「うーん。いちごミックスで」
「えっと……抹茶練乳金時かな」
「うわ。お前、濃いヤツいくな」
「え? そうかな?」
「ま、気持ちはわかるけど」
場所は変わって、こんな時間にもかかわらず先ほどいた教室よりもずっと栄えた場所。
……そう。
これまで入ったことがなかった、大学の学生食堂だ。
なんかすごい。
この時間はもう食事用の対面窓口は閉まっているんだけど、なぜかデザート系のお店は開いていて。
大学って、どこもこんな感じなのかな。
店員らしきお姉さんとにこやかに話すお兄ちゃんを見ながら、ふとそんなことが浮かぶ。
「ほらよ」
「わ、おいしそう」
「……あ。ありがとう」
両手にそれぞれのソフトクリームを持って戻ってきたお兄ちゃんから、いちごミックスを受け取る。
……えへへ。
ほんのりとイチゴの甘い匂いが漂って、自然と顔が緩んだ。
「珍しいね、たーくんがスムージー飲むなんて」
「俺じゃねーっつの。野上さんのおつかい」
なるほど。
どうりで、お兄ちゃんに似つかわしくない物を持ってるな、とは思った。
葉月と私へソフトクリームを手渡したあと、お兄ちゃんはプラスチックカップを手にしていた。
『グリーンスムージー』なんて、お兄ちゃんとイコールにならなさそうなものを頼んだと思ったら、そういうことだったのね。
「たーくんは食べないの?」
「たりめーだろ。まだ仕事中だっつの」
どうりで、真っ先にアイス食べそうなお兄ちゃんが買わないと思った。
そういうところは、ちゃんとしてるんだよね。
意外と。
そういえば、誰だったかも『意外と真面目』とお兄ちゃんのことを言ってたっけ。
「あっ」
「じゃあな」
「もう、たーくん!」
「意外とうまいな、これ。ごっさん」
まるで一瞬の隙をつくかのように、お兄ちゃんは葉月の手をつかむとアイスを食べた。
……でも葉月が怒るのも無理はない。
だって、半分以上ソフトクリームが消えたんだもん。
「もうじき上がるから、ちっと待ってろ」
「送ってくれるの?」
「送るも何も、同じ場所へ帰ンだから手間省けるだろ」
つい出た言葉で、お兄ちゃんは瞳を細めた。
ああなるほど。定時で上がるつもりなんだ。
願わくば、帰る口実に使われませんように。
「ん。それじゃ、待ってるね」
「ああ。食い終わったら図書館来いよ。したら、俺も上がる」
『わかったな?』と最後に付け加えると、お兄ちゃんは返事を聞くことなく学食を後にした。
……まぁ、いいんだけど。
乗せてってくれるのであれば、当然断る理由はないし。
えへへ。
「奢ってもらっちゃった」
「ふふ。そうね」
にまっと笑って葉月にソフトクリームを見せると、おかしそうにうなずいた。
「むしろ、私たちが“謝礼”として払わなきゃいけなかったのにね」
「いいんじゃない? お兄ちゃん気付いてないよ」
「そう?」
くすくす笑いながら手近な椅子に座り、暖房のせいで少し溶けてしまったアイスを舐める。
……うん。おいしい。
やっぱりこう……冬に、暖かい部屋の中で冷たいアイスを食べるのって、とっても贅沢だと思う。
「……よかった」
「え?」
アイスが垂れてしまいそうになって、一生懸命だったとき。
隣に座った葉月が小さく笑った。
「やっと笑ったね」
「っ……」
まるで、『やっと機嫌が直ったのね』と同じ感じ。
優しい眼差しで、葉月が笑う。
「気分転換にどうかなって思ったの」
「……えと……何か顔に出てた?」
「ううん。なんとなく、ね。確信はなかったんだけど……ちょっぴり泣いたあとみたいに思えて」
「っ……」
どこか申し訳なさそうに笑われ、目が丸くなった。
そんなことまで見抜かれてたなんて、ああもう恥ずかしい。
ひょっとして涙の跡があったのかな。それとも、目が赤かった?
どちらにしろ、葉月にはバレていたらしい。
「……なんか……どうしたらいいかわからなくて」
今日はね、こんなことがあったの。
明日は、こんなことをするんだよ。
葉月がこっちにきてからというもの、その日あったことを話すのが私の日課になっていた。
……だから、だと思う。
自然に、ぽつりぽつりと言葉が出てきたのは。
思い出すのもつらくて、言葉になんかできないって思っていたあのことを……少しずつ話せたのは。
「……そっか」
全部話し終えて、すっかり溶けてしまったアイスを片付けるように口付けたとき。
同じように食べ始めた葉月が、小さく呟いた。
その顔は、『大変だったね』でも『つらかったでしょう』でもなくて。
同情とか、激励とか……そんなモノとはかけ離れた、彼女らしい穏やかなものだった。
「……うまく言えないんだけれど……」
カリ、とワッフルコーンをかじった葉月が、そのままの顔で私を見た。
「羽織にとって、瀬尋先生はなんだと思う?」
「え……?」
彼女が口にした言葉に目が丸くなる。
だって、まったく同じことをあのとき学校で思ったわけで。
私にとっての……先生。
それは、もちろん――。
「……彼氏、かな……」
「『かな』じゃないでしょう? ちゃんと、付き合ってるんだから」
少しだけ葉月から視線を外して呟くと、途端に苦笑を浮かべて首を振った。
ちゃんと付き合ってる。
その言葉に、どこかひどく安堵しているようにも思う。
「もしも、瀬尋先生の知らない男の子に抱きしめられてるところを見られたとしたら………羽織はどうする?」
「え……?」
もしも、そうだったら。
私が見たあの光景を……逆に、先生が見たとしたら。
私はどうするだろう。
なんて言うだろう。
「……私……」
でも当然、答えなんて最初から決まってる。
だってそれは、“誤解”でしかないんだから。
「違う、って言う」
「どうして?」
「だって……違うから。ホントのことじゃないもん」
視線を落としたまま呟くと、葉月は暫く口を開かなかった。
……もしかしたら、彼女が求めた答えじゃなかったのかな……?
それとも、私は“正解”を出せなかったのかな。
今の彼女がどんな顔をしているかがわからなくて、なんとなく顔を上げることも彼女の表情を伺うこともできないままだった。
「……え?」
「ちゃんとわかってるじゃない」
不意に顔が上がった。
それは、彼女の温かな手が……私の頭を撫でてくれたからで。
「葉月……」
「瀬尋先生だって、そう思ってるんじゃないのかな?」
わずかに首をかしげて顔を覗きこんだ彼女は、とっても柔かな眼差しをくれて。
……そっか。
私はやっぱり、誰かにこうして背中を押してもらいたかっただけなんだ。
頭ではちゃんと、『違う』ってわかってるのに。
でも、自分だけがそう思ってるだけなんじゃないか、って。
……ほかの人にすれば、迷う余地もないほどに明らかなんじゃないかって。
「…………怖かったの」
いつしか自然に零れた本音を聞いた葉月も、やっぱりいつもと同じ温かな笑みだった。
「ねぇ、羽織。瀬尋先生だって不安に思うときがあると思うよ?」
「……え?」
「何もかも自信たっぷりで、いつでも迷いなくやってるなんてこと……ないと思う」
葉月の顔は、とってもとっても大人びて見えた。
でも……言われてみれば、そう思うことは当然できることだ。
…………。
……不思議。
やっぱり葉月は、私よりもずっといろんな考え方ができるらしい。
「こと、羽織に関しては……そうなんじゃないのかな?」
「え、私?」
「うん」
突然出た私の名前に、思わず瞳が丸くなった。
だって……まさか、こんなところで私が出てくるとは思わなくて。
ちょっとだけ、びっくりしたというのがある。
「お互いがあってこそ答えが導き出せるのに、ひとりきりであれこれ悩んでたりしたら……答えが出るはずないよね?」
「……あ……」
「きっと瀬尋先生は……今みたいにつらそうな顔してる羽織は見たくないって思ってるんじゃないかな?」
「…………」
「ひとりで悩んで苦しむよりも、ストレートな言葉ぶつけてくれたほうがいいって……羽織だって思うでしょう?」
「それは……」
「ひとりきりで我慢することが、必ずしもいい結果を生むとは限らないんだよ」
「っ……」
「だから、ちゃんと話してみたらどうかな?」
そう言って彼女は、私の髪を撫でた。
――まるで、先生がいつもしてくれてるみたいに。
「いつも聞きわけのいい子なんかじゃなくていいんだよ?」
「……ん」
こつん、と軽く額をあわせてから囁かれた言葉が、身体の1番奥を刺激したみたいで。
……アイス食べ終わってないのに。
つ……と頬を伝った涙が、ぽつりと落ちた。
……でも。
でも、葉月は私をなだめてくれるかのように背中を軽く撫でてくれていて。
答えもらっちゃった。
ずっとずっと自分で悩んで、どうしようか迷っていたのに。
なのに、すんなりと……とても大きな一歩を踏み出せた気がする。
……先生に会いたい。
勝手に勘違いして、勝手に突っ走っていたとしたら。
私はいったい、どれだけ彼に対してひどいことをしていたと言えるんだろう。
……でも。
「…………」
それと同時に、やっぱりちゃんと彼の口から本当の言葉が欲しかった。
希望的観測のもとに弾き出されたことじゃなくて、曲げられることのない、確かな言葉が。
「善は急げ」
「……え?」
「今だって思ったら、そのときにベストを尽くすのが1番でしょう?」
とんとん、と肩を叩かれて彼女を見ると、にっこり笑ってから窓のほうへ顔を向けた。
つられて私もそちらを見る……あ。
「今からだって、十分間に合うと思うよ」
そこには、時計がかかっていた。
示されている時間は、まだ十分に早いと判断できるもの。
……間に合うよね。
改めて葉月に向き直ると、柔らかく笑って小さくうなずいた。
「伯母さんたちには、うまく言っておいてあげるね」
「っ……葉月」
「でも、明日も学校があるから……早めに帰って来よう?」
「……うん!」
ふふ、と笑った彼女に同じく笑顔でうなずくと、より一層心に元気が湧いた気がした。
……大丈夫。
今の私なら、きっと、ちゃんと……先生に言えるから。
聞きたかったことも、伝えたかったことも、言葉にして届けてこよう。
そう思いながら最後のひとくちを食べきると、きたときとは全然違って、私らしい笑みが浮かんでいたのに気づいた。
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