「……君は、いつもそうだな」 「ご……ごめんなさい」 「ったく。……つーか、そんなこと俺が一度でも言ったか? え?」 「…………言ってません……」 なぜか、正座してる現在。 そうなのです。 あのあと、笑顔で彼の隣に戻ったまではよかったんだけど……つい、ぽろっと出てしまったのだ。 私が元気なかった理由、が。 その場では何も言われなかったんだけど……やっぱり、家に帰ってきたら即捕まえられた。 ソファにもたれて私を鋭く見ている彼の前に座ったままで続けられている、このやり取り。 ……うぅ。 お説教されてるみたい……。 あ、ううん。みたいじゃなくて、されてるんだよね。これは。 「だいたい、俺が一度でも羽織ちゃんに対して何か不満言った?」 「……言ってない、けど……」 「けど、じゃない」 「……ごめんなさい」 ぴしゃりと否定され、再び俯く。 ……うー。 どうしよう。 先生、なにげにすごく怒ってる。 いつもだったら、家に帰ってきてすぐにテレビをつけたりなんだりで、音が溢れる室内。 なのに、今日は暖房をつけた程度でほかの音なんて一切しない。 耳に痛い雰囲気というか……すごくすごく、気まずさが立ち込めている。 「……あの……先生」 「何」 「…………怒ってます?」 「怒ってます」 ……う。 何もそんなにピシャピシャ言わなくてもいいじゃないですかっ。 ……でも、確かに……先生の気持ちがわからないわけじゃないから、何も言えないんだけど。 それに……ね? 彼がこれだけ怒ってくれていることが、ちょっと嬉しかったりするんだよね。 不謹慎だって怒られるかもしれない。 だけど、これだけ彼が怒ってくれるということは、私が不安に思っていたことなんてまったく必要ないっていう意味でしょう? ……だから。嬉しかったんだもん。 「こら」 「……ぁ」 なんて考えていたら、彼と目があった。 ……どうやら……考えながら、笑ってしまっていたようだ。 瞳を細めて顔を近づけられ、思わず眉が寄る。 「人が説教してるのに、何? おかしいか?」 「……ち、違うの。あの、これは――」 「言い訳はいらない。反省の色がない子は、とことん説教するよ? 俺は」 「っ……ごめんなさ……!」 いつもと違う雰囲気になり、自分がしたことがどれだけ彼を裏切るようなものだったのかがわかった。 ……すごく申し訳ない。 でも、今回は私が勝手に不安になっただけで、先生は何も悪くないのに。 …………なのに。 「……ごめんなさい……」 「謝る暇があったら、目を閉じる」 「え?」 目……? どういう意味かわからずに彼を見ると、早くしろといわんばかりの顔を見せた。 ……う。 怖いです、先生。 「何……するんですか?」 「容赦しないから」 「えぇ!?」 「え、じゃない。いいから、少し黙る」 「……ぅ。はい……」 慌てて俯いてから瞳を閉じると、途端に不安がもやもやとたちこめ始めた。 ……何されるんだろう。 …………ひょ……ひょっとして、叩かれる!? でも、まさか彼に限ってそんなこと――……。 「っ……!」 いきなり彼が顎をつかんで上を向かせた。 平手……かもしれない! そう思い、たまらず腰が引けて背が丸くなる。 「……んっ!? ……っ……!」 だけど。 …………だけど、私の予想とは180度逆の物だった。 途端、目が開く。 ……まさか、この状況で彼がキスしてくれるとは思ってもなかった。 「ん、ん……っ」 てっきり、怒られるんだって。 ヘタしたら、叩かれるんだって。 ……私は、そう思っていたのに。 「ふ……ぁ……んんっ!」 一瞬唇が離れたかと思いきや、すぐに塞がれて続けられる口づけ。 息をするのもままならず、耳元に響くのはいつもと違うやけに濡れた音だけ。 こんなふうにキスされたことなんてない。 いつも、もっと優しくて。 苦しくなったりしないようにって、気遣ってくれるものだったから。 ……それなのに。 「ん……んっ!」 いきなり舌を絡め取られ、しっかりと顎を掴まれたままでのキス。 体重をかけられて動こうにも動けず、いつしか彼に当てていた手からも力が抜けた。 「っ……はぁ!」 ちゅ、という音で解放され、大きく息を吸い込む。 ……あ……れ。 顎元に手をやって、ようやく気付いた。 顎だけじゃなく、首筋が僅かに濡れていることに。 慌てて軽く拭おうとすると、その手を彼に掴まれた。 「せ、んっ……!?」 ぐいっと引き寄せられたかと思いきや、途端に首筋へ彼が唇を当てる。 「あっ……や……!」 濡れた舌の感触。 ぞくっとすぐに身体が反応を見せ、たまらず声が漏れる。 「……容赦しないっつったろ」 少し掠れた声で顔をのぞき込んだ彼を見たら、喉が鳴った。 ……こんな顔した先生、初めて見た。 すごく怖い顔で、すごく真剣な瞳で。 …………だけど、とっても艶っぽい雰囲気があった。 「不安にさせて、ごめん」 「っ……!」 眉を寄せて頬を撫でた彼に、こちらも眉が寄る。 そんな顔しないで。 ……だって、違う。私が悪いのに。 「ちがっ……違うの! 先生が悪いんじゃなくて、私が――……」 「羽織ちゃんが不安になったのは、俺のせいだよ」 「違います! だって、先生は……」 「つい、甘えてたんだよ。……羽織ちゃんに、ずっと」 「……え……?」 首を振った私を抱きしめてから、耳元で呟かれた。 掠れた声でもう1度『ごめん』と言われ、身体から力が抜ける。 「俺が何しても許してくれて、いつも笑顔を見せてくれるから。何も言わずに、そばにいてくれるから。……だから、てっきり羽織ちゃんも同じなんだって思ってた」 ぽつりぽつりと続けられる、彼の声。 そのどれもが身体に染み込んできて、温かい。 囁きながら、髪を撫でてくれる大きな手のひら。 なだめるように、落ち着かせるように。 彼にそうされて、自然と唇が開いた。 「……もっと、大人になりたかったの。……先生に、近づきたかったの」 「大人になる必要なんてないんだよ。……ね? 俺が好きなのは、大人ぶってる羽織ちゃんじゃないんだから」 「けど……! 私、先生に似合うような子に――」 「……だからー……」 「っ……!」 ぐいっと両頬を包まれて視線を合わされ、思わず目を見張る。 ……お……怒ってます……? 眉を寄せて瞳を細められると、何を言われるかすごく不安になる。 だけど、しばらくそのままでいてから、小さく笑って首を横に振った。 「変に背伸びする必要はないんだよ。俺は、大人になろうと悩んで一生懸命がんばってる羽織ちゃんが好きなんだから。……大人びてる羽織ちゃんが好きなんじゃない。わかる?」 「………でも、それで……いいの?」 「いいから、言ってるんだろ?」 「……そっか……ぁ」 少し呆れたように笑われて、こちらも笑みが漏れた。 よかった。 でも、そう思うのと同時にごめんなさい、とも思う。 ひとりで考え込んで、困って、苦しんで……結局彼に迷惑をかける。 だったら、最初から彼に相談しちゃえばいいのに……って。 今度からは、こうしません。 ……今自分はこう思ってるんだけど、それってどうですか? って……ちゃんと話せるようにしたい。 私の目標。 また、ひとつ増えた。 「……やっと笑った」 「え……?」 「泣きそうな顔されると、ものすごく困る」 「……ごめんなさい」 「いいえ」 彼がくれたキスは、さっきとは違ってすごく優しかった。 ……こうされると……照れるんだよね。 なんていうか、ちゃんと目を見れないっていうか……。 「……ぁ」 「何赤くなってるのかな」 「だ……だって……」 「……言っとくけど、あんなの序の口だよ?」 「………………はい?」 にっこりと笑った彼は、さっきまでの先生らしさなんてなくて……いつもと同じ、意地の悪い顔なんですけれど。 ……あれ? なんか……変じゃない……? ……っていうか、この雲行きは、怪しい……よね。どう考えても。 「……あ、あの、え……。え?」 「不安になんて思わないように、しっかり愛してあげるから」 「な……!? ち、ちがっ! だから、あの、私はそういう意味じゃ――」 「大丈夫。さっきみたいに、手加減したりしないし」 「はい!?」 がしっと両肩を掴まえられ、逃れようにも身体が動かない。 だけど、今だけは逃げないとダメだと思う。 だってほら、もう、不安も消えたし。 それに、あの……この状況は、すごく危ないって身体が警鐘を鳴らしているから。 「あの、大丈夫です! もう平気だから!」 「平気じゃないだろ? 泣きそうになってたクセに。大丈夫だって。ね? どんなに長い夜も、朝は来るから」 「そ……そういう問題じゃないです! それに、今日は――」 「いいから。んじゃ、手始めに一緒に風呂入ろうか」 「あ、ちょっ……!? 先生、ちょっと待って! なんか、違う!」 「違わないって」 「違いますよ!!」 ぐいっと両脇に手を入れて立たされ、ぶんぶんと首を横に振る。 だけど、そんなことお構いなしって顔をされて、血の気が引いた。 ……ちょ……ちょっと待ってください! 「何? もう1回、キスしてほしい?」 「っ……!」 「……それとも、ここでしたいの?」 「なっ……!?」 もがいていたら、ぐいっと顔を近づけて小さく囁かれた。 ……ずるい。 こんなふうにされたら、だからもう……ずるいんですってば! 「じゃ、行こうか」 「っせ……先生っ!」 「せっかくのクリスマスだしね」 「クリスマスと関係ないです!」 手を引いて浴室に足を向けられながら首を振るものの、こちらを振り返ろうとしなかった。 ……確かに、彼があんなふうに言ってくれたのは嬉しかった。 だけどだけど! 何も、こんな展開を望んでいたわけじゃ……。 「ねぇ、先生! 待って! ちょっ――」 「Don't hesitate,Honey?」 「……え……」 さっき、聞いた言葉。 ……だけどそれは、彼からではなく……葉月から、なんだけど。 「どうした?」 「……あ……。ううん……なんでもないです」 「じゃ、入ろうか」 「あ、ちょ! 先生ってば!!」 思わず足を止めて普通に首を振ったら、改めて手を引かれた。 「待ってくださいっ!!」 だけど。 そんな叫びもむなしく、ぱたんと後ろでドアが閉まる音がした。 ――……結局。 確かに、不安は拭うことができた。 ……なんだけど。 これって、喜んでいいのかな? ……よくない……よね、きっと。 彼に服を脱がされかけて慌てて襟元を掴んだものの、結局……こちらも予想外の結果になったんだけど。 どう言ったら、よかったんだろう。 クリスマスに彼の気持ちを改めて感じることができたのは、嬉しいんだけど。 ……ね。 でも、まさか葉月と同じことを彼が言うなんて思いもしなかった。 …………絵里みたいに、今度は葉月も先生みたいになっちゃうなんてことは……ないよね? さすがに。 なんて、そんなことをしばらく経ってからも拭えなかったんだけど、それはまぁ……思い過ごしということにしておこう。 ……ねぇ、先生。 すごくすごく嬉しかったんだけれど、でも……ね? もう少しだけ、その意地悪な顔が減ってくれると……もっと嬉しいかなぁ。 ……なんてことを考えながらも、いつしか笑みが浮かんでいたんだけれど、ね。