「さぁっ、お腹いっぱい召しあがれ!」
きらりんっというかわいらしい音とともに、彼女がにこやかに料理を振る舞い始めた。
……あー……ごめん。
そんな子犬のような目で見られても、俺にはどうすることもできないんだ。
「…………」
思わず、『たすけて』と目で訴えている羽織ちゃんに、目を合わせたまま首を振る。
今までの様子を見てれば、わかるだろ?
俺には、彼女の暴挙……いやいや、ええと、なんだ。
………あぁ、料理か。
それは、変えられなかったんだ。
改革失敗。
……そもそも、俺しか見張り役がいなかったんだ。
当然と言えば当然だろう。
「…………で?」
ほかほかと温かそうな湯気だけは、一人前。
それが漂うスープの皿をじっくりと見つめてから、純也さんが絵里ちゃんを見た。
「コレはなんだ?」
「あら、見てわからない? 肉団子のトマトスープ仕立てよ」
「……ほう。それはまた大層な名前を背負ってるな」
「まぁね」
おほほ、と笑った彼女に対して、俺たち3人の表情は暗い。
テンションも低い。
……むしろ、1番そばで彼女の料理を見つめていた俺にとっては、テンションもクソもあったモンじゃないが。
純也さんの家に着いたのがテンション100だったとしたら、料理――とは呼べないが――を見つめている間に、下降の一途を辿っていた。
料理が完成していくに従って、テンションが反比例していく。
こういう現象は、なかなか現実世界じゃ味わえない。
「それじゃ、こっちのケシズミはなんだ」
「んなっ……!? なんですって!? 失礼ね!! どこがケシズミよ!!」
「敢えて指摘してやらないと、わからないのか? お前は」
「……くっ……!」
「どうしても、傷をえぐられたいのか?」
「うっ……!!」
俺の左隣に座っている純也さんは、表情を先ほどから1度も変えていない。
……も……ものすごい真顔なんだが。
正面に座る絵里ちゃんにビシバシと容赦なく言葉のムチを振るう彼は、やっぱりタダモノじゃないんだなと改めて思う。
「……はー……」
しばらくの間、沈黙という名のどんよりした雰囲気が漂っていたリビング。
その中心で深くため息をついた純也さんが、静かにこたつから立ち上がった。
「羽織ちゃん」
「えっ?」
「ごめん。……悪いけど、ちょっと手伝ってくれる?」
「あ、はい!」
手に持っているのは、先ほど各々に配られた魔女スープと魔女ライス。
向かうのは、キッチン。
……そして、呼んだのは――……ウチの彼女。
ということは。
「……repair」
「え?」
「いや、別に」
頬杖をついたまま、そんな言葉が漏れた。
……危ない危ない。
ぼそっと小さく呟いたので、多分絵里ちゃんには聞こえなかったんだろう。
お勉強も運動も、よくおできになられる彼女のこと。
お料理は苦手だが、そちらは達者だ。
……言えるかよ。
だが、ふたりがキッチンに立ったのを見たら、なんとなくほっとした。
あのふたりならば、大丈夫。
きっと、あのすごい料理を別の意味ですごくしてくれるだろうから。
そんな期待と実感がふつふつと湧いて来ていた。
「……えっと……こっちはどうします?」
「どうしたらいいと思う?」
「うー……ん。刻んで……チキンライスの具にします?」
「あ、いいね。それじゃ、そうしよう」
「はい」
カウンター越しに聞こえ、目に映る、ふたりのやり取り。
それをまた、頬杖をつきながらぼんやりと眺める。
「そういやさ、羽織ちゃんってチキンライスにバター入れる?」
「え? あ、いえ。やったことないです」
「そうなんだ。入れると、うまくなるよ」
「えっ、そうなんですか?」
「うん。コレが変身するかどうかはわかんないけど……まあ、食べてみて」
「うわぁ……楽しみー」
純也さんの顔が、ついさっきここにいたときとはまるで違っていた。
……そして、それに引き寄せられているかのように、羽織ちゃんの表情も。
「…………」
……純也さんとふたりでいるとき、そんなふうに笑うのか。
そう思ったら、なぜか少しだけ苦しくなった。
「……先生は料理とかしないの?」
「ん?」
ふたりを見ていたら、先ほどまでとは打って変わって、本当に静かな態度で絵里ちゃんが俺を見ていた。
「さっき見てた通り。俺はしないけど?」
「やっぱり、羽織みたいに料理できる子のほうが、魅力的?」
「……え……?」
一瞬、言葉に詰まった。
彼女の表情。
それは、普段とはまるで違って、焦っているような……不安に満ちているような。
揺れている心そのものが表に出ていたから。
「……やっぱり、ささっとごはん作れて、お掃除もできて、お洗濯も完璧で……そういう子のほうが、いい?」
「いや、でもそれは……」
「じゃあ、もしもよ? もしも、同じような背格好の子がふたりいたとして、家事が得意な子と得意じゃない子、どっちを選ぶ?」
少し、焦っているような。
まるでじわりと内から出てくる感情が滲み出ているかのように、口早にまくしたてる。
……それは、まさに『らしくない』態度。
彼女がこれほどまでに弱い部分をさらけ出すなんて、これまであっただろうか。
これじゃあまるで……ホントに、年相応の女の子。
勝気で、強気で、何に対しても自信に満ちてて、恐れを知らない。
そんな言葉は、今の彼女にどれひとつとして相応しくない。
もしも。
……もしも今の彼女こそが、本当の彼女そのものだとしたら。
あれだけ喧嘩をしながらもどうして純也さんが彼女から離れられないのか、理由がわかる気がする。
「付き合う付き合わないは、外見や性格だけの問題じゃないだろ?」
「……え……?」
「話してみてフィーリングが合えば、それだけでも大きな要素になる。……人を好きになるってのは、その相手と距離を縮めてお互いを知った上で、出てくる感情なんじゃないの?」
自然と、笑みが浮かんでいた。
別に、彼女を励まそうとか思ってるわけじゃない。
むしろ、コレは俺の本音。
ひとめ惚れとかそういうのも世間ではあると聞くものの……やはり、ピンと来ない。
人の外見はあくまでも第1印象にすぎず、大事なのは出会ってからともにすごす時間。
だからこそ、極端な例であるとはいえ、彼女の意見には賛同しかねる。
「……じゃあ……」
「まだ何か?」
てっきり俺の話を聞いて納得してくれたんだと思った彼女は、しばらく考え込んだあとで、また顔を上げた。
その瞳。
そこには、やはり芯の強そうな光が宿っている。
「もしも羽織が私みたいに家事が大の不得意で、反対に私がすごく家事の得意な子だとしたら……それでも、羽織を選ぶ?」
真剣な眼差しで出された、もしもの選択。
……だが、当然その質問を聞き返すような返事は出ない。
そりゃそうだ。
そんな質問、答えを出すようなモノじゃないから。
無論――……それは彼女自身が1番わかっていることだと思うが。
「俺と同じこと、純也さんも言うと思うよ?」
「……え……?」
「だから、家事の得手不得手じゃないんだって。それに、別に家事ができないからって何も日常生活に差し障ることじゃないだろ?」
「……そうでもないと思うけど」
「う。いや……まぁ、それはそうだが……」
意外という言葉はしっくりこないが、もう少し緩い反応が来るもんだと思ってた。
だからこそ、さらりと鋭い返事に一瞬躓きかける。
……いや、しかし。
だからといって、ここであっさり引き下がるわけにはいかない。
こうして今、目の前で彼女が普段とは幾ばかりか違う姿を見せてくれたんだから。
「でも、別に絵里ちゃんが苦手だからって、純也さんは文句言ったりしないだろ?」
「それは……どうかしら。割と言われてる気がする」
「……それでも、ふたりは一緒にいるじゃないか」
「それは……アレよ。……腐れ縁みたいな。っていうか、今さら私を放り出すのができないだけっていうか……」
ああ見えても純也、割と優しいから。
小さく呟かれた言葉で、ため息が漏れる。
そのとき見せた顔。
それはもちろん『わかってるじゃないか』という意味を込めた、笑みだった。
「純也さんは、たとえ絵里ちゃんがどんな子であろうとも、絵里ちゃんを選ぶと思う」
「っ……そんなの……」
「俺には俺の相手がいるように、純也さんには純也さんしか選ばない相手がいるんだから」
そう言いながら、キッチンへと視線を向ける。
未だ、何やら料理の手直しを続けているふたり。
だが、俺たちがその場所に立っていたときとは大きく違い、今ではうまそうな匂いがあたりに漂っていた。
「……でも……」
ふたりを見てから、もう1度彼女へ視線を戻す。
何か言おうとしてるんだけど、でも、『私は言えない』みたいな顔。
そんな彼女を見て、また笑みが漏れた。
「……絵里ちゃんてさ、かわいいんだな」
「っ……な……!?」
「いや、ホント」
うなずきながら、小さく笑う。
途端、彼女にしては珍しく俺が思った通りの反応を見せた。
……でも、純也さんはわかってるんだろうな。
本当の――……素の彼女が、どういう子かってことくらい。
無論それは、俺も当てはまることだと自負しているが。
……当然、俺の最愛の彼女に関しては。
「……何を言い出すかと思えば……」
「ん?」
「正々堂々と浮気発言なんて、イイ度胸してるじゃない」
「……なんでそうなる」
「まぁいいわ。羽織には黙っておいてあげるから」
これまでとは違い、ふっと視線を外しながら胸を張った彼女がにやっと笑った。
まぁ……ここまであからさまだと、余計にうなずけるんだが……。
彼女は多分知らないんだろうな。
いや、もしかしたらこれはこれで、彼女がこれまで取ってきたある種の自己防衛なのかもしれないが。
「……それは、どーも」
これ以上言っても何も変わらないだろうし、それに、何よりも自分の言うべきことは言ったはず。
そう自惚れさせてもらうとともに、この話はこれで打ち切りとなった。
何も言わずに肩をすくめ、テレビへ視線を向ける。
すると、彼女もいつしか同じようにそちらへ向き直った。
「……ありがと」
テレビの音に交じって、小さく小さく聞こえた言葉。
それでまたもや瞳が丸くなりかけたが――……。
「何もしてないよ」
微かに首を振り、ぽつりと返事をする。
するとすぐに、キッチンのほうから声がかかった。
「真正オムライス、できあがりー」
「……ちょっと。何よそのセリフ」
「別に。……な? 羽織ちゃん」
「あはは」
今の俺たちのやり取りを、ふたりは知らないかもしれない。
まぁ、これは別に知らなくてもいいことだし、何より、このふたりこそが彼女を1番理解しているだろうから……必要ないんだろうけどな。
「うまそうっすね」
「お。やっぱそう思うだろ? ……助手お疲れさん」
「はは。いや、それほどでも」
「ちょっと! 何よ祐恭先生まで。っていうか、褒めてないっての!」
「まあまあ」
「まあまあ、じゃあるかー!」
途端に、時間が流れ出す。
いつもと同じ、居心地のいいときが。
……わざわざ理由を見つけ出す必要はないんだよな。
なんでここにいるのかとか、どうしてこうなったのか、とか。
正直、俺も絵里ちゃんの気持ちはわかる。
なぜならば――……彼女に話しかけられる前、彼女とまったく同じことをこれでも考えていたから。
「…………」
楽しそうに目の前で繰り広げられている、光景。
それを見ながら、また表情が緩む。
……答えが欲しいわけじゃない。
そうじゃなくて、ただ、自分の不安を誰かに否定してもらいたいだけ。
「はい、先生」
「ん。ありがと」
差し出されたスプーンを握り、改めて――……視線を戻す。
と、一瞬だけ、絵里ちゃんとかち合った。
「…………」
だが、それは案の定一瞬で。
柔らかく笑ったかと思いきや、すぐにそれは溶けて消えた。
……ある種、共通の念を抱きやすいってことか。
普段から似てるなと思ってはいたが、どうやら性格や言動だけの問題じゃないらしい。
「それじゃ、いただきます」
まず先に声をあげ、うまそうなチキンライスをスプーンですくう。
……まさか、ありえないと思っていた人物と、ある種の秘密を共有することになるとはな。
それが少しだけ今でも信じられなくて、だが、過ごした時間はやはり満ち足りたものだったと思う。
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