「俺が彼女に惚れたワケ。……わかるか?」
どうせわからないだろ? お前たちには。
……つーか、わかられたからと言って、俺が困るだけなんだが。
だって、そうだろ?
俺のかわいい彼女を、ほかの男に譲ってやるつもりなんてこれっぽっちもないんだからな。
……まぁ、孝之は抜かしてだけど。
「年下に興味がない。教え子なんて問題外。確かに、俺はそう言った。……でもな。彼女だけは、好みとか……そういうものとはまったく違ってたんだよ」
さらりさらりと出てきそうになる、たくさんの言葉。
こんな時間だからってこともあるが、この際あえてタガを外そう。
お前たちが聞きたがったんだ。
後悔なんて、させるつもりないからな。
……それに、正直言って彼女のことならば、話のタネに困ることなくいくらでも話すことはできる。
なんなら、明日の朝まで話しててやってもいいぞ?
……俺は、な。
「俺だって、まさかここまで堕ちるとは思わなかった」
「……ほぉ。言いますねぇ、祐恭センセ。それじゃ、何か? 羽織は、それだけ特別だったっつーことか?」
「まぁな」
いたずらっぽい顔をした優人に大きくうなずいて見せると、一瞬驚いたように瞳を丸くした。
……ふ。
まぁ、お前がそういう顔をするであろうことくらい予想はできていたが、実際目の当たりにすると結構楽しいな。
学生のころからも策略家としてある意味有名だった彼だからこそ、そういう表情をするというのは珍しい。
「年下で、教え子で。……しかも、孝之の妹」
相変わらずこちらを見ようともせずに野球を見ている彼だが、声はもちろん聞こえているはず。
『めんどくせーから、あえて触れない』
そういう雰囲気が伝わってくるからこそ、俺も彼に触れることなく続けてやる。
……いつか、お前が気にするまでな。
「だけど、すげぇ惚れてる。……なんつーか、人生稀に見る転機だな」
「転機? 何が?」
「だから。冬女に採用されたのが」
冬瀬での臨採を終えた俺は、今年そのまま大学へ戻るつもりでいた。
だが、期限が切れる前に舞い込んだ、冬女への採用。
それを聞いたときは、結構俺なりに悩んだもんだ。
正直言って、そこまで教師という職に固執はしていない。
確かに、恩師である瀬那先生のような教師になりたいとは少し思ったこともある。
だが、これまでずっと俺の夢は『教師』ではなかった。
だからこそ、大学に戻りたいという思いのほうが強かったんだろう。
……それが、だ。
何気なく、うなずいてしまったあのとき。
その日のことは、当時結構後悔した。
どうして、あのときうなずいたのか――……と。
……だが。
アレがなかったらきっと、俺は一生後悔していた。
彼女という、最愛で最高の女と巡り会うことすらなかったんだから。
「何もかもが最高で、彼女こそが俺にとってなくてはならない存在。むしろ、彼女さえいてくれれば……お前らは別にいいや」
「えーー!! なんだよそれ! すげぇ冷てぇ!! つーか、友達甲斐がないなお前!」
さらっと呟いてやったら、真治がものすごく反応を見せた。
……ふ。
愚問だろ、お前それは。
天秤にかけるまでもない。
ハナからわかりきってることを、わざわざ口に出すなよ。
「かわいくて、素直で、健気で……。文句の付けどころもないし、何よりも……やっぱ、いいよ。彼女は」
「……へぇ。じゃあ、アイツが浮気したらどうする?」
にやっとした笑みで優人がこちらを見たので、つい笑みが漏れた。
答えなんて、言うまでもない。
……恐らく、彼だって予想は付いているだろう。
「ンなことさせる暇はやらない」
「くはー。言ってくれるね」
「やだやだ。……なんか、しょっぱいなーお前は」
「しょっぱい言うな」
少し呆れたように呟いた真治に眉を寄せると、けらけら笑ってから胡坐をかいた。
「悪いが、俺は昔とは違う。彼女がほかの男なんて見ようものなら、力づくでも奪い返す自信あるぞ?」
「……それはお前、自信がどうのっつー話じゃねぇだろ」
胡坐をかいて頬杖を付いていた孝之が、ようやくこちらを向いた。
その瞳は、やっぱり呆れた色。
……ま、なんとでも言ってくれ。
別に、今さら何をどれだけ言われようと、恐くも痒くもないからな。
「……それじゃ、さ」
「ん?」
身体ごと向き直った優人が、珍しく声のトーンを変えてから――……人差し指を立てた。
その顔は、少しだけ何か企んでいる子どものようだ。
「そのこと。羽織に、面と向かって言えるか?」
ニヤっとした笑みで、呟かれた言葉。
……何を言うかと思ったら。
小さく漏れた笑みをそのままに、軽くうなずく。
当たり前だろ?
俺は、これまでもいつだって彼女に――……たくさんの言葉を言ってきたんだから。
……むしろ、彼女には面と向かってたくさん言ってやりたい。
俺が、どれだけ大切に思っていて、どれだけ彼女を必要としているかを。
「俺はちゃんと目を見て『愛してる』って言えるね」
ふっと漏れた、自分らしくない笑み。
途端、友人連中からは悲鳴にも似た声があがった。
だがまぁ、そんなモンいちいち気にしたりするワケがない。
なんせ、俺には彼女さえいてくれれば十分なんだ。
「……よくやるよ」
「まぁな」
小さく毒づいてため息をついた孝之が、野球を見たまま呟いた。
当然だろ?
これが、俺の本心だから。
たとえ、兄貴だろうと、親父だろ――……あ、いや。ちょっと訂正。
さすがに、瀬那先生の目の前では……ちょっと言えないかもしれない。
でも、少なくとも俺は多くの人間の前で、胸を張ってこう言える。
なぜなら、心の底から真剣に彼女を愛する気持ちが俺にはあるから。
「……あーー。馬鹿馬鹿しい。俺は帰るぞ」
「とっとと帰れ」
ようやく重そうな腰を上げた孝之に、ため息が漏れた。
……つーか、馬鹿馬鹿しいからっつーより、野球が終わったからじゃねぇか。
相変わらず、行動がわかりやすいなお前。
「えー? なんだよ。お前、帰っちゃうの?」
「当たり前だろ? なんで俺が、こんな猿芝居に付き合わなきゃなんねーんだよ。……アホくさ」
「……猿芝居……?」
心底嫌そうな顔をした孝之を見ながら、ついつい出てくるのは――……我ながら人の悪そうな笑みだけ。
それを見て、優人たちは少し不思議そうな顔をするあたり、どうやら彼とは違って理由がよくわかっていないらしい。
ってまぁ、ちょうど孝之の座ってた位置からだと見えるんだけどな。
――……すべてが。
「ちゃんと目を合わせて言っただろ? ……自分の気持ち」
「……は……?」
「何が……?」
……鈍いな、どいつもこいつも。
せっかく、俺がここまで言ってやったっつーのに。
ソファに座ったまま足を組み替え、右手をソファの縁に乗せる。
……これが、俺にとってのある意味基本姿勢。
そう。
彼女を迎えるときの、だけどな。
「よーく、聞こえたろ? ……今の話全部」
「……え……?」
ついつい漏れた、ニヤっとした笑み。
それを向けるのは……そう。
当然ながら、優人たちではなく――……。
「っ……」
寝室との間仕切りを開けたまま、その場にしゃがんで顔を赤くしている彼女だ。
「……なっ……!?」
「羽織ちゃん!?」
「……アホくさ」
「あっはっは! お前、サイコー」
ようやく彼女に気付いた彼らが、口々に感想を述べた。
……ったく。
俺がわざわざこいつらのために、あんだけのこと言うワケないだろ?
あれだけの言葉は、彼女あってこそ生きるんだから。
……誰かしら気付くと思っていただけに、ついついおかしかった。
でもまぁ、いいとするか。
かなり、イイもの見れたし。
瞳を合わせたまま呟くにつれて、どんどんと変わっていく彼女の表情。
それこそが、彼女自身の素直な気持ちが表れているようで、素直に嬉しかった。
いいんだよ、別に。
彼女以外のヤツに、『変わった』とか『馬鹿』とか言われようとも。
……たったひとり、彼女だけが……俺だけを見てくれてさえいれば。
未だにあれこれ言いながら騒がしくしている連中の言葉を聴かずに彼女を見ていると、ようやく顔を上げてから両手で頬を包んだ。
「…………」
何も言わず、表情を変えず。
だけど、それでも十分すぎるほど伝わってくる、彼女らしい、彼女のダイレクトな気持ち。
これがあるから、俺はきっと生きてこれたし――……この先も生きていけるんだと思う。
……とりあえず。
こいつらをとっとと帰すのが、先決だな。
そして。
今度こそ、しっかりと彼女の気持ちを直に聞こうじゃないか。
俺と違って、誰にも聞かせてやりたくない彼女の気持ち。
……悪いが、それだけは俺の独占から、外してやることはできないからな。
にっと浮かべた笑みを見た彼女が、驚いたように瞳を丸くして視線を逸らしたのは、そのすぐあとのことだった。
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