「どうしてこうなったんでしょうか……」
「うーん……どうしてでしょうね」
 いったいどれほどの時間が経ったのだろう。
 目の前に広がるのは、鮮やかな真紅の薔薇が咲きみだれる薔薇園の迷路。
 うん。
 きっと、この赤い薔薇は白い薔薇をペンキで赤く染めて作られたものに違いない。
 だって、ここは不思議の国。
 だとすると、私はこの迷路を通って逃げなければいけないことになる。
 もちろん、隣にいる白うさぎさんと一緒に。
「……ひめさん」
「はい?」
「とりあえず、出口を探しましょう」
 今日初めて出会った彼女と、まるでカウンセリングのような時間をしばらく過ごしてから、ようやく立ち上がる。
 かわいいトランプのマークをモチーフにした椅子は名残惜しいけれど、今はもっと会いたい人がいる。
 きっと、それは私だけじゃなくて、ひめさんも同じ。
 ときおり見せる寂しげな眼差しは、まるで佐倉さんを探しているかのようにあたりをきょろきょろと見渡していたから。
 ……私だってそうだ。
 隣にいてくれた壮士さんが、いない。
 いつだって私を導いてくれて、正しい方向へといざなってくれて。
 ずっと、ずっと護ってくれていた彼が、今、いない。
 ううん、正確にはきっと同じこの薔薇園のどこかにいるはずなのに、姿が見えない。
 声も、聞こえない。
 ……それが、寂しい。
 そして、とても不安でたまらなくなる。
「…………」
 でも、今私がここで不安な顔を見せたりしたら、ひめさんは悲しくなってしまうかもしれない。
 不安に思ってしまうかもしれない。
 それは、だめ。
 彼女を困らせ、余計なマイナスの感情を煽り立てることは、すべきじゃない。
 今は仕事の時間じゃないけれど、彼女は私にとって大事な人。
 自分と同じく、大切で大好きな人のために生きたいと願う女性なのだ。
「ひめさん。佐倉さんって、とっても優しい方ですよね?」
「はいっ」
 佐倉さんのことを話題にすると、予想以上に彼女の表情が明るくなった。
 よかった。
 やっぱり、彼女にとって1番の安心材料は彼なんだ。
 彼の話をしていれば、きっとそれだけで彼女は笑顔を見せてくれる。
「鷹塚さんも、とっても優しい方じゃないですか?」
「っ……そう、です」
 問い返されるとは思わなかっただけに、くりんっとした大きな瞳で見つめられ、思わず言葉に詰まった。
 そうです。
 彼はとても優しい人。
 それでいて、私をちゃんと叱ってもくれる大切な人だ。
「ふふ。私たち、さっきからずっと同じようなことしかお互いに言ってませんね」
「そうですね」
 くすくすと笑ったひめさんが、柔らかく微笑んだ。
 その笑顔を見ることができて、心からほっとする。
 最初、ふたりで手を繋いで迷路のスタート地点に立っていたときとは大違い。
 彼女の表情が格段に柔らかく、とてもよいものになっていて、素直に嬉しかった。
 ――のも、束の間。
 いきなり、大きなアナウンスが辺りに響き渡る。

『れでぃーーーすあーーーーんど、じぇんとるめーんっ! さぁさぁさぁさぁ! 紳士淑女のみなさま、別れわかれになってしまった恋人たち、ラヴァーズ!! お相手は見つけられましたか? あれれれ? ひとりでさみしく泣いている子がどこかにいるよ? まだ見つけられない彼氏は、早く彼女を見つけてあーげーてー。ってことで、彼氏にちょっぴり味方しちゃうぞ! さぁかわいいかわいいうさぎさんたち、かわいい声で鳴いてその場所を彼氏に教えてあげてっ!!』

 ハキハキと聞こえた、よく通る声。
 まさに、息ひとつで言い切ったような勢いのあるセリフに、ちょっとだけ驚く。
 ……でも、これはまさに“アナウンス”。
 次の瞬間、正面に真っ黒いものが現れ、思わず目を見開いた。
 まだ、距離はある。
 だけど、遠いにもかかわらず、とっても大きな……黒い、玉。
「……あれって、こっちにくるんでしょうか」
 ごくり、と喉が動く。
 大きな丸い玉は、見た目かなり重量感があるように思えた。
「逃げないと、駄目、よね?」
「……ですね」
 ひめさんも、その玉を確認。
 認識。
「っ……!」
 ゴロゴロと大きな音を立ててこちらに転がってきた玉を背に、彼女と走り出す。
 こんなに本気で“逃げなきゃ”と思ったのは、久しぶり。
 幸い、曲がり角はすぐそこにあったから良かったけれど、でも、玉の勢いは衰えることなく、ごろごろとものすごい音を立ててすぐ背後まで迫っていた。
 見なければいいのに、そちらをつい確認してしまう。
 怖いから、見る。
 それは、人間の当然の心理だ。
「ッ……!!」
 正面に向き直ったときにはもう、ひめさんの姿がなかった。
 きっと、どちらかに曲がったのだろう。
 私は勢いのまま右側の通路を曲がり、できるだけ身体を小さくして玉が通り過ぎるのをじっと待つ。
 途端、さっきまでとは比べ物にならない大きな音が、すぐ後ろを通り過ぎて行った。
 危なかった……!
 まさかあんな仕掛けがあったなんて。
 もし、正面からぶつかりでもしたら、いくら軽い素材であっても、いくらか怪我をしていたかもしれない。
「…………」
 思わず、ほっと胸をなでおろしたのも束の間。
 改めて通路に顔を出してあたりを見回すものの、やっぱりどこをどう見ても誰もいない。
 気配すらない。
 何も……聞こえない。
「……っ」
 ひとりぼっちになってしまった。
 それが不安で、急に寂しくなる。
 ……どうしよう。
 ゴールはこっちでいいんだろうか。
 ううん、むしろひとりでゴールしたって、何も意味はないんだ。
 だって、出口に行きたいわけじゃない。
 私はただ、彼に――大好きなあの人に、会いたいだけ。
「…………」
 今、ひめさんと一緒にきた通路。
 そこを見つめたまま、なぜかとても不安な気持ちでいっぱいになった。


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