「お。きたきた」
ようやく着いた旅館のロビーに彼女を連れ立って入ると、早速純也さんが苦笑を向けてきた。
「……すみません」
「いいよ、別に。こうして無事着いたんだし、それでおっけー」
部屋割りとこれからの食事のことなどを女将と話し合うため、荷物を持ったままでそちらに向かう。
別れ際に彼女を見ると、絵里ちゃんと何やら話しこんでいた。
……どうせまたいろいろ言われるんだろうな。
思わずそんなことを考えてから、彼のあとに続く。
話し合いを済ませてからロビーに全員を集め、今回参加した8名に簡単なしおりを配る。
ぱらぱらと各自がそれを見ながら、今日から2泊3日の合宿という名目の旅行を楽しむ気合十分な様子。
もちろん、我が彼女も例外ではないようで、あれこれ話しながら笑みを浮かべていた。
「じゃあ、今日はとりあえず昼飯食べてから、あいさつをかねて近所の中学校に行くから。そこで実験をひとつさせてもらうから、各自きちんとするようにー」
純也さんの声に元気に返事をすると、その内のひとりが手を挙げた。
「せんせー、自由時間は?」
「ん? ……そうだなー。夕方から夕飯にかけてかな。今なら」
「夕方ー? せめて15時からにしようよー」
「まぁいいけど」
苦笑を浮かべて彼がうなずくと、彼女らが声をあげた。
自由時間、ね。
果たして、ここでどこに行くつもりなんだろうか。
……歩いて山中湖とか?
まぁ、観光メインできてるようなものだし、実験ばかり強制はしないけど。
などと考えていると、パタパタと数人の足音が聞こえてきた。
うちの生徒じゃないはず……。
「……ん?」
ふと視線を向けると、やはり他校の生徒。
ジャージを着て、こちらに挨拶をしながら食堂へと向かっていった。
「あー、そういえば長野の高校生がきてるとか言ってたな……」
純也さんに同意すると、急に嬉しそうな声があがった。
「マジでー!? なんか、今の人超カッコよかったんだけどー」
「いいよねーっ。あ、お昼ってあそこで食べるんでしょ? 話したりできないのかなぁー」
などと、きゃーきゃーわーわー騒ぎ始めた。
あぁもう、どいつもこいつも。
「わかったわかった! ……ったく。静かに! 多分、弓道部の子たちだろう。さっき練習してたみたいだし」
「でしょうね。ここ、弓道場ついてるってことで結構有名な宿ですから」
「みたいだね」
すると、生徒たちが練習を見たいと言い出した。
……相変わらず、じっとしてない子たちだ。
「あーもー、静かに! ほら、飯だぞ、飯ー」
パンパン、と手を叩いた純也さんが立ち上がるように指示して食堂に向かわせると、すでにそこには温かな昼食が準備されていた。
「いただきまーす」
「召し上がれー」
声を合わせるように厨房内へ声をかけると、相変わらず元気そうな声が返ってきた。
もちろん、聞き覚えはばっちり。
昔と何も変わっていなくて、懐かしさから笑みが浮かぶ。
「……相変わらず、元気ですね」
「そりゃあそうよー。若い子相手にやってるんだもの、パワーもらってるからねー」
食事を作っているのは、この旅館の女将だ。
苦笑を浮かべて彼女に話しかけると、にっこり笑って返された。
「そういう瀬尋君こそ、いつの間にか先生なんかになっちゃって。びっくりしたわよー?」
「はは。自分でもそう思います」
「高校生のころ、思い出すでしょう? 瀬那先生に怒られたこととか」
「う。……痛いところ覚えてますね」
「そりゃそうよー。うちの廊下に立たされた子、あなたたちが初めてなんだから」
思い出すようにくすくすと笑われてしまい、思わずため息が出た。
「今年もねー、来週だったかしら? 冬瀬の生徒さん来るのよ」
「あ、そうなんですか」
「ええ。瀬那先生に瀬尋君の教師ぶり、言っておくからねー」
「甘めにお願いします」
笑ってから席に着き、早速昼食に箸をつける。
昔と変わらない懐かしい味で、つい笑みが漏れた。
「あー……うまい」
「だね」
思わず呟くと、純也さんも箸でおかずをつつきながら呟いた。
「しっかし、涼しいねー。ここ」
「ですね。やっぱ、空気が違って過ごしやすいですし」
「うん。祐恭君に任せて正解だよ。……で? どうして寝坊したのかな?」
「……いや、アレは普通に目覚ましが止まってて……」
「またまたー。そんな漫画みたいな話あるわけないじゃないかー」
「いや、あったんですって! ホントに!」
ぶんぶんと首を振って精一杯否定してはみるものの、一向に『うん』とうなずいてはくれそうになかった。
参ったな。全部ホントのことなんだけど。
日ごろの行いのせいなんだろうか。もしかしたら。
……だとしたら、切なすぎるけどね。
おおかたが食べ終わったところで、生徒たちが食器を片付け始めた。
そのうしろ姿に、純也さんが声をかける。
「荷物持ったら、すぐに出るよ」
「はーい」
その声にうなずくも、他校の生徒をちらちら見ながら食堂をあとにしていくワケで。
……ったく。
どいつもこいつも、しょうがないな。
…………。
さすがに、ウチの彼女は見てないだろうな。
などと考えながら姿を探すと、微笑みながら絵里ちゃんとふたりで女将と話しこんでいた。
「簡単よ? あ、じゃあ今度レシピ教えてあげるわね」
「本当ですか? わぁ、ありがとうございますー」
「よかったわね、羽織」
「うんっ!」
嬉しそうにうなずいた彼女を、女将がまじまじ見つめる。
その視線を感じたのか、彼女もまたまばたきを見せたが、何やら思いついたような顔の女将はみるみる笑顔になっていった。
「羽織ちゃん……? あなたひょっとして、瀬那先生のお嬢さんじゃない?」
「えっ。 父をご存知なんですか?」
「やっぱり!んまぁー、大きくなったわねぇー」
「わっ!?」
ぐりぐりと頭を撫でられ、少し驚いたように彼女が女将を見つめる。
どうして自分を知っているのかわからない、そんな感じだ。
「あなたが小さいころね、うちに泊まったことがあるのよ」
「えぇっ!? ……知らなかったです」
「でしょうね。まだこんな小さかったころだし」
……いやいやいや。いくらなんでも、そこまでは小さくないと思う。
彼女が両手で作った高さを苦笑しながら否定すると、羽織ちゃんも微笑んだ。
「あ、ほら。来週お父さん合宿で山梨に行くって言ったなかった?」
「それは、はい。毎年、弓道部の合宿で……」
「そうなのよねー。うふふ。こんなにかわいらしいお嬢さんになって……お父さん、心配でしょうがないでしょうねぇ」
「えぇっ!? そんなことないですよー」
ぶんぶんと首を振る彼女を微笑んで見つめながら、女将がうなずいた。
こういう点が、彼女が学生から慕われる要因だろう。
まるで母親のような……そんな雰囲気を持っている女性なのだ。
まぁ、実際に俺と同じか少し上くらいの子どもを持つ人なのだが。
「それじゃ、気をつけてね」
「はぁい」
ぺこっと頭を下げたふたりが、足を揃えてこちらに歩いてきた。
途端、彼女が俺の皿へと視線を落とす。
「……先生、トマト食べますよね?」
「ん?」
にっこりと微笑まれ、皿に残っていたプチトマトに目が行った。
……ふ。
「もちろん」
「あっ、こらこら。自分の物は自分で食べるように」
「いいじゃないですか、食べてくれても」
「だーめ」
……ち。
何食わぬ顔で純也さんの皿にそれを載せたのだが、あっさりとスプーンで返り討ちにあった。
……トマト……。
残したら女将にまた言われるよな……。
……それどころか、瀬那先生にまで膨れ上がった話が伝わるかもしれない。
「………あ」
まじまじと眉を寄せてプチトマトを見ていたら、小さく笑った彼女が手を伸ばしてきた。
もぐもぐ、ごくん。
「先生ってば。トマト食べないと大きくなれないですよ?」
「……ほっといてくれ」
「もぅ」
苦笑を浮かべて、ヘタを皿に載せながら彼女が呟いた。
いいんだよ別に。
これ以上、背が伸びなくても困らないし。
もう十分成長は遂げているから。多分。
「食べ終わったなら、ロビーに集合」
「あ、はーい」
「そういうふたりも遅れないでよねー」
ぴっ、と絵里ちゃんが指さしながら食堂を出て行くのを見て、思わず目の前の彼と顔を合わせて笑っていた。
「なんか、絵里ちゃん少し丸くなりました?」
「んー、かもしんない。プライドが残ってる猫、にまで位置づけが変わったかな」
「……? なんですか? それ」
不思議そうに彼の顔を見ると、くすくす笑いながら話してくれた。
俺がいない間の、3人のやり取りを。
「……俺が、きつね!?」
「うん。羽織ちゃんがそう言ってたよ」
「……ずいぶんな扱いだな」
「なんでも、『ときどきからかわれてる気がするから』だってさ」
……たしかに、それは間違ってないな。
でも、俺はいつでも本気で。
からかうっていうより、むしろ意地悪してるってほうがあると思うけど。
まぁいいや。
あとでしっかり聞きだしてやる。
……って、このことを俺が知ってたら、びっくりするだろうな。
容易に想像がつくからこそ、ついつい笑えた。
「なんだよー。相変わらずノロけないでほしいねー」
「そういう純也さんこそ、ニヤニヤしないでくださいよ」
食器類を返却しながら笑い、遅れを取ってしまっていた俺たちも、ロビーへ集まるべく足を速める。
そのとき、『そういえば彼はなんの動物だったんだろう』とふと浮かびはしたが、それもついでにあとで聞くことにしよう、と胸にとめておくに留まった。
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