「瀬尋先生も、よかったらどうぞ」
「……ありがとう」
 帰ろうとしたところで葉月ちゃんに引き止められ、仕方なくソファへ座る。
 目の前には、彼女が淹れてくれた紅茶。
 ……そして。
「んー、おいしーい。やっぱり、ケーキはここだよねー」
 俺のすぐ隣には、ケーキをつついている羽織ちゃんがなぜか座っていた。
「……あ? おい! それ、俺のじゃん!」
「えー? 違うよ?」
「違わねぇだろ! 返せ!」
「じゃあ、証拠は? お兄ちゃんのモノだっていう証拠でもあるワケ? 名前でも書いてあるの?」
 ……いつもと、正反対の光景。
 普段ならば、彼女がとっておいた物を孝之が食べてしまうことのほうが多いんだが……。
 あからさまにわかりきっていることなのに、彼女はわざとらしく角度を変えて皿を見たりしていた。 「ッく……! この、性悪!!」
「アンタに言われたくない」
「はァ!? ンだよ、やんのか?」
「いいけど別に?」
 ガシャン、と音を立てて彼女がテーブルにケーキを置くと、そのままの勢いでふたりが罵りあい始めた。
 ……あーもー。
 つーか、すげぇ言葉ばかりだな。
 互いに一歩も譲らずにやり合う兄妹喧嘩は、いつもよりずっと激しかった。
 ……あー。
 やっぱり、こっちが本性なんだろうか。
「……いつもこうなの?」
「え?」
 くすくす笑いながらそんなふたりを見ていた葉月ちゃんに声をかけると、笑ったままこちらを向いた。
「ええ。いつもそうですよ」
「……そうなんだ」
 うなずいてから再びふたりを見た葉月ちゃんに、ため息が漏れた。
 俺は、普段の彼女の姿は知らないに等しい。
 ……一緒に居るのは、金・土日だけだし。
 だから、平日……家で過ごしてるときの姿は、当然知らなくて。
 ……葉月ちゃんが驚かないってことは、ひょっとして……と思ったんだが、やはりこれがホンモノなのか。
「お前、っとにふざけんなよ! 好き勝手しやがって!」
「それはお兄ちゃんでしょ? 女とっかえ引っ返してるくせに」
「それはお前だろ! 散々男で遊んでるくせに!」
「だから、アンタに言われたくないっつってんの!」
「…………」
 未だ続いている口喧嘩の様子を見ながら、自分が少し情けなくなった。
 ……まだ、目の前の彼女は『偽者』だと思っている自分がどこかにいる。
 本当はこれが悪い夢で、実際の彼女はやっぱり……いつも俺のそばにいてくれた彼女なんだと思いたい自分がいる。
 ……カッコ悪いな。
 というか、未練がましいというか……なんて言えばいい。
「でも、本当の羽織は違うんですよ」
「……え……?」
 瞳を閉じて頬杖をついたら、聞こえてきた穏やかな声。
 ふと見上げると、先ほどとは違って微笑んでいる葉月ちゃんがいた。
「本当は、ひといちばい傷つきやすくて、繊細で」
 ひとつひとつ口にしながら、優しい眼差しを――……孝之に負けじと言い返している彼女に向ける。

「とっても優しい子です」

 再び俺に向き直ると、にっこりとした笑みを見せた。
 その顔は本当に……彼女を知っているという感じで。
 瞳が丸くなったまま、逸らすことができない。
「……優しい?」
「ええ。優しい子ですよ。羽織は」
 少し掠れた声で呟くと、再び葉月ちゃんがうなずいた。
 ……優しい……。
 具体的に、どの辺がだろう。
 まるで母親のような雰囲気で言った葉月ちゃんには、わかっていることかもしれない。
 だけど、正直俺にはそんな部分が微塵も思えなくて。
 ……どこをどう取ったら、そう転じるんだ?
 相変わらず続いているケーキの取り合いを見ても、当然俺にはまったく感じられないこと。
 つーか、こういうことで喧嘩する点は……本当に変わらないんだけどな。
 残念ながら、俺にはそんなことをぼんやり考えるしかできなかった。

 ――……ちなみに。
 この兄妹喧嘩は、最終的に葉月ちゃんが入って『半分ずつ』という案で収拾がついた。


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