「……なんで、イヴにお前とメシ食わなきゃなんねーんだよ」
「その台詞そっくりそのまま返すけど、誕生日だったよな? なら賑やかでいいだろ? むしろ」
「あのな。誰が祝ってくれっつった」
「なんでそんなに不機嫌なんだよ。……それとも邪魔したか?」
「は? わけわかんねぇ」
 ざわざわと騒がしい、熱気が溢れた店内。
 そこで今、私と先生の目の前にはお兄ちゃんと葉月が座っていた。
 互いに機嫌が悪そうな先生とお兄ちゃんの顔を見比べてから、つい、口が開く。
「……ごめんなさい。私……」
「なんで謝るんだよ。羽織ちゃんが悪いわけじゃないだろ? 悪態をつく、こいつが悪い」
 思わず漏れた言葉に、彼が鋭く反応を見せた。
 少し驚いたように瞳を開いてから、柔らかく笑って頭を撫でてくれる。
 それがすごく、安心できた……んだけど……。
「俺が悪いのか。あ?」
「悪いだろ。どう考えたって」
「ンだよ!」
「なんだよ」
「もう。たーくん!」
 葉月が眉を寄せてお兄ちゃんをたしなめると、相変わらず不機嫌そうながらもそれ以上は何も言わなかった。
 うーん。
 やっぱり、葉月は強いなぁ。
 でも、確かにまぁ……お兄ちゃんがああ言うのもわからないではないんだよね。
 だって、せっかくのイヴなんだもん。
 ていうか――今日はお兄ちゃんの誕生日、だし。
「お待たせしましたー」
 私たちが4人でいるここは、オシャレなレストランでも、クリスマスの飾りつけがしっかりと施されているお店でもない。
 何を隠そう、ここは……。
「あー。うまそ」
「そうか?」
「……お前な」
「お前、相変わらず好きだな。それ」
「いーだろ、別に。つーか、もんじゃは基本だろ。お好み焼き食う前に、まずこれ」
「いや、その理論はおかしい」
「うるせぇな!」
 そう。
 ここは、外見からしても間違えようのない、鉄板焼き専門店。
 ……っていうか、メインはお好み焼きなんだけど。
 大き目のどんぶりに入ったお好み焼きの具を、木のスプーンで混ぜると同時に、漏れるため息。
 別に、イヴに色気のないお店にいるからなんかじゃ、もちろんない。
 そして、彼とふたりきりでイヴをすごせなかったからなんかでも、もちろん……ない。
 だって、私が『4人でごはん食べよう』って提案したんだもん。
 理由は単純明快。
 ただ単に、彼とふたりきりですごすだけの自信がなかったから。
 あれから、ずっとこんな調子でテンションがイマイチ上がらないのだ。
 彼と自分が釣り合っていないんじゃないか、って思ってしまってから……ずっと。
 ……だから、ずるいの。私は。
 誰が文句言っても、謝るしかないの。
 だって、私は自分のエゴでみんなを巻き添えにしたんだから。
「どうした?」
「え……?」
 隣から聞こえた声でそちらを見ると、少し心配そうな顔をした彼がいた。
「え、あ、ううんっ。なんでもないです」
「……そう? なんでもないようには、見えないけど」
「羽織。お前、もっと手早くできねぇの?」
「たーくん、そんな言い方しなくてもいいでしょう? ……それに、お好み焼きは混ざればいいんじゃないの?」
「わかってねーな、お前。いいか? お好み焼きってのは、そんなに単純な食い物じゃねぇぞ」
「……お前は気合入れすぎなんだよ。だから」
「あのな。お前は昔っからなんにでも気合を入れなさすぎだ!」
 目の前で繰り広げられる話に、つい笑みが漏れた。
 相変わらず、なんか、気が抜ける。
「……え?」
「そーゆー顔してるように。せっかく、明日から冬休みなんだよ? もっと楽しい顔しなきゃ」
「……うん」
 ぽんぽんと頭に手をやられて、再び笑みが浮かんだ。
 そう……だよね。
 彼がこんなふうに笑みをくれている間は、きっと大丈夫なんだ。
 私は、こうして隣にいていいんだ。
 こうして彼が私を肯定してくれるたび、ちょっとだけ自分に自信が戻ってきたような気がして嬉しくなる。
 自分が彼の彼女なんだっていう、大きくてすごく特別な自信が。

「そー言ったんだよ。ありえねーだろ? 優人のヤツ」
「けど、アイツは昔からそんなことの繰り返しだったろ?」
「いや、でもな?」
 お店に入ってから、結構な時間が経った。
 冬とはいえ、暖房が効いている上に目の前にある鉄板のせいで、やけに店内が暑く感じる。
 上着を1枚脱いで軽く袖をまくっても、まだ暑い。
「……はぁ」
 空いたグラスを持って立ち上がり、ドリンクバーへと足を向ける。
 これで、何杯目だろう。
 ていうか、お兄ちゃんがやたら話しすぎ……。
 ……あ。
 そういえば、今日はお兄ちゃんの誕生日だもんね。
 もしかして、お父さんたちにほったらかしにされて、うっぷん晴らしてるんじゃ……。
 彼ならば、ありえなくもないこと。
 グラスにアイスティーを入れながら、ふとそんなことが思い浮かんだ。
 入り口付近にあるドリンクバーは、やっぱり涼しい。
 すっかり溶けてしまった氷を補充するべく、アイストングでひとつずつ掴んでグラスに入れる。
 そのときに聞こえる音は、結構好きなんだよね。
 カランっていう、グラスと氷のあの音。
 この透明な音は、やっぱり何度聞いても飽きることはない。
「どうしたの?」
「え?」
 その声で顔を上げて初めて、自分が今まで俯いていたことに気付いた。
 ……そんなに、考え込んでたのかな。
 少し心配そうな笑みを浮かべている葉月を見たら、思わず瞳が逸らせなくなる。
 だって、そんなに心配そうな顔されたら……ねぇ?
「元気なかったでしょ? ずっと」
「……わかった?」
「ん。何年、羽織と付き合ってると思うの?」
「あはは」
 少しだけいたずらっぽい顔をした彼女に笑みを見せ、ふっと表情を緩めて壁にもたれる。
 ……ああ、なんか今日はだめだなぁ。
 もしかしたら、こうして久しぶりに会ったから、いろんな甘えが余計に出てきちゃうのかもしれない。
「……葉月は……さ」
「うん?」
 両手でグラスを包んで視線を落としてから、あらためて瞳を合わせる。
 相変わらず、優しい顔。
 穏やかで、かわいくて、なんだか――。
「っ……羽織……!」
「……あ、れ」
 ぼろっと、涙がこぼれた。
「あ……ごめ……っ。なんだろ、変だね。ごめん」
 慌てて涙を拭い、少し深呼吸して息を整える。
 すると、急にその手を取られた。
「葉月?」
「話そっか」
 軽く首をかしげ、『ね?』と言われて、思わず眉が寄る。
 人って、優しくされると余計に泣けるんだなぁ……なんて、身をもってこのとき実感した。

「不安なの。……私」
 通路に設置されていたベンチに座り、そっと話を切り出す。
 ぽつりぽつりと、うまく続いていかない言葉。
 だけど、葉月は一生懸命に聞いてくれた。
「私と先生って、なんか……似合わないっていうか、不相応っていうか……」
「羽織が?」
「……うん」
 彼の家で考えてしまってから、ずっとどうしても考えがいいほうには向いてくれなかった。
 彼が笑いかけてくれると、嬉しい。
 だから、きっと私だけがこんな考えで悩んでるんだって、思える。
 ……でも、なんだか申し訳ない気がするんだよね。
 彼に対して。
「……相変わらず、私は子どもっぽいなぁ……って思って。先生は私より年上で、きっと、もっとキレイで大人の女性が似合うと思うの。……そう思ったら……なんか、自信なくなって……」
「けど、瀬尋先生はそんなふうに思ってないでしょう?」
「……多分」
「多分、じゃないよ。絶対に思ってないからね」
「……え?」
 きっぱりとした明るい声でそちらを向くと、目が合った途端ににっこりと葉月が微笑んだ。
 その顔は、いかにも確信がありますっていう感じで、つい瞳が丸くなる。
「瀬尋先生が羽織のこと話してるとき、どんな顔してるか……知ってる?」
「……顔?」
「うん」
 顔。
 んー……。
 正直言って、よく知らない。
 だって、私の目の前で彼がそんな話をすることって少ないっていうか……ほとんどないっていうか。
 どんな顔してるのかって言われても、私には答えることはできない。
 すると、葉月が小さく笑みを見せた。
「瀬尋先生、本当に羽織のこと好きなんだなぁって誰でも思うような顔してるよ」
「……先生が……?」
「うん。それにね、今日大学で瀬尋先生と少し話したんだけど……羽織のこと、とってもよくわかってるんだなぁって感じたの」
 ふふ、と笑われて彼女を見ると、柔らかく微笑んでから人差し指を立ててこう続けた。

Don't hesitate,Honey(ためらわないで)

「……え……?」
「羽織が教えてくれた曲のセリフ。覚えてる?」
「う、ん」
 もちろん、忘れるはずなんてない。
 だって、あの曲はまさに――今日という日そのものだから。
「羽織は、瀬尋先生が好きなんでしょう? なら、彼に対して申し訳ない気持ちなんて持たずに、彼を信じて好きでいつづけるべきだと思うよ」
「っ……」
 ね? と笑みを浮かべながら続けられたら、自然にうなずいていた。
 それを見た葉月が、ゆっくりと頭を撫でてくれる。
 優しい手のひらの感触。
 ……ああ、なんだかすごく懐かしいような気がするのは、どうしてかな。
「本当は、羽織だってわかってるんでしょう? ……彼のそばから離れることはできないんだ、って」
「……うん」
「もう、泣かないの。瀬尋先生が心配するよ?」
「うん……っ」
 ぎゅっと抱きしめられて再度首を縦に振ると、よしよしとまた頭を撫でてくれた。
 自分ひとりで悩んで、自分の中で解決しようとして……それで、よく失敗する。
 彼と付き合うようになって、少なからずそんな昔の自分と変わることができたって思っていたのに。
 結局、肝心なときに自分ひとりで全部背負い込もうとしちゃうんだなぁ……。
 昔から、私がすんなりとうなずくことができる言葉で慰めてくれる葉月は、なんとなくだけど、先生と似ている気がした。
 彼に私がこんなことを言ったら、きっと葉月と同じようにすんなりと納得させてくれるだろう。
 ……あ、でも、その前に怒られるかな。
 先生の気持ちを疑ったわけじゃない。
 だけど、彼に対して不安になったのは事実だから。
 このことは、彼には内緒にしておこう。
 だって、彼を不安にさせてしまうのは、すごくつらいもん。
「戻れる?」
「あ……うん。だいじょぶ」
「じゃ、行きましょ」
「ん」
 手を引いて立ち上がるのをうながされて笑みを見せると、安心したように大きくうなずいてくれた。
 ありがとう、葉月。
 ……私、自信持っていいんだよね。
 席へ戻ると、お兄ちゃんと先生のいつものような姿が見えて、嬉しくもありちょっぴり羨ましくもあった。


 ひとつ戻る   目次へ   次へ