ことの発端は、彼女が絵里ちゃん……というか、純也さんの家へ出かけてからほどなくしたときのことだった。
 時間を持てあました挙句、スカパーで洋画を見ていたんだが……スマフォへかかってきた、1本の電話。
 それが、今日という日のすべての始まりだった。
「ねぇねぇ、どっちがいいと思う?」
「…………」
 変わらずに繰り返される、やり取り。
 ……あーもー。
 どうしてこの人は、こんなに楽しそうなんだろうか。
 あまりにも無邪気で、とてつもなく明るくて。
 たまらず、ため息が苦笑へ変わった。
「……つーか、なんで俺に聞くんすか」
「え? だって、好きでしょ? 祐恭君も」
「……いや、別に……」
 きょとんとした彼女に首を振り、軽く咳払いをして視線を外す。
 ……いったい、彼女の目に俺はどう映ってるんだろう。
 普段から、こんな店が連想されるような振る舞いはしてないはずなんだけど。
「……あ、わかった」
「え?」
 ふと店の前の通りを見ていたら、ふふっと笑ってから腕を引いて顔を覗き込んだ。

「コレが好きなんじゃなくて、コレを着けてる彼女が好きなのよね?」

「……いや、あの……」
「いーのいーの! ごめんね、気が利かなくてー。そうよね。別に、祐恭君は下着フェチとかじゃないもんね」
「…………はあ……」
 ……この人、本当は何歳なんだろ。
 俺と3つしか違わないはずなのに、まるで近所のおばちゃん――…どころか、今のはまるでばーちゃんみたいな仕草だった。
 若いのに、ときどきそんなふうに見える。
 ……それはやっぱり、彼女が祖父の奥さんというポストにいるからなのか。
「…………」
 そう考えると、やっぱりスゴイよな。
 だって、この人……戸籍上は俺の“祖母”なんだぜ?
 …………。
「ん? なぁに?」
「……いや……。なんつーか……じーちゃんが若いのは、やっぱり里美さんの力なのかなって思って……」
「うふふ。……まぁね」
 う。
 その顔は、なんか……非常につっこみにくいんだけど。
 一瞬だけ瞳を細めて、まるで『よくわかってるじゃない』なんて顔をした彼女に、軽く眩暈がした。
「で? 祐恭君は、どんな下着がいいの?」
「……いや、だから。俺は別にそんな――」
「あ。だから、羽織ちゃんからは1度離れてね?」
「……何も言ってないんすけど……」
「いーのいーの。わかってるから」
 ……何を?
 くすくす笑って、またもや手を軽く振る。
 その姿はやっぱり……ばーちゃんだよな。
 なんだかもう、疲れがピークに達したのか、頭がうまく働かなくなってきたらしい。
「で? これとこれ、どっちが好きだと思う?」
「……さぁ……。里美さんが着けてれば、なんでも喜ぶんじゃない?」
「むー。それじゃ駄目なの。……あ。祐恭君って、アレでしょ。ごはん何食べたい? って聞かれても、『なんでもいい』とか答えちゃうタイプでしょ」
「……まぁ……」
「あー、ダメダメ! それって1番困るんだから」
 どうして下着の話をしているのにメシの話になるんだ。
 ちっちと指を振って――……っていうか。
 手を振るなら、その両手に持った下着をどうにかしてくれ。
 いくら新品で売り物だとわかっていても、正視できない。
 ……だから、嫌なんだ。
 ていうか、なんで役目が俺なんだ。
 何も俺じゃなくて――……そう。
 張本人である、じーちゃん連れてくればいいのに。
 …………。
 ……どうして孫の俺が、彼好みの下着を選ばなければならないんだろうか。
 …………おかしい。
 図式がどうしたって、イコールで結べない。
「…………」
 だが、そんなことは当然最初からわかっていたことで。
 ……いや。
 こんなふうに下着専門店へ連れてこられるなんてトコまでは、予測できなかったけど。
「ねぇ、祐恭君」
「……なんすか」
「勝負下着って、アリ? ナシ?」
「は?」
 ものすごく真剣な顔で俺を見た彼女に、情けなく口が開いた。
「だってさー、浩ちゃんってば酷いのよ? せっかくかわいい下着買ったのに、『別にどれでもいい』なんて言うんだから!」
「……いや、だから。そういうことを俺に愚痴られても――……」
「あら。それじゃあ、何? 祐恭君も、羽織ちゃんがとびっきりかわいい下着姿で『先生これどうですか?』なんて訊ねてきても、『別に』って答えられるの?」
「っ……」
 眉を寄せた彼女は、ご丁寧に彼女の声を真似てまで演じてくれた。
 ……だが。
 下着…………ねぇ。
 たしかに、嬉しくないわけでもない。
 だけど、それよりも重要なのは――……当然彼女自身なワケで。
「……俺は……まぁ、その……」
「その?」
「…………嬉しいですけど」
「でしょー?」
「……まぁ」
 くるくると表情を変えて俺を覗き込む彼女に、いつしか顎へ手を当てながら答えてしまっていた。
 …………。
 …………はっ。
「いや、だから! 今はそういうことを話してるんじゃなくて……!」
「いーのいーの。よーくわかったから」
「里美さん!!」
 いつしか彼女の笑みが『にこにこ』から『にやにや』へ変化していることにもまったく気付かなかった。
 ……不覚。
 『祐恭君ってば、彼女ラブなんだから』とか言いながらやたらと楽しそうに笑われ、取り付く島もなかった。
 …………あーもー。
 彼女のことだから吹聴して回るとは思わないが、それでも……聞かれなかったことに越したことはない。
 ……ちくしょう。
 なんだかものすごく自分があらぬ失態をおかしてしまったようで、たまらずがっくりと首が折れた。
「ねぇ、祐恭君。これってどう思う?」
「……まだあるんすか?」
 この隙に店の外へ避難しようと思ったら、彼女ががっちり腕を組んで引き戻した。
 ……いったいいつになったら終わるんだ。
 女性の買物が恐ろしく長いというのは身をもって実感してはいたが、羽織ちゃん自身はそんなことなくて。
 むしろ、俺の周りにはいなかったほど手際のよさ。
 ……だから、いつの間にか俺にとっての“女性の基準”が彼女になっていて。
 昔ならばあまり感じなかったことながらも、あまりの長さにため息が漏れた。
「……っ……。これって……」
「知ってるでしょ? ガーターベルト」
「いや……それは……知ってますけど」
 ふっつーの顔で呟いた彼女に、もう1度ため息をつく。
 ……ああ、でも仕方ないんだ。
 今の彼女には、何を言ったって無駄なんだから。
 どうせ俺の意見なんて聞き入れてもらえないだろうし、何よりも、買物が終わらなければ解放だってされないんだから。
 ……ならば、今は大人しくしていたほうがいい。
 頭の中の冷静な自分が、そう告げている。
「羽織ちゃんにあげるとしたら、どれを選ぶ?」
「…………は……?」
「やだー。知らないの? 最近、流行ってるのよ? ガーター」
 どうしてこの人は、こうもぽんぽんとあっさり告げてくるんだろうか。
 つーか、いったい俺に何を期待してるんだ……?
 彼女の質問の意図がまったくわからないまま、本日何度目かすらわからないようなため息がものすごく深く漏れた。


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