「細い路地にあるから、結構わかりにくいんだよ」
「わぁ……ホント。私ひとりじゃ辿り着けないです」
 お寺のすぐ横にある細い路地を曲がると、ひっそりと竹林に囲まれてそのお店はあった。
 時代劇などに出てきそうな甘味処そのもので、情緒あふれる感じにちょっぴりわくわくする。
「いらっしゃいませ」
 中に入ると、いちばん奥の席に案内され、小さなお品書きを渡された。
 風情があるなぁ……と思いながらしげしげ眺めていると、瀬尋先生が両手を組んでテーブルへ置く。
「ここはさ、昔、孝之がどうしても来たがったんだよ」
「え、お兄ちゃんがですか?」
「ほら、アイツ甘いの好きだし。どこで聞いたんだか、情報仕入れててね」
 意外な人物の名前が出て、思わず目が丸くなる。
 確かにお兄ちゃんは、昔から甘い物が好きだったけれど……。
 まさか、ここにきていたなんて、意外すぎる。
 というか、瀬尋先生もしかしてお兄ちゃんにかなり振り回されてきたんじゃ……。
「え?」
 なんてことを考えていたら、彼がお品書きを指差した。
「ここのあんみつが有名らしいよ。あのとき、アイツ何食べたかな……たしか、アイスと生クリームが付いてたのだと思うから……これとか?」
「わ。甘そう……ていうか、こってりそうですね」
「だね。俺はお茶だけで……ってわけにもかなくて、これ食べたけど」
「先生、甘いの苦手なんですか?」
「うん」
 苦笑を浮かべた彼がかわいく見えて、思わず笑みが浮かぶ。
 それにしても、甘い物が得意じゃないのに連れてきてくれたなんて、優しいなぁ。
 彼の気遣いがとても嬉しくて、胸がじんわりと温かくなる。
「決まった?」
「はい。先生オススメの、あんみつにします」
 にっこり笑ってうなずくと、目を丸くした彼が頬杖をついて私を見つめた。
 えっと……なんだろう。
 というか、こんな近い距離でそんなふうに見られると、すごくドキドキするんですけど。
「……羽織ちゃんてさ」
「はい?」
「孝之と違って、ホント素直だね」
「っ……」
 言い切ったあとの笑みが、とても優しかった。
 うぅ、絶対顔赤くなってると思う。
 それを知ってか知らずか瀬尋先生は手を挙げて店員さんを呼び、あんみつを注文した。
 とはいえ、今回はひとつだけ。
 どうやら当時よりも甘い物は苦手になっているようで、代わりに彼は『日永先生にお土産』と包装された豆大福がついた抹茶のセットを頼んだ。
 ほどなくして運ばれてきたあんみつは、涼しげなお椀に入っていて、いろどりがとてもキレイだった。
 一緒に届けられた玄米茶は温かく、とても香ばしくていい香り。
「……おいしそう」
 ひとつひとつが丁寧にきちんと並べられていて、崩すのがもったいないあんみつ。
 ……だけど、やっぱりおいしそうで手が伸びる。
「いただきます」
 木のスプーンを握ってからあいさつを口にし、黒蜜をかけてから――ひとくち。
「……う」
「ん?」
「おいし……」
 絶妙な黒蜜の甘さといい、コクのある風味といい、これは……おいしい。
 にんまり笑って頬へ手を当てると、瀬尋先生が笑った。
 ……う。
 もしかして、そんなに変な顔してたかな。
「もぅ。何も、笑わなくてもいいじゃないですか」
「いや、ごめん。アイツと同じ反応するから、つい……兄妹だなと思って」
「っ……もぅ」
 言いながら、また堪えきれないように笑い出した彼に眉を寄せるものの、いつしか自分にも笑みが浮かんでいた。
「だって、おいしいんですもん」
「それはよかった」
 彼もまた、うなずきながら笑った。
 こんなふうにふたりきりで過ごせる時間があるなんて、本当に、誰に感謝すればいいんだろう。
 って、きっと『単独行動』するって言ったから、心配で来てくれたんだろうなぁ。
 申し訳ない気もするけれどーーでも、おかげで嬉しい時間が過ごせている。
「…………」
 改めて、今、ふたりだけで動いていると意識してしまい、どきりとした。
 周りから見たら、それこそ……恋人同士に見える、かな。
 や、あの、さすがに私が子どもっぽいかなとは思うんだけど、でも……うん。
「ん?」
「う、なんでも……ないです」
 じぃ、と見ていたことに当然かもしれないけれどすぐ気付かれ、慌てて手を振ってからあんみつへと意識を戻す。
 さすがにそんなことを彼には言えない。
 何考えてるんだろう、私。
 年下で、高校生で……瀬尋先生にとっては友達の、妹。
 ……望み薄いよね、普通は。
 少しだけ赤くなった頬を誤魔化すように手を当ててから、再びスプーンであんみつをすくいながらも、ため息が漏れた。

「はー……おいしかったです……」
「羽織ちゃん見てると、本当においしいんだなーってわかるよ」
「う……子どもみたいですよね。恥ずかしいです」
「いや、素直でいいんじゃないかな」
 子どもっぽいと思うけれど、だって、おいしかったんだもん。
 でも、瀬尋先生は笑うことなく、『連れてきた甲斐があるよ』と嬉しいことを言ってくれた。
「……あ」
 何時かなと思ってスマフォを取り出すと、ちょうどメッセージが届いた。
「連絡あった?」
「はい。買い物終わったけどどうする? って。ちょうどいいので、合流しようかと思ってます」
「うん、それがいいかな。慣れない土地っていうのもあるしね」
「あ……やっぱり、私がひとりで動くって知って、瀬尋先生来てくれたんですか?」
「まあそれもあるけど、どっちかっていうと、興味本位かな。あんな渋いところへ本当に来るのかなーと思ったら、ホントに来たでしょ? だから、ああこの子正直なんだなって感心したよ」
「……う。なんか……それってどういう……」
「いや、褒めてるつもり」
 それは本気にしていいんだろうか。
 ちょっぴり悪戯っぽく笑われたような、口調が違ったような気もするんですけど、まあ……褒められたと取ることにします。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
 もう少しいろいろと話をしたい気もしたけれど、瀬尋先生はもちろん仕事があるわけで。
 私も合流しなきゃいけないし、そろそろ戻らないと。
「あ」
「いいよ」
「えぇ!? だめですよ!」
 立ち上がって伝票を手にした彼は、振り返ることなくレジへ向かった。
 お財布を取り出して隣へ立つものの、ちょうどレシートを受け取ったところで。
 笑った彼が扉から外へ先に出てしまい、慌てて追う。
「瀬尋先生、お金……!」
 眉を寄せて呟くと、笑顔で首を振られてしまった。
「いらないって。俺が誘ったんだし」
「でも!」
「高いものでもないし、ホントにいいから」
 そんなふうに言われてしまうと、何も言えなくなってしまう。
 ……でも、これ以上食い下がるのも、できない。
 いいのかなぁ、本当に。
 これもお兄ちゃん特約だとしたら、よっぽどだと思う。
 ……お兄ちゃん、瀬尋先生に何かしたんじゃないの……?
 いろんな意味で不安になった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「でも、本当に……」
「あーわかった。じゃあ、孝之から徴収しとくから」
「あ……じゃあそれで」
 そう言ってもらえると、ちょっと楽になるのはどうしてかな。
 きっと彼はそんなことしないんだろうけれど、それでも、逃げ道として用意してくれたことがありがたかった。
 ひょっとしたら、今ごろお兄ちゃんはくしゃみしてるかもしれないけど。
「ひとりで平気?」
「はい、大丈夫です。というか……さすがに見えてますから、迷いませんよ?」
「そっか。じゃあ、俺はこっちから向かうから」
「あ、はい」
 ちょうど分かれ道にさしかかったとき、瀬尋先生は左手に折れた。
 ……あ……終わっちゃう。
 ふいに感じた寂しさが顔に出そうになり、慌てて笑みを作る。
 違うでしょ。
 今までが特別すぎた時間だったんだから。
 彼には彼の、『先生の時間」がある。
「じゃあ、またね」
「はいっ!」
 軽く手を挙げた彼が、あちらへ足を向けた。
 少しずつ離れる、背中。
 広がる、距離。
「ごちそうさまでした!」
 このまま離れてしまうのが切なくて、つい声をかけていた。
 顔だけで振り返った瀬尋先生が、手をあげる。
 そのとき笑顔を向けてもらうことができて、心底嬉しくて……やっぱり名残惜しいと感じた。

「じゃあいーい? 各自部屋に戻ったあとは、しばらく自由時間ね。ただし、外出は禁止! 報告会議の時間になったら、班長は私の部屋に集合することー」
 夕食を済ませた大広間で、日永先生が立ち上がった。
 自由時間とはいえ、この時間に入浴を順に済まさなければいけないので、実質の自由時間はわずかなものだけれど。
 みんなと同じように、自分たちも部屋へ戻ると、早速ひとりの子がテレビをつけた。
「あ、やってるやってるー」
 最近はやりのドラマの主題歌が流れ出すと、何人かがテレビへ釘付けになった。
 その一方で、絵里は私を手招いてから、袋から取り出した何かを目の前に広げる。
「じゃーん。これにしたんだけど、どう?」
「っ……な……!!」
 ごくり。
 あまりにも衝撃的すぎて、喉が鳴る。
「いいでしょー? キワキワでー」
「あの……あのね、絵里。キワキワで……じゃなくて……!」
 絵里が取り出したのは、ノースリーブの上着だった。
 色は好きだけど、背中があまりにも大きく開いていてかなり派手。
 ……こんな服、どこに着ていけっていうの……。
 彼女に託した私が甘かった。
「これ……」
「何よ、文句?」
「えー、かわいいじゃん。羽織はもーちょっと肌出せばよくない?」
「そーそ」
「えぇ……?」
 絵里の言葉に、テレビを見ていた何人かが賛同し、にっこりというよりは、悪戯っぽく笑った。
 確かに、自分では選ばないような服だ。
 ……でも。
 デザインは嫌いじゃないけど、いまいち着る勇気は出ない。
「ま、これで今年の夏は彼氏でも作りなさいってば」
「えぇ……?」
「あ、そうだ。彼氏と言えば……」
 ひとりの子の言葉に、絵里がぴくりと反応を見せた。
 にやりとした笑みを向けられ、たちまち嫌な予感を抱く。
「さっき、瀬尋先生が自販機のとこにいたわよ。あんたちょっと行って来なさい」
「えぇ!? なんで!?」
「なんでって何よ。いーじゃない、おもしろいし」
「ちょ、絵里!」
 さらりととんでもないことを口にした彼女が、立ち上がって手を引いた。
 え、やだ! ていうか、いらない! 大丈夫、間に合ってるってば!
 掴まれた手を必死に引き、ふるふると首を横に振る。
 だけど、何人かの子が気づいて絵里が何かしようとしてるのを察知すると、なぜかそちら側へ加勢についた。
「ちょっ……! やだみんな、なんで!?」
「えー、なんか知らないけど、楽しそうなんだもん」
「楽しくないってば!」
 こういうとき、どうしてみんな私のほうについてくれないんだろう。
 手を引く子と背中を押す子とに分かれられ、もはや多勢に無勢。
 ああやだ、ちょっとやめてお願いだから……!
 ていうか、いいってば!
 別に今、瀬尋先生と話さなくても、昼間にこっそり話せたから大丈夫ーーとはさすがに言えないけれど。
「わあ!?」

 ぺいっ。バタン。

 背中を強く押された瞬間、誰もいない廊下に追い出された。
「えぇ!? ちょ、絵里!」
「ごゆっくりー」
「やだやだ、入れて!」
 ついさっき部屋にきた仲居さんみたいな声が聞こえ、いくらドアを叩いても開けてくれそうになかった。
 だけじゃなく、笑い声とともに鍵の閉まる音が人気のない廊下に響く。
「ちょ……! 冗談でしょ!?」
「ほらぁ、早く行ってきなさーい。行ってきたら開けてあげるから」
「もぅ、絵里!!」
 どんどんとドアを叩きながら、中に声をかける。
 ひとけのない廊下。
 ここで騒ぐわけにはいかないけれど、でも、すごい切ないんだけど!
 うー……開かない。
 ガチャガチャとひねったドアノブを恨めしく睨みながら、仕方なくため息をついてその場をあとにする。
 といっても、瀬尋先生に対して何をすればいいのか謎だし、絵里が何を望んでるのかもわからない。
 ……あ、どうせなら小銭持って来ればよかったなぁ。
 ちょっと喉が渇いていたことに、今気づいた。
「……はぁ」
 仕方なくため息をつきながら、自動販売機の置かれていたほうへ足を向ける。
 すると、その場所が近くなるにつれて、ぼそぼそと話し声が聞こえたように思えた。


ひとつ戻る   目次へ   次へ