「……あー、やっぱり寒いな」
「ですね」
 吐く息が、すぅっとすぐに白く溶ける。
 時間はすでに、いつもだったら眠っているようなころかもしれない。
「……あっ」
「このほうが温かいだろ?」
「ん……」
 右手を取ってくれた彼が、そのままポケットへと繋いだままで手を入れた。
 ……ぎゅっと握られる、感触。
 それに、自然と顔がほころぶ。
 ――……ここは、神奈川でも山梨県寄りのところにある、清川村。
 県内唯一の村であり、毎年この時期には結構な観光客を呼んでいる場所だった。
 ……その理由が、ここ。

 “宮ヶ瀬ダム”

 『日本一大きなツリー』という謳い文句通り、天然のモミの木を使った大きなツリーがあるのだ。
 きれいにライトアップされているそれは、まさに壮観で。
 きらきらと光るイルミネーションを見ていると、惹き込まれそうになる。
「……あ」
「ん?」
「それで、こんな時間に連れて来てくれたんですか?」
「まぁね。……さすがに、こんな時間なら知り合いも少ないだろ?」
 苦笑を浮かべてうなずいた彼に、ふっと笑みが浮かんだ。
 今日は、クリスマス・イヴ。
 ……あ。
 もう時間が変わったから、『クリスマス』かな。
 でも、そんな特別な日と言うか、まさにクリスマスの本番という日だからこそ、周りを見渡せば私たちと同じように寄り添うカップルの姿が多くあった。
「……まさか、自分がここに来るとは思わなかったな」
「え? ……そうなんですか?」
「うん」
 肩をすくめてそう呟いた彼が、木の柵にもたれてから私を抱きしめた。
 温かくかかる吐息が、少しだけくすぐったい。
 でも、それ以上に――……やっぱり、こうして彼とくっついていられることが、何よりも素直に嬉しかった。
「……俺も変わったよ」
「え?」
「すっかり、昔自分が馬鹿にしてたカップルたちと、同じことしてるし」
 苦笑とともに腰を抱くように腕をずらした彼が、ふっと瞳を細めた。
 ごくごく近い距離にある、彼の顔。
 ……それが、イルミネーションの灯りと足元のランプで、柔らかな色を帯びている。
「羽織ちゃんのお陰――……って言うか、羽織ちゃんのせいってヤツだな」
「せ……せい? ……もぅ。そんなふうに言わなくてもいいじゃないですか」
「いや、いい意味でだよ? もちろん」
 むぅ、と眉を寄せると、くすくす笑った彼が頬を撫でてから、そのまま両手で包んでくれた。
 途端、じんわりとした心地いい温かさが、頬に広がる。
「先生の手、温かい……」
「……どうせ、心が冷たいとか言うんだろ」
「えぇ!? い、言いませんよっ!」
「そう? ならいいけど」
 いきなり聞こえたいたずらっぽい声で慌てて彼を見ると、瞳を細めてそれはそれは楽しそうな顔をした。
 ……うー。
 そんなこと、思ってもなかったのに。
「……あ」
 だけど、私の反応を見た彼は、くすくす笑ってから――……瞳を閉じて、額をコツンと軽く合わせてきた。
 ……なんだか……ちょっとだけ、くすぐったい気分。
 こんなふうに近い距離で彼を見るのが、本当に久しぶりだからかもしれない。
「……なんか、初めていいクリスマスを迎えた気がする」
「本当ですか?」
「当り前だろ? ……そんなことで、嘘ついたりしない」
 ふっとまっすぐに見つめられ、一瞬だけどきっと鼓動が高鳴った。
 まるで、そう最初から決められていたかのように。
 どちらともなく、互いに唇を合わせる。
「っ……」
 唇が触れるか触れないかの、そんな一瞬の距離のときだ。
 ……彼が、吐息交じりに小さく囁いたのは。

 『愛してる』

 ぞくっと背中が粟立つ。
 冷たかった唇に、温かい感触を感じたから……というのも当然あると思う。
 ……だけど、それ以上に――……彼が囁いてくれた言葉が、大きな威力を発揮した。
「……ん……」
 角度を変えて何度も繰り返される口づけは、相変わらず、とろけてしまいそうな優しいモノで。
 もたれるように彼に身体を預けると、いつしか深いモノへと自然に変わっていった。
「……っ……んん……」
 舌を絡め取られ、軽く吸われる。
 そのたびに甘く痺れ、胸の奥が強く鳴った。
 ぞくぞくと背中に広がる快感を感じながら、求めるようにこちらも応える。
 ……離してほしくない。
 むしろ、もっと欲しかった。
 初めて家族以外の人と過ごす、クリスマス。
 それが、好きになった人となると、何よりも格別で、どんなモノよりも大切で。
「……ん……ふ……」
 ときおり漏れる、白い息。
 それでも途切れることのない、優しくて甘い口づけ。
 ……まさに、極上。
 この言葉以外は考えられない、本当に特別なモノだった。
「……は……ぁ」
 解放されるのが惜しいと思える彼とのキスは、いつまで経ってもやっぱり慣れない。
 むしろ、交わすたびに……どんどん違うキスになるっていうか。
「…………」
「…………」
 ……何も言葉が要らない時間。
 そんなモノが本当にあったことを、彼と付き合うようになってから知った。
 肩と腰を抱くように腕を回してくれた彼の背中に腕を回すと、本当にあたたかくて。
 ……人って、こんなにあったかいんだなぁなんて心底思う。
「……あったかい」
「だね」
 素肌じゃなくても、十分に伝わってくる……彼の体温。
 それを目一杯感じたままで彼にもたれると、自然に笑みが漏れた。
「どうした?」
「……え?」
「…………えっちな顔して」
「っな……!? そ、そんなことないですよ!」
「そう? ……ニヤニヤしてたクセに」
「うー……そんなことないもん」
 小声でのやり取りは、どうしてこんなにも秘密めいて聞こえるんだろう。
 こんな時間にもかかわらず、周りには沢山の人がいるのに。
 なのに、やっぱり彼とふたりきりのように思えて。
 …………なんだか、特別な魔法みたいだ。
 ここには、1度でいいから来てみたいってずっと思ってた。
 でも、やっぱりひとりで来るわけにはいかないし、ましてやお兄ちゃんなんかとでは問題外なわけで。
 だから、きっとココに来れるようなことはないんだろうなー……なんて思ってた。
 自分が高校生でいるうちは、絶対。
 ――……なのに。
 なのに、彼と出会って、付き合えるようになって……そして、こうしてクリスマスまでをも一緒に過ごせている。
 これって、もう、幸せ以外の何物でもないよね。
 ……嬉しすぎて、幸せすぎて。
 本当に、バチが当たってしまうんじゃないだろうか。
「風がなくてよかったな」
「……ですね。風があったら、寒いもん……」
 囁きながら、ぎゅっと腕に力を込めてくれた彼に擦り寄る。
 ……自然にこうできるこの雰囲気に、心底感謝しなくちゃ。
「……それにしても、すっかりマメな彼氏だな」
「え?」
「昔だったら考えられない」
「マメ……ですか?」
「うん。……なんか、自分がひと昔前の孝之みたいで笑える」
「お兄ちゃん?」
 意外な人物の名前に瞳を丸くすると、苦笑を浮かべた彼がうなずいた。
「アイツは、俺と違って本当にマメだからね。……つっても、この時期は彼女とか作ってなかったけど」
「……あー。そういえば確かに、毎年家にいた気が……」
「だろ? マメなくせに、ある意味不精だからなー。アイツ」
 言われてみれば、確かに彼は毎年家でクリスマスを過ごしていた。
 普段は、夜も遅いし朝帰りしたりすることもあるのに、なぜかこの時期は規則正しくて。
 ……理由は、さすがにわからない。
 でも、もしかしたら――……おいしいケーキを食べられるから、っていうのも理由のひとつだったりして。
 彼ならばありえなくもないことなので、妙に納得できた。
「……さて。そろそろ帰ろうか」
「そうですね。……雪が降り出す前に」
「……わからないよ? 冬瀬で降ってるかも」
「まさかぁ」
 くすくす笑って、彼に抱き寄せられたまま車へと足を向ける。
 ……そのときふと空を見上げると、きれいな星が幾つも幾つも(またた)いていた。
 冬瀬でももちろん見ることはできるものの、やっぱり空気の澄み方が全然違って……本当にきれいな空。
「……きれい」
「だね」
 少しだけ立ち止まって空を仰ぐと、彼も同じように見上げてから笑みをくれた。
 流れ星……はさすがにないかな。
 でも、これこそまさに、『満天の星空』ってものだと思う。
 癒されるっていうか、心が洗われるっていうか……。
 …………ちょっと、くさいかもしれないけれど。
 でも、神聖な夜にふさわしいと、素直にそう思った。


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