「羽織って時々どっか行っちゃうわよね」
「ふふ。レポートの提出が間に合わないかもしれないって言ってたから、それでじゃないかな?」
お茶の入った紙コップを両手で包んだまま、羽織は何やら考え込んでいる。
昨日も夜遅くまで部屋の明かりが漏れていたから、それかもしれない。
「葉月ちゃんは、次は別の人間ですって言われたら、どうする?」
「んー……難しいね。別の人生を歩むって、全部最初からやることに変わりないもんね」
サバやアリクイだったら、私はどうするだろう。
そのときは、もう一度自分の人生を歩むことを思うんだろうか。
「あれってさー、どのランクの生き物だったら『じゃあそれで』になるのか、統計取ってみたら面白そうじゃない?」
「ふふ。絵里ちゃんは、アリクイとサバなら、どちらか選べそう?」
「やー、せめて哺乳類がいいかなー」
からから笑った彼女は、頭の後ろで両手を組んだ。
いつも、たーくんがよくやる姿勢。
違うのに、彼と似ている部分があって、見ていて実は楽しい。
「私、葉月ちゃんの人生だったら今と違った性格になってる気がするわー」
「どうして?」
「だって、いろんなことちゃんと感じて、その都度味わって今に至ってるでしょ? それって、すっごい人生経験積んでないとできないと思うんだよね」
絵里ちゃんは、私の生い立ちをほとんど知らない。
でも、いろんなときに『葉月ちゃんは、私たちが想像できないような何かを持ってる気がする』と言ってくる。
私が持つ雰囲気が何かあるのか、それとも彼女のセンサーが敏感なのか。
もしかしたら、どちらかもしれないけれど。
「性格って、どっちが先なんだろうね」
「え?」
「もし、今の私が絵里ちゃんの人生を最初から歩めるとしたら、今と全然違った結果になってると思うの」
人生はすべて大小さまざまな選択を重ねて、今になっている。
たとえば、今の目の前にある緑茶も、ホットにするかアイスにするかでも違うだろう。
振り返れば岐路になっていたなと思えるような選択であっても、そのときはそこまでわからないかもしれない。
たどってきた道は、振り返るから道になって見えるだけ。
最中は、ただの選択の繰り返しだ。
「葉月ちゃんってさ、自分の人生にちゃんと満足してるでしょ」
「ふふ。そう見える?」
「うん」
お茶のペットボトルを持ったまま、絵里ちゃんが笑う。
自分の人生に満足しているかどうか、それを決めるのも自分次第。
こうして今、彼女と同じ大学に通えていることも、当時の自分の選択の結果。
この大学に通いたいと思ったのは、お父さんのこともたーくんのことも、少なからず影響はしていただろう。
でも、それだけじゃない。
きっと、自分のルーツそのものであるアイデンティティが無意識に影響していたんだろうと思う。
私はどんなふうに生まれて、どんな形で今ここにいるのか。
年齢だけすれば十分“大人”の部類に入る今だから、受け入れたいと思えたのかもしれない。
「……あれ?」
ふ、と視線の先にブーツが見えた。
変なの。今日は4月になったばかりなのに、とても暖かくて。
それどころか、昨日までも暖かくて、このブーツはかなり前にお手入れして片付けたはずなのに。
これじゃまるで、冬そのもの。
「お前……何してンだよ」
「え……?」
ふと視線をあげると、鏡越しにたーくんが見えた。
それも、ここ最近はすっかり見ていない、なんだかとても機嫌のよくなさそうな顔が。
「あ……たーくん。どうしたの?」
「…………」
「わ!?」
ため息をついた彼に手を取られ、自分が今エレベーターにいたことに気づいた。
あれ、でも、えっと……どうして?
だってさっきまで私、羽織と絵里ちゃんと3人で学食にいたのに。
「どうした、じゃねぇよ! 何、ひとりでうろうろしてンだ!」
「ひとりって……ねぇ、待って? 私、さっきまで絵里ちゃんと羽織と一緒にいたんだよ?」
「はぁ?」
「本当なの! 気づいたらここ……え……」
彼の奥に、ちかちかと明滅を繰り返すツリーを見つけ、言葉に詰まる。
頂上にはきらびやかな金の星。
飾られているオーナメントのいくつかは、野上さんの手作りだと聞いた。
「たーくん……どうして……クリスマスツリーなの?」
「どう、って……お前、大丈夫か?」
さすがの彼も、今までとは違いどこか心配そうな反応を見せた。
ふと、以前こんなやり取りをしたような気がして、言葉に詰まる。
さっきまで、絵里ちゃんと羽織と3人で学食にいた。
果たしてそう彼に伝えたら、信じてくれるだろうか?
それとも……何を言ってるんだと、改めて叱られるだろうか。
たーくんも、今らしからぬいでたちで、それこそ……そう、なの。
まるで、久しぶりに会ったあの日のようで、彼を見たままこくりと喉が動く。
やりとりもそうなら、格好もそう。
デジャヴどころではないやり取りに、少しだけ苦しくなる。
「…………」
夢だとは思う。だって、ありえない。
あの日、あの時間をもう一度過ごせるなんて、どうして?
クリスマスホリデーのあのとき、お父さんと一緒に日本へ帰国した。
今だから、わかる。どうしてお父さんが湯河原へ向かったのかを。
こんなふうに、たーくんが私を探してくれた理由も、もちろん。
「瀬尋先生が教えてくれたんだよね?」
「おま……なんで」
「たーくん、スマフォ忘れてきちゃったんでしょう?」
いぶかしげどころか、『なんで』と言いたげなまなざし。
ああ、どうしてもう一度なんだろう。
こんなふうに“もう一度”あったらと、私はどこかで願ったんだろうか。
「心配してくれて、ありがとう」
「っ……」
夢だろう、きっと。夢に違いない。
だからあのときとは違うタイミングで、彼に伝えることがある。
きっと悩ませるだろうし、戸惑わせるだけでなく、このあとの展開がすべてがらりと変わるかもしれない。
一緒に暮らすことはもちろん、たーくんの誕生日である今日の過ごし方も、そしてあの大きなクリスマスツリーを見に出かける、夜のデートも訪れないかもしれない。
あのときと、今と、どちらかが本当か、わからなくなるかもしれない。
それでも、今の私にはあのときの記憶がちゃんとあって。
私は覚えてるの。年末年始の過ごし方も、彼と……初めてキスできた、あの夜も。
どんな選択を重ねても、結果が同じにならないこともある。
だからこそ私は、違う道を選びたい。
「あのね、たーくん」
あのとき、彼に伝えた言葉は私の考えた形にはならなかった。
従兄としての返事をもらったあとも、彼は迷うことなく私に手を伸ばしてくれた。
それは優しさでもあり、きっと幼いころからの習慣でもあるんだろう。
でも、あのとき少しだけ寂しかったの。
もしも私がなんの肩書もなく彼と出会えていたら、違った形になっていたのかなと期待して。
「たーくんに、どうしても伝えたかったことがあるの」
どこか、いつもの私とは違うと感じてくれているのかな。
まじまじと私を見つめたまま、彼はわずかに喉を動かす。
この選択の結果、何が起こるかはわからない。
それでも。
『もう一度人生繰り返す』なら、私はあのときと違う選択をしてみたいと思う。
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