「降りるぞ」
白線内に車を停め、助手席の彼女へさらりとひとこと。
すぐここには、ランタンの形をした照明が薄明るくともっていて、白い壁をオレンジに照らしている。
「……あの、壮士さ――」
「休憩つったろ」
困ったような顔で俺を見た瑞穂に、つい口角が上がる。
途端、目を丸くしたが、構わず先に降りてフロントから助手席へ回る。
「……でも、だって……」
「寄り道もいいんだろ?」
「っそれは……」
「ほら。手、よこせって」
ドアを開き、腕をもたげながら片手を差し出す。
すらりと伸びる白い足。
そこには、先ほどまでのアリスに扮していたときとは違うニーハイがあったが、格好として捉えればそう大きく違わない。
ニーハイと、短めのスカート。
深く座っていたぶん、運転席からの眺めはそれなりに良かった、と言ってもいい。
……って、さすがにそれを口に出したら、次からスカートを穿かなくなりそうだけどな。
「…………」
おずおずと触れた指先を握り、引き寄せるようにしてドアを閉める。
一見すると、まるで城のような造りの建物のここは、先ほどのテーマパーク内にあってもそれほど不思議はない。
が、誰がどう見たってここはほぼ森に囲まれているようなところで、テーマパークが突然現れるワケがなく。
入るのは、2度目ってところか。
今からは随分と前、半ば無理やりに瑞穂の気持ちを試すような形で連れていった、熱海のあのホテルと同じ類の場所。
だが、名前が違う。
いや、むしろその名前で連れてきたと言ってもいい。
今回は俺が『あ、入ろ』と思っただけ。
それはもちろん、どうしても瑞穂の反応が知りたかったから、だ。
アリス・オ・メルヴェイユ
そう名づけられたこのホテルは、普通のホテルじゃない。
最近では少しばかりシャレた言い方にもなった、“デザイナーズブティックホテル”ってヤツだ。
自動ドアをくぐり、幾つものパネルが並ぶフロントへ。
この時間ということもあって、それなりに部屋が埋まってはいたが、最上階の“スイート”と銘打たれた部屋は、まだ空きがあった。
値段が高めに設定されていることも、もしかしたら関係あるのかもしれない。
つっても、普通のシティホテルあたりに泊まることを考えれば、まったくもって破格の値段設定なんだけど。
「……どれでもいいな」
呟きながら部屋を選び、出てきたカードキーを受け取ってすぐそこのエレベーターへ。
その間、瑞穂も同じようにパネルを眺めていたが、ふとその顔を覗きこんでやると、慌てたように視線を落として『なんでもないです』と頬を染めた。
休憩目的、ではある。
だから、今は宿泊にしない。
……とりあえず、は。
「…………わ」
カードキーに印字されている部屋のドアを開けて入った途端、瑞穂が声を漏らした。
白とチョコレート色でコーディネートされている、室内。
フローリングはぴかぴかに磨き上げられていて、一種の鏡のようにもなっている。
内ドアをくぐった先には、落ち着いた色のカーテンと、クリーム色のベッドカバーがかけられているキングサイズのベッド。
たとえば、ここまで目隠しして連れてこられたとしたら、この部屋だけを見て“ラブホ”だとは夢にも思わないだろう。
それなりの金額を出して泊まる、それなりのグレードのホテルと相違ない部屋。
……今のラブホはすごいな。
ある意味、徹底されている感じがして『ほぉ』なんて声が漏れる。
「すごい……広いですね」
「だな」
ラブホのスイートなんてどんな部屋だと思ったのだが、通常のツインルームを2部屋半くらいぶち抜いて作ったような広さの部屋で、かなり開放感はある。
調度品もそこまで安っぽくはなく、ついでにいえば、ぱっと目につく場所にいわゆるラブホ特有のグッズなんかも見当たらない。
花山がこの部屋を見たら、それこそ『ラグジュアリーでかつモダンテイストな』とかなんとか言いそうだな。
ああいうカタカナ語は、正直廃れてしまえばいいと思っている俺のほうが、きっと廃れろとか思われるんだろうが、政治家連中が我が物顔で“アジェンダ”とか“コンプライアンス”とか“リレーション”とか言っていても、なんのことかピンとこない。
国民代表を賜っているならば、きっちり日本語で表現してくれればいいものを。
『で、どういうこと?』と聞き返す手間を取らせんな、っつの。
ちなみに先日、花山に『ラグジュアリーの意味知ってるか?』と聞いたら、『新しいランジェリーの仲間ですよ』と答えてくれたので、盛大なため息とともに嘲笑をお見舞いしておいた。
ああ、どうせ俺はやなヤツだよ。
自覚してるから、それはどうにもならない。
「…………」
さて。
ここまでキレイな床は、なんらかの意図があるんじゃないかと思ってしまうのは、やっぱり俺が男だからなのか。
白の革張りのソファまで歩いていった瑞穂の足元をみると、綺麗すぎる床がスカートの中を映し出しそうで、一瞬『ああ、なるほど』なんて思わず頷いてしまった。
「このホテル、アリスって言うんだぜ」
「……みたいですね」
案の定、ホテルの名前は見えていたらしい。
まぁそうだよな。
『どこに行くんですか?』とまでは聞かれなかったが、まったく眠っていなかったんだから、車の進行方向に視線くらいは行く。
嫌でも目につく電飾と建物。
あれを見て『なんだろう?』なんて首を傾げるのは、せいぜい小学生までか。
そういや、去年の宿泊学習で高速の入り口付近にあるラブホの看板をデカい声で読み上げた男子がいたっけな。
あのときは、さすがにどうしようかと思ったぜ。
「っ……」
「気に入ったか?」
どっかりとソファへ座り、きょろきょろと部屋の中を見回していた彼女の手を掴んで、にやりと笑う。
すると、薄っすら唇を開いてから、『そう、ですね』となんとも曖昧な返事をした。
上等上等。
そんだけの返事ができりゃ、十分だ。
ガラステーブルに置かれていたリモコンを取り、パチパチとチャンネルを変える。
途中、一瞬だけAVが映ったのを見て、ああ、やっぱりどこのラブホもこういう点は共通なんだな、なんて馬鹿なことを思う。
「…………」
「っ! そ、壮士さっ……」
おずおずと隣に腰を下ろした瑞穂を抱き寄せ、そのままニュースの視聴。
まだ、手は出さない。
明日も休みってこともあって、時間の心配は皆無だからな。
たまにしか、わざわざこんな場所にくることはない。
だったら、しっかりじっくり楽しむ選択がベスト。
……じわじわと、なぶるように。
明日の天気予報を見ながらもまったく内容は頭に入ってこず、人知れずまた笑みが浮かんだ。
「風呂、入ってきていいぞ」
「っ……え」
「疲れたろ? それに、こんだけ凝ってるなら風呂も充実してんじゃねーか?」
小さく漏れた欠伸を噛み殺し、ガラス張りのドアから丸見えになっている脱衣所を顎で指すと、小さく身体を反応させた。
「さっきまでのアリスと違って、ここはいわば大人版だな」
「……壮士さん」
「いーだろ? もう、大人なんだから」
小さく喉で笑い、彼女に回した腕に力を込める。
休憩。すなわちそれは、ヤれることはヤるという意味。
……に、はたして瑞穂はとっているだろうか。
いや、ぶっちゃけこの際とってなくてもいいんだけどな。
なんにしろ、俺は実行するだろうから。
「ついでに、アレも着たらいいんじゃねーか?」
大きく伸びをし、ベッドの奥にあるチェストにかけられていたハンガーに目が行った。
水色と白の、ふりふりした衣装。
「ッ……え!」
どうやら、彼女も同じモノを発見したらしい。
そう。
ある意味“デジャヴ”とも呼ぶべきそれは、先ほどまで彼女がテーマパーク内で身につけていた、アリスの服とほぼ同じ雰囲気のモノだった。
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