「どうも」
私とは対照的な笑みを、彼は浮かべた。
「……………」
少し大きな音でタクシーのドアが閉まり、それと同時に遠ざかっていく。
…テールランプが、道をどんどん進んでいく。
別に、ここが光の無い場所じゃない。
それどころか、とても明るくて、安全性は高いと思われるような場所。
――…だって、ここ……。
「…あ…っ」
何も言わないままの彼に手を引かれて向かうのは、大きなガラスのドアが待ち構えている立派なビルのような建物だった。
光の溢れる、明るい場所。
…勿論、それだけじゃない。
外見からでも分かるように、ここは立派なシティホテルなんだから。
「予約していた、瀬尋です」
「瀬尋様ですね。少々お待ち下さい」
フロントに辿り着くと同時に、彼はいかにも社交的な声でそう告げた。
静かに交わされる、やり取り。
そして、それに続く無機質なキーボードの音。
……ずっと、こちらに向けられたままの…彼の背中。
その背中越しにやり取りをしている彼らは、何だかいかにも『大人』に見えた。
「…………」
いくらお化粧をしても、大人っぽい服を選んでみても、所詮自分は『高校生』でしかないんだな…って、ちょっとだけ寂しくなった。
それと同時に、ほんの少しだけ申し訳なくなる。
先生は、きっとこんな私望んでない。
…でも、それじゃあ彼は一体どんな私を望んでいるんだろう。
「確かにご予約承っております。瀬尋様、お待ちしておりました」
普段どおりの……私?
……普段って……どんなだったかな…。
にこやかに頷いたフロントの男性を見ながら、そんな事が浮かんだ。
「こちらが部屋のキーになります」
「ありがとう」
差し出されたカードキーを受け取った彼は、再び私の手を引いて先を歩き出した。
……やっぱり、さっきまでと何も変わらずに。
「…………」
タイミングを計ったかのように口を開けたエレベーターに乗り込むと、彼が『8』のボタンを押した。
静かにドアが閉まり、ゆっくりと上がり始める。
…これまで、彼は『Mystic Blue』を出てから、私を見る事も声を掛ける事も無かった。
タクシーを捉まえた時も、乗る時も。
…そして、車内でもずっと。
彼はずっと何も言わずに、私の手を握っていただけで。
……視線が交わる事は、一度たりとも無かった。
そして、それはタクシーを降りた今も変わらない。
…先生は、怒ってるんだ。
私が何かした事に対して、きっと……すごく。
でも、彼が何に対して怒っているか分からない以上、こちらとしても手の打ちようがない。
まずは、『彼がどうして怒っているのか』、それを知らなければ。
……だけど、どうしたらいい?
彼は、私の事なんて見てくれそうに無いのに。
「…………」
小さな音と共に開いたドアから、彼が先に下りた。
そして、まるで勝手知っているかのように、迷う事無く部屋へと向かう。
淡い色の絨毯が敷かれている、いかにも『大人』が泊まるような場所。
……そう。
私みたいな子供は、来てはいけない所。
…重厚に見える白い大き目のドアが、まるでそう言っているかのように見えた。

『不釣合い』
『分相応』
『身の程知らず』

何も言わずにカードキーを差し込んだ彼の背中越しに見える景色全てが、私にそう言ってるみたいで恐い。
…ううん。そうじゃない。
そうじゃなくて、むしろ――…彼の背中がそう言っているようで、すごくすごく不安だった。
彼は、そう思ってるから私を見てくれないんじゃないだろうか。
私なんかと一緒にいる事に、終止符を打とうと思ったんじゃないだろうか。
これまでにない彼の態度に、恐くて嫌な事ばかりしか浮かんでこない。
どうしたらいい?
私は、どうしたらいいの?
「っ…!」
ガチャ、という音と同時に開かれたドアを見た時、思わず身体が大きく震えた。
…嫌だ。
この部屋に入ったら、何だか全てが終わってしまいそうな気がして。
だから思わず、彼が振り返ってこちらを見たのに、顔を上げる事は愚か一歩を踏み出す事すら出来なかった。
「…………」
「…………」
彼は、何も言ってくれない。
いつもだったら、『入らないの?』とか続けてくれるのに。
……『おいで』って言ってくれるのに。
違う。
やっぱり、いつもの彼とは違うんだ。
…やっぱり、先生は私なんかの事――…
「っ…あ!」
視線を落したまま、泳がせた時。
不意に取られた腕を、そのまま強く引かれた。
嫌だ。
部屋に入るのは。
…だって、入ったら…!
入ったりしたら、先生と一緒に過ごせる時間が終わってしまうかもしれないのに…!!
「や…ッ…!」
踏み出した一歩が床へ着くまでの間は、きっと数秒にも満たなかったと思う。
だけど、その時の光景は驚く位目に焼きついて、ゆっくりとスローモーションのように1つ1つがハッキリと見えた。
――…勿論、それまでずっと見たいと願っていた、彼自身の表情も。


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