「えっと……、あっ」
「っと」
手を伸ばした先に鏡がなく、そのまま前のめりで倒れそうになった瑞穂を、片腕で受け止める。
手探り状態で進む、迷路。
といってもただの迷路じゃない。
鏡の国と言うだけあって、かなり精巧なミラーハウスだ。
うっかりすると方向を見失い、鏡にぶつかる。
お陰で、何度肘をぶつけたことか。
ただ、幸いにも彼女は両手を伸ばして確かめながら歩いているから、俺とは違って実害はない。
ミラーハウスなんて、最近のテーマパークからはすっかり姿を消したモンだと思っていたんだが、こんなふうにきちんと作ると、技術が進歩したからか、本気で方向感覚を失うな。
昔は、それこそ床を見ればどっちが順路か、ちゃんと見えたのに。
このアトラクションは、床の色かはたまたやっぱり技術のせいかはわからないが、本気で一歩踏み出すのを戸惑う。
「……あ! あそこ!」
「ん? おー」
カーブになっている鏡の通路を曲がったところで、彼女が左奥を指さした。
見ると、薄暗い通路の先には“GOAL”の文字とともに光が見える。
どうやら、あとはそこを抜けるだけらしい。
……やっと終わりか。
恐らく、歩いた距離は短かったのだろうが、視覚を惑わされまくりで、若干疲れた。
ああ、これが年ってヤツなのかと思ってしまうと切ないので、そこは考えないようにする。
「…………」
瑞穂とともに、ゆっくり歩き始めるまっすぐの通路。
いつも穏やかで、どんなことをしても、決して俺を見限らずそばにいてくれた彼女。
だからこそ、“もしかしたら、いつか”という不安が常に付きまとう。
「なぁ、瑞穂」
「はい?」
「……お前は、俺のどこが――」
ふっ
「っな!」
「え!?」
まっすぐに見つめて口を開いた途端、あたりが突然闇に包まれた。
これまでは、薄暗いとはいえきちんとあたりが把握できていたレベル。
だが、今はまさに“闇”。
右も左もわからなければ、今自分がどこへ向かっているのかもわからなくなる。
鏡とは違う、方向感覚の喪失。
「きゃあ!?」
「ッ! 瑞穂!?」
いきなり聞こえた悲鳴に、そちらへと手を伸ばす。
だが、そこには何も存在せず、予想以上に大きく腕が空を切った。
続いて聞こえた足音で、ぼんやりと見え始めた方向に向かって身体を向け――たところで、いきなり後ろから手を掴まれた。
「っ……」
どうやら、俺の後ろにいたらしい。
ぎゅうと握りしめられ、安堵からか笑みを浮かべつつ同じように握り返す。
とりあえず、今はここを出ることが何よりも先。
そのまま、手を引かれる形で出口まで向かい、そこでようやく目の前に広がった明るい光景を目の当たりにしながら――あんぐりと口が開いた。
もちろん、見張るように目も一緒に。
「な、んだ、これ……!!」
目の前に広がったのは、まさに別空間。
眼下には鮮やかな緑と赤が広がり、それはまるで迷路のような形をしていた。
……あれ、なんかこの景色ってどっかで見たことがある。
…………。
それこそ、あの……不思議の国のアリスとかに出てきそうな、あんな感じの迷路ちっく。
ああ、なるほど。
その迷路の奥にそびえているハートの女王のモノとおぼしき城が、もしかしたら余計にそんな感じを強めているのかもしれない。
『ミラーハウスを出たら、なんとその先にもまた迷路!? なんつってー。さぁ、ミラーハウスを抜けて、これでらぶらぶできるーってほっとしたあなたは、あーさーはーかーちゃんっ! まだまだ迷路は続くよー、どーっこまーでーもーっ! ってなわけで、この薔薇迷路の中に、あなたのだーいすきな人がいます! 無事に見つけてあのハートの女王の待つ城までたどり着けるかにゃ!? むっふっふー。さぁ、ここからが本番! ふたりの愛を確かめることができるのかぁあああ!?』
「…………」
なんだこれは。
そう思っていると、いきなり頭上で聞こえたデカいアナウンス。
そのアナウンスが終わるかどうかというところで、繋いでいた手に力がこめられた。
……痛い。
あれ、おかしいな。
瑞穂、こんなに力あったか?
つーか、まるでギリギリと音が聞こえてきそうな握力具合に、さすがに口が曲がる。
い、つ……いててて。
あれ? なんか、おかしくね?
憎しみすら感じるような握り方があまりにも彼女らしくなく、その顔を覗きこむ――と、そこには無表情の鷹兄がいた。
「…………」
ん?
なんか今、自分の予想をはるかに越えた何かがあったような。
そんな考えを巡らす前に、身体が反応。
「…………ッうを!? た、鷹兄っ!?」
「そうだね」
「え、瑞穂は!?」
「さっきのアナウンスどおりだとしたら、この迷路の中で迷子になってるかもしれないね」
「な、んだって……!?」
「驚くのはいいから、先に握り締めている手を離そうか」
隣にいるのが瑞穂じゃなくて鷹兄という時点でわかりきっていることなのに、思わず繋いだ手の先を再確認。
ああ、やっぱり。
そこには、手袋をした鷹兄の手が俺の手に繋がれている。
「っ……」
にっこり笑って聞こえた命令をすぐさま受け入れ、バッと音が聞こえるくらいの勢いで手を離す。
ああ、なんか無駄に心拍数急上昇。
とりあえず、まずは状況確認が正しいだろうが……しかし。
「あの、鷹兄、俺……!!」
「忘れよう」
「っ……」
……あー……。
ああ、それはそうだな。もちろん。間違いない。
何もなかった。オーケー、それがいい。確かだ。
相変わらずの彼の姿を目の当たりにして、思わずこくこくと頷くしかできなかった。
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