「…………」
音のない、静かな空間。
……そして、あたたかな場所。
――……っ……ん……?
ゆらゆらと漂うように身を任せていたら、そこがいきなり動きを見せた。
「……あ……」
「ん?」
「……せんせ……?」
「いいよ? まだ」
「え?」
瞳を開けると、すぐそこに見えた彼の顔。
だけど、小さく笑ったかと思いきや、首を振った。
……まだ、いい。
…………?
その言葉の意図がわからなくて、まばたきをしてしまう。
いったい何がいいんだろう。
それに、『まだ』って……。
「……っ!」
――……と、思った瞬間。
ふわふわしていた頭が一気に冴えるような音が、頭上で聞こえた。
「あ、えっ……!?」
「っぶな……!」
「っ……ご……ごめんなさい……!」
ぐらっと彼がバランスを崩しそうになると同時に、私も大きく振れた。
……それが、何を意味しているのか。
それはもう、簡単なことで。
「……ご……ごめんなさい……」
「いいよ、気にしないで。こんな時間まで連れまわした俺が悪いんだから」
「……すみません……」
――……どうやら、車に乗ってすぐに私は眠ってしまったらしかった。
『らしい』という言葉からわかるように、これまでの記憶がなくなっていて。
車に乗って、コートの柔らかい感触が気持ちいいなぁ……って思ったのは覚えてるんだけど。
でも、段々足元が暖かくなってきて……ってあたりから、きれいになくなっていた。
……で。
聞き慣れたエレベーターの『チン』と鳴ったベルの音で、瞬時に頭が冴えた……今。
それでも彼は何も文句を言わずに、私を抱っこしてくれたままで廊下を歩いていた。
「……あの、もうこの辺で――」
「ん? いいよ、別に。もうちょっとだし」
「で、でも……っ……!」
「いいから。大人しくしてなさい」
「…………はぃ」
じたばたもがくことはできないけれど、それでもちょっとだけ身体を起こしてみた。
でも、案の定彼がすんなり『いいよ』なんて下ろしてくれるはずはなくて。
……うー。
なんだかもう、1から10までお世話になりっぱなし。
って言うか、先生に『もらいっぱなし』で、何ひとつとしてお返しができていない。
それが、とっても心苦しい。
「……え?」
「鍵、取ってくれる?」
家の門扉が見えてきたとき、彼が不意に声をかけてきた。
……鍵。
…………あ、そうか。
抱っこしてくれてる状態だから、先生は両手塞がってるもんね。
「……えっと……」
いいですよ、とうなずいたまではよかったんだけれど、いったいどこに鍵が入っているのかわからなくて。
……むー……?
ジャケットのポケット?
それとも、ズボン?
――……などと、あちこち見ながら思案していたら、少し上からおかしそうに笑う声が聞こえた。
「ここだよ」
「……あ」
顎で示されたのは、ジャケットの胸ポケットだった。
っていうか、もしかして今の独り百面相みたいなモノをしっかり見られてたってこと……?
…………うぁ。
今さらながらに、顔が赤くなった。
「ありがと」
「とんでもない! ……こちらこそ、すみません」
ガチャン、という大きな音とともに家の鍵を開けると、そこでようやく彼が私を下ろしてくれた。
「……あ」
「さっきから謝ってばかりだな。いいんだよ、気にしないで。俺がしたかっただけだから」
「……え……?」
「いや、こっちの話」
玄関のドアを開けて先に入ってしまった彼を見ながら、一瞬動くことができなかった。
……今、なんか……さらっと聞き逃せないことを言われたような……。
「っ……あ! 先生!?」
「早くおいで。寝るよ」
「えぇ!? ま、待ってくださいっ!」
慌てて彼のあとを追うと、その姿はとっくに廊下の曲がり角へと消えていた。
……は……早い。
っていうか、おいてきぼりされた!?
「先生ってばぁ!」
玄関のドアをしっかりと施錠してから、靴を――……って、ブーツ!
……うぅ。
もしかしたら、彼はリビングで笑っているかもしれない。
……ううん。『絶対』に。
腰を下ろしてブーツを脱ごうとすると、なんとなく自分が情けなくて半泣きになった。
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