見紛うことなき、現実。
カチカチと小さく音を立てて進む腕時計の秒針を見ていると、そればかりがどんどんと身体に刻まれていった。
「あれ? 祐恭君、ここにいたの?」
ガチャっというドアの音でそちらを見ると、少し驚いたような純也さんが顔を出した。
「羽織ちゃん。こっちにいるよ」
「……あ」
準備室を振り返った純也さんに続いて顔を見せた、彼女。
その顔に、思わず眉が寄る。
……今、1番会いたくない。
普段と180度違う想いばかりが、今は身体を支配する。
「どうしたんですか? ……そんな顔して」
ドアを閉めてから、ゆっくりと俺の正面へ回り込む姿。
それはやはりいつもと同じで、何も変わらない彼女のあるべき姿だった。
「探したんですよ? 先生、いないか――」
「教師辞めようと思うんだけど」
「……え……?」
彼女の言葉を遮って発した言葉。
頬杖を付いたまま彼女を見据え、微動だにせず動向を見守る。
……どうする?
もし、先ほどまで話していたことが確かならば。
俺が『教師を辞める』時点で、彼女は俺の元を去るはずだ。
「……どうして……? 何かあったんですか?」
途端に眉を寄せてこちらを見る彼女。
当然だろう。
これまで、そんなこと口にしたことなんてなかったんだから。
だが、敢えて続ける。
……彼女の態度が変わらないことを祈りながら。
「正直言って、教師っていう仕事に魅力を感じられなくなったんだよ。だから、辞める。簡単なことだろ?」
「でも! ……だって……! 先生……今までそんなこと言ってなかったじゃないですか!」
「口に出さなかっただけで、ずっと考えてた。ここに赴任するときから、ずっとね。1年間冬瀬で教師やってみて思ったんだよ。……ああ、俺は向いてないんだなって」
最初にこのことを聞いたときは、驚いた顔をしていた彼女。
だが、今は眉を寄せて………泣きそうになっている。
……本当に、この子は先ほどまで教室で喋っていた彼女なのか?
痛ましげな姿を見ていると、どちらを信じていいのかわからない。
……だけど。
今、こうして目の前の彼女を泣かせようとしているのは俺自身で。
……ものすごく罪悪感に苛まれて、つらい。
「……教師辞めて、どうするんですか?」
「さぁな。まだ考えてない」
「え……? それなのに……辞めちゃうの?」
「ああ。これ以上、教師やりたくないんだよ」
「……そんな……」
俺は、間違っているだろうか。
真意を見極めるためだけに嘘をついて、彼女にあんな顔をさせて。
だが、どうしてもハッキリさせたかった。
俺が見ている今の彼女が正しいんだ、と。
……さっきのは何かの間違いなんだ、と……。
こんな瞳を見ていれば、誰だってそう思うだろう。
……頼むから。
どうか、俺の知っている瀬那羽織でいてくれ。
そんな願いを込めるように、合わせられた視線を逸らすことはできなかった。
「……そう……ですか」
先に、彼女が視線を外した。
俯いてから、両手で――……顔を覆う。
……泣かせたのは、俺だ。
微かに震える肩が、痛ましくて。
「っ……羽織ちゃん」
気付くと、音をたてて立ち上がっていた。
………やっぱり、違うんだ。
彼女は、彼女で。
きっとさっきまでのあの話は、やっぱり何かの間違いだったんだ。
絶対に――……。
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