――……とまぁ、そんな出会いを果たしたんですよ。
私と、彼とは。
今考えてみても、「なんで?」が多い気がする。
第一印象も、どっちかって言うといい方じゃない。
それなのにこうして一年も彼に勉強を教えて貰う関係が続くなんて、ちょっとびっくり。
カレンダーを見て今朝気付いたんだけど、今日で八城さんに勉強を教えて貰うようになってから丁度一年なんだよね。
彼と初めて会って、初めて勉強を教えて貰うようになったあの日とは違って、私はまさに受験生。
甘い事も言っていられず、最近は彼に教えて貰う時に無駄な事を考えないようになった。
その理由の1つには、まぁ――…
「…だから、これは違うって何度言ったら分かるんだ?」
「……だって…」
そう。
一年も経つのに一向に変わらない、彼のこの態度があった。
あのね。
八城さんが、そう言うのは分かる。
そりゃあ、分かるよ?
だけど、何もそんなに物凄く機嫌悪そうな顔で言う事無いじゃない。
コンコン、と赤ペンの先で間違った箇所を叩かれ、思わずため息が漏れた。
「こら」
「え?」
「ため息をつきたいのは、こっちなんだけど」
「…そんな事言われても…」
「言い訳はいいから、もっと集中する」
「……はぁい」
渋々という言葉が、まさにぴったり。
彼から視線を机に戻し、シャーペンのノック部を押して芯を出す。
すると、また小さくため息が聞こえた。
「だからさー…」
「え?」
「まず、返事がダメ。もっとシャキッと返事出来ないのか?」
「……すみません」
うーー。
なんか、最近特に八城さん手厳しい気がするんだけど……なんで?
私、何かした?
だって、昔の私よりはずっと勉強頑張ってるし、成績だって上がってきたんだよ?
…ひょっとして、八つ当たりとかじゃないよね。
いや、でも彼ならばありえないとは言い切れない。
「八城さん」
「何?」
「……なんでそんなに、怒ってるんですか?」
「…は?」
真剣な顔をして彼に尋ねた途端、訝しげな顔をしてまじまじと見つめられた。
…そ、そんなに見つめられると結構照れるんだけど。
「…俺、怒ってるように見える?」
「うん。っていうか、最近物凄くそう見えます」
「どの辺が?」
「この辺」
ぐりっと自分の眉間を人差し指で指してみると、一瞬瞳を丸くしてから小さく笑った。
…ありゃ。
八城さんのこんな風に笑う姿、久しぶりに見たかもしれない。
ああ、そうそう。
この前こんな風に笑ったのは、好きなミュージシャンの話した時だっけ。
たまたま、八城さんと私が好きな人が一緒だったんだよね。
あれにはちょっとだけ、びっくりしたんだけど。
「別に怒ってないって」
「でも、皺寄ってる事多いですよ?相変わらず」
「そう?…あー、ほら。今俺も何かと忙しいからさ」
「……本当に忙しいんですか?」
「おい」
「あはは。ごめんなさい」
つい出た言葉でむっとした彼に苦笑を浮かべると、小さくため息をついてから椅子にもたれた。
確かに、考えてみれば彼だって暇なわけじゃないんだよね。
だって、今は彼だって卒論っていう物で忙しいはずなんだもん。
……いいのかな…。
今頃になって、ちょっと思った。
「八城さん、いいんですか?」
「…何が?」
「だから、私のカテキョやったままで」
「……それって、何?遠まわしにお前はいらねぇって言ってる?」
「ち、ちがっ!そんなんじゃないですってば!」
瞳を細めて見つめられ、慌てて手と首を振る。
そんなつもりは、勿論無い。
むしろ、こうして勉強教えて貰っているお陰で、成績だって伸びたのは事実。
それに、結構八城さんと一緒に居るのは楽しいという気持ちもある…ので。
最初の頃は凄く恐いし、相変わらず毎回緊張してたんだけど、でも暫く経った頃からかな?
彼が時々笑ってくれるようになって、それで私も笑みが出るようになった。
「俺はいいんだよ。誰かさんと違って優秀だから」
「…誰かさんって、私の事ですか?ひょっとして」
「俺は何も言ってないけど、そう思うって事は努力が足りてないのを自覚してるって事だな?」
「……ぅ」
「じゃ、もっと頑張ってそんな風に自覚しない日まで頑張るんだな」
「…八城さんって、意地悪いですよね」
ぽつりと、本当に何気なく出た言葉。
……しまった。
慌てて口を押さえるものの、そんな事は遅すぎるわけで。
プリントを選びながら椅子にもたれた彼の動きが、止まったのが見えた。
「……誰が、何だって?」
「な…何も」
「何も?ほぅ。何もなんだ。言ってみろ」
トンっと軽く机に置かれたはずの彼の手ながらも、聞こえたのはやけに強い音。
…こ…こわっ。
怒ってる?ひょっとして!?
「ご、ごめんなさっ…」
「何だ?謝るって事は、俺に対して失礼な事を言ったって事だよな。な?」
ずいっと近づかれ、思わず鼓動が早くなる。
彼にこうして勉強を教えて貰うようになって時間が経つとは言え、やっぱり間近に彼の顔があると言う事なんて体験した事ないワケで。
急に近づかれると、物凄く困る!!
「ちがっ…あ、いや、あの…違わなくも無い――っ…!」
慌てて身体をずらし、背中を後ろを預けた途端。
そこに、あるべき物が無かった。
あると思っていた――…椅子の背もたれが。
「…っ…!!」
「っぶね…ぇな、おい!」
ぐいっと強く腕を引かれたと思ったら、次の瞬間にはすぐそこに彼が居た。
…居たっていう表現はちょっと違うかな。
どっちかっていうと……彼の腕の中に居たというか…。
「や…ややや八城さんッ!?」
「…お前なー、もう少し状況判断してから動けよ。落ちるだろ?……って、何だその顔は」
ようやくこちらの顔を見た彼と目があった。
だけど、何だって言われても困る。
っていうか、普通はいきなり男の人に抱きしめられたらびっくりするでしょ!
それに、これが普通の女の子としての反応だと思う!!
「ったく。赤くなってんじゃねぇよ」
「だ、だって!び……びっくりしたんだもん」
ばくばくと高鳴ったままの鼓動。
ようやく彼から離れる事は出来たけれど、やっぱりそんな急に落ち着く事なんて出来ないわけで。
……びっくりした。本当に。
「ほら。次の問題やってみろ」
そう言った彼を見ると、特に何かを考えているようでも、感じているようでもなかった。
やっぱり、八城さんは私とは違うんだなぁと思う。
っていうか……まぁ、そんなものかなって思うけど。
「いつまでも、ぼーっとしてんな!次だよ、次!!」
「は、はいっ」
トントンっと指で机を叩かれ、慌ててそちらに身体を向ける。
少し不機嫌そうな彼の声で、ようやく我に返った。
うん。そんなもんよね。
私は、彼にとっての教え子でしかないんだから。


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