―――19時36分
「―――尋未?」
「え…?」
誰かに腕を引っ張られて、振り向いてみたらそこにはブラックスーツに身を包んだ黒髪の男性。その頭には、先生と同じように猫耳が可愛く自己を主張していた。
切なげに眉を潜めた彼に、一瞬心臓がドキリと反応する。
「…あ」
二人で見詰め合って、互いが別人だということに数秒かかった。
「…すみません。人違いでした…」
その男性は、にっこり微笑んでゆっくりと私の腕を離した。
「…楽しんでるところ、変なことを聞いて申し訳ありませんでした」
「そ、そんな、…あの、大丈夫ですから…」
「それは良かった」
そう言って微笑んだ彼の笑顔がとても綺麗で、一瞬心が縮む。
「…あ、の…」
だから、ついつい声をかけてしまったんだ。
絵里を見ると、「優しいんだから」って目で見てきてたけど。
「…はい?」
「尋未ちゃんって、…私に似てるんですか?」
思いもよらぬ問いかけだったんだろう。
彼は一瞬驚くと、ゆっくりとにこやかに笑った。
「雰囲気、というか…。どことなく似てて…。しかも、同じウサギの耳をつけていたもので…」
「あはは、そうなんですか?」
「間違えた、なんて彼女に言ったらきっとヘソを曲げるでしょうね…。服装だって違うのに」
「そうですか?」
「…そうですよ。…あなたは、そうじゃありませんか?」
「……んー。確かに、私以外の人を間違えるのは嫌です。……でも、その後のフォローが大事なんじゃないですか?」
「…フォロー…、ですか」
「そうですよ。にっこり微笑んで好きだといえば機嫌なんて直るものです。それに、服装が違うのにそういうことも忘れるぐらいに必死になって探してたんです。
彼女さんもきっと解ってくれると思いますよ」
にこにこ笑うと、彼もにこにこ笑って応えてくれた。
続けざまに、少し言い過ぎたかもしれないと思って謝りの文句を言おうと口を開いたが、隣にいた絵里の声でその言葉も忘れてしまった。
「あーっ」
「…なにか?」
「音羽雅都さん、でしょ?」
「……ええ」
その答えに、絵里はゆっくりと体を向き直って雅都と呼ぶ人にぺこりと頭を下げた。
その姿はどこぞのご令嬢がとるものと同じもので、見ているこちらを唖然とさせる。いつも強気な口調ばかりの絵里には、見えない姿だった。
「いつも祖母がお世話になっております」
その言葉を聞いて、雅都さんもゆっくりと微笑みながら相手に失礼に当たらないように、穏やかな雰囲気で、口を開いた。
「…失礼ですけど、あなたは…?」
「楠乃希絵里です。楠乃希グループ創立者の孫です」
にっこり微笑んで自己紹介を終えると、雅都さんもまた状況を飲み込めた様子で同じようににっこりと微笑まれた。
「これは失礼いたしました。申し遅れました、私、音羽グループ統括総帥、音羽雅都です」
二人してにっこり微笑んで握手を交わす姿が、どこかのドラマに当てはまる。
本当に非現実的なことが繰り広げられていて、驚きの連続だ。
「―――――羽織ちゃん?」
そして、またしても驚き。
雅都さんと絵里がにっこり握手を交わしているところに、先生の声が聞こえた。
振り返ると、息を切らしてこちらを見ている先生、その後ろに隠れるようにして一人の少女がこちらを伺っていた。
「…雅都…?」
少女が、雅都さんの姿を発見して心細さそうな声を出すと、雅都さんも驚いて振り返る。
「尋未!」
「雅都…!」
彼女の名前を呼ぶと、彼女が嬉しそうに雅都さんの腕の中に納まった。
それを嬉しそうに抱きとめる雅都さんに、見ているこっちも微笑ましくなる。
…そして、少しだけ、私も先生の腕の中にああやって収まりたいな、って思った。
これを本人に言うと、調子に乗るから今は黙っておくけど。
「さっき言ってた彼女さんですか?」
「はい…」
「あ、じゃぁ。祐恭先生、挨拶しなくて言いの?」
「は?」
なにが起きてるのか状況が掴めていない先生に、絵里が雅都さんの紹介をする。
それを聞いて、先生も会釈をしながら雅都さんと握手を交わした。
それからは二人和やかな雰囲気が周りに纏い、私と絵里と純也先生は取り残され、もちろん雅都さんの傍にいる少女もその空間に取り残されたようになっていた。
「―――こっち、くる?」
二人が仲良く喋っているのを、嬉しそうに眺めながら手持ち無沙汰にしている尋未と呼ばれる少女を呼んでみた。
同じような気持ちを味わってるのなら、少しでも楽しい方が良い。それに、彼女に似てると言われた私が、彼女と話をしてみたかった。
「…私?」
と、自分に向かって指をさしたので、私もこっくりと頷く。
「…あの…?」
「私、瀬那羽織。それで、こっちは皆瀬絵里、それから、純也先生」
わけが解らないような顔をしてこちらを見ている尋未ちゃんに、ゆっくりと紹介すると彼女も同じようにこっくりこっくり頷いて、会釈を交わす。
まずは自己紹介して、私達を知ってもらわなきゃね。
「あ、赤坂尋未、です…」
にっこり微笑んだ彼女は砂糖菓子のように儚くて、可愛かった。
こちらまでほんわかな気分にさせてしまう彼女に、すぐに好感が持てたことは言うまでもない。
「今、いくつなんですか?」
こちらが仲良くなろうと話し掛けると、尋未ちゃんもにっこり笑ってにこやかに答えてくれた。
「高校三年です」
「…じゃぁ、私達と一緒だ。ね、羽織」
「うん。私と絵里も、高校三年なんだ。…それから、純也先生と、祐恭先生は私達の学校の先生なの」
純也先生のことは恥ずかしくないけど、いざ自分の彼氏である先生を人に紹介するのってなんか、すっごく照れる…。
「…羽織、抜けてるんじゃないのー?私の彼氏ですって、紹介が」
勝手に人の気持ちを読み取った絵里が悪戯っぽく微笑んだ。
彼女のつけている尻尾が悪魔の尻尾に見えたのは言うまでもない。
「え、絵里…!?」
「…あ、先生と…、生徒…?」
案の定尋未ちゃんも驚いたように、私の反応を眺めている。
絵里は絵里で、可愛らしく微笑んでいる尋未ちゃんに向かって矢継ぎ早に質問していた。
「ちなみに、私と純也も先生と生徒なのー。あ、ねぇねぇ雅都さんとはどこで知り合ったの?」
「…んー…。私のお父さんが、雅都のお父さんのお友達で…。その関係で知り合ったんだ」
「へぇ。てことは、尋未ちゃんは未来の総帥夫人?」
「え、えええええ!?」
絵里の爆弾発言に尋未ちゃんは顔を真っ赤にしていたけれど、否定はしなかった。
彼女を見ていると凄く大事にされてるんだなーってことが解って、こちらも反対ににっこりと微笑んでしまう。
周りから見て、私も先生に愛されてるように見えるのかなぁ?
そんなことを思いながらちらり、と彼を見てみると嬉しそうになにやら雅都さんと話を交わしていた。
大好きな彼が、こうして笑っていられるだけで幸せーな気持ちになれちゃうのって、本当に「幸せ」なんだろうな。
「…羽織ちゃんは、…本当に先生のことが好きなんだねー」
柔らかく微笑む尋未ちゃんに唐突に言われて、我に戻った私はまたしても赤面。
むしろ赤面するしかなかった。絵里に言われれば、あしらうことが少しばかり出来るが、
こうして面と向かって柔らかく「愛してるんだね」みたいなことを遠回しで言われると、聞いてるこっちが照れる。
「あの、その…、いや…」
「ん?」
「……うん…」
じゅわ。
水を垂らしたら、反応起こして水蒸気が出るかも…。
「あららー?顔真っ赤にしちゃって…」
「絵里…!」
「大丈夫よ。今の、祐恭先生には内緒にしておくから」
…その嬉しそうなにんまりした笑顔が、怖いんだってば…。
結局彼と性格が似ている彼女のことだ、この先ナニが起きるかわからない。
ほんの少しだけ用心しておこう。
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