!?」
ずいっと目の前に出したのは、もちろん彼。
両手で腕を掴んだまま差し出すようにすると、私と彼とを見比べてから、彼女がくすっとおかしそうに笑った。
「やぁね、美空ちゃんだってよく知ってるでしょ?」
「……へ?」
「あなたのウチの、ツカサ君じゃないの」
ちょーん。
ぴきぴきぱきっと、音を立てて空気が凍りついた気がした。
……夢?
それとも、幻? 勘違い? 幻覚?
「どうしたの? まだ話してないの?」
「いや……それがさ、信じてくれなくて」
「あー、やっぱり? ……ふふ。ウチのダーリンもそうだったわ」
「山本さんも?」
「うん。私が『ミケ婆よ』って言っても、1ヶ月くらいは変人扱いだったもの」
くらくらとした真っ暗闇の中で響く、ふたりの会話。
それは、紛れもなくふたりの人間がしていることなのに。
……なのに。
「…………」
浮かんだのはなぜか、ウチのツカサ(猫)と、近所に住むワタルお兄さんちのミケ婆ちゃん(猫)が話している姿だった。
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