「かーなっ」
「……あ……」
次の日の昼休み。
思い切って、花菜を誘ってみた。
普段はみんなで固まってお昼食べるんだけど……どうしても、今日だけはふたりで食べたくて。
半ば無理矢理お弁当を引っつかんで、花菜の手を引いたまま空き教室へと移動していた。
「ごめんね、無理言って」
「ううん、そんなこと……」
そうは言っても、表情は暗い。
……そんな顔しないでよ。
目が合った途端無理矢理浮かべたような笑みが見えて、思わず眉が寄った。
「ご飯、食べよっか」
また。
半ば無理矢理出た、明るい声。
ね? と言いながら手近にあった椅子を引いて、机の上に花菜が包みを開いた。
『いかにも』って感じのする、かわいらしいお弁当箱。
中身も当然かわいいモノがぎっしり詰まってて、いつだって羨ましかった。
……だけど。
今日に限っては、そのお弁当も少し色褪せて見える。
事実、毎日きれいに作ってくる卵焼きも、今日は結構焦げ目が付いていた。
「……あの、ね? 昨日は――」
「私ね、彼氏と同棲してるの」
「……え……?」
「みんなには言ってないんだけどね。年は、3つ上。高校出てからずっと、大工の見習いみたいな? そんなのやってるの」
花菜が戸惑ってるのはわかった。
だけど、昨日の夜からずっと考えてたんだ。私。
どうしたら、花菜に心を開いてもらえるか、って。
……そりゃあ、聞いちゃいけないこともあるかもしれない。
すごくおせっかいだし、単なる興味本位って言われたら、何も言えない。
だけど、どうしても気になってた。
花菜のあの寂しそうな顔と、どこか……少しだけ怯えてるような顔と。
いつだって私たちの中に居るときはかわいい笑顔しか見せなかったから、余計目に付いたんだと思う。
「行儀悪くて、口も悪くて、手も早くて。……だけど、ホントにイイヤツ。馬鹿が付くくらいの、お人よし」
花菜を見るわけでも、お弁当を見るわけでもなく。
ただただ、まっすぐ窓を向いて続ける。
……いつしか、浮かんできた笑み。
今ごろヒロもご飯食べてるのかなー、なんて思ってる自分が居る。
「何かにつけてね、ヤりたがるんだけど……でも、まぁいいかな、って」
「……え……?」
「でも最近さー、後ろからヤらせろってうるさいのよねー。……あ、もちろんお尻の話じゃないよ?」
「えええっ……!?」
キッと花菜に向き直り、ちっちと指を振る。
途端、その目が丸くなるのがわかった。
……うん。それでこそ、我らが花菜。
そーゆー素の反応は、見ててほっとする。
――……でも。
「痛く……ないの……?」
片手を口に当てた花菜が、小さく……本当に小さく囁いた。
「……痛くないよ」
まっすぐ彼女を見たままで、ゆっくりと首を横に振る。
途端。
花菜の表情が、明らかに変わった。
「ねぇ、花菜。……私、馬鹿だから……どうしたらいいかわかんないの」
顔を逸らしてしまった彼女の手を握り、身を乗り出す。
逃げてほしくない。
ちゃんと、言って。
……また、昨日みたいになっちゃうんじゃないか。
少しだけ、そんな焦りもあった。
「……花菜のあんな顔、もう見たくないよ」
ぎゅっと手を握ると、その肩が震えた。
……ううん。
小刻みに震えてる。
怯えてる……?
もしかして、私も怖い…?
そんな不安が募ってく。
……だけど。
「私にできることなんて、ちょっとしかないけど……でも、ほっとけない」
「……ちーちゃん……」
「だって、花菜は友達でしょ?」
ありふれた言葉しか、出てこなかった。
でも、嘘じゃないホントのこと。
ほかに言い方が見つからなくて、結局、これを口にしていた。
捉え方によっては、ズルいって思われるかもしれない。
もしかしたら、ほっといてって怒られるかもしれない。
でも、話してくれなきゃ……何か少しでも教えてくれなきゃ、救いようがないじゃない。
無理して全部吐き出せなんて言ってない。
そうは言ってないけど、でも……!
「……私……ね……」
「え?」
「……自分じゃもう、わかんないの。好きだけど……でも、違うって……いつも思ってた」
きゅっと唇を噛み締めた花菜が、ゆっくりこちらを振り返った。
途端に、つらさがこみ上げてくる。
…………なんて顔してるの……!?
涙をいっぱいにためて、眉を寄せて……『ずっとずっと、誰かに助けてほしかった』。
まるでそう言われているような気がして、今日まで気付けなかった自分が、心底情けなかった。
「……ちーちゃん……私……どうしたらいい……?」
ぽろっと涙が零れたのを見て、思わず思い切り抱きしめていた。
お箸が床に落ちた音。
それだけが鮮明に聞こえたけれど、今はただ、胸の中で静かに嗚咽を上げ続ける花菜のことしか考えられなかった。
「――……というわけで、連れて来ちゃいました」
「……お邪魔してます……」
大して広くも無い、6畳のリビング。
ごちゃごちゃと物が溢れてるその中央で、花菜がぺこりと頭を下げた。
「……えー……と」
「うん?」
「コレはどーゆーことなのかな、千紘サン」
相変わらず、昨日とまったく同じタオル男と化しているヒロ。
……あーもー。
いったい、何枚ウチにそのタオルあるのよ。
相変わらず輝いている緑の社名が、少し憎い。
「だって、守ってやれって言ったじゃない」
「……いや、それは言ったけどさ……」
「だから、連れて来た」
「誘拐魔かおのれは」
どんな理由だよ、なんて呆れたヒロに対し、こちらは正々堂々と胸を張る。
だって私、別に何も悪いことしてないもん。
それに、花菜をひとりにしておけるわけないじゃない!!
だって、ひとりにしておいたらこの子……何されるかわかんないのよ!?
ダンダンと思い切りテーブルを叩きたくなる衝動に駆られながらも、鼻息荒くするだけに留めておく。
「……うーん」
「ん?」
まだ何か文句が?
なんてヒロを睨んだら、眉を寄せてからくるりと回れ右をした。
「……あれ? ちょっと……ヒロ? 弘武さん?」
「風呂入ってくる」
「…………あ、そう」
ぽりぽりと頭を掻いたヒロが、そう言いながらタオルを外した。
……うーむ。
久しぶりに、短時間でタオル外したトコ見たわ。
思わず、お風呂へ向かう背中を見つめながら、ぷっと吹き出していた。
「……実は……私と彼は、許婚なんです」
「許婚!?」
「えぇええーー!!?」
お風呂から上がって、さっぱりしたヒロ。
その彼と狭いテーブルに身を寄せて座っていたら、正面の花菜がゆっくりと口を開いた。
「……おかしいよね、こんな時代に……」
「いやっ、そ、そうでもないんじゃないかな……なっ!?」
「うぇ!? あ、う、うん。そう……そうじゃないの? うん」
いきなり話を振られても、私だって世の中の許婚率なんてモンを知ってるんじゃないんだから。
……っていうか、ヒロもそーとー素でビビったみたいね。
神妙な面持ちなのに情けなく口を開けているのを見て、一瞬笑いそうになる。
「小さいころ、初めて紹介されて……最初はホントに、名前も何も知らなかったんだよ? ……でも、その日から私たちは許婚にされて……ずっと、一緒だったの」
どこに行くときも。どんなときも。
そう言った花菜は、寂しそうに笑った。
「……でもね。彼のこと……好き、なんだ。私」
「え……っ……!?」
思ってもない言葉に、たまらず大きく反応してしまう。
だって、絶対好きじゃないと思ってたから。
嫌なヤツと強いられてるんだって思ってたから。
だから……花菜が少し照れくさそうに笑ったのを見て、目が丸くなった。
……まさか、彼女の気持ちはホンモノだったなんて。
――……でも。
そう思ったのは一瞬のことで、すぐに花菜は表情を暗くした。
一転して……涙をまた、いっぱいに溜めて。
「好きって思ってるのは、きっと私だけなの。……彼は……そんなふうに思ってない」
「ッ……花菜……!」
「今まではね、ずっとそれでいいんだって思ってたの。……ずっと、私たちは間違ってないんだ、って」
顔を上げた花菜の目から、ぽろぽろと涙が零れた。
……ああ。また泣かせた。
ぐっと胸が詰まって、こっちまでつらくなる。
昼休みも、そう。
……そして、今も。
つらい思いをわざわざさせているってわかってるのに、でも、とめられない矛盾もある。
もしもこの場に、花菜の彼氏がいたら。
彼氏がいて、この話を聞いていたら。
いったい、どんな顔しているんだろう。
「でも、ちーちゃんたちを見てて……わかったの。やっぱり違うんだ、って。……私たちは、間違ってるんだって」
「……え……?」
「私、ちーちゃんみたいに笑ったことないの。……いつも、笑いたいときに笑えなくて、うまく話すこともできなくて」
涙を拭おうともせず、花菜が微笑む。
……なんて痛々しい。
見てるこっちが、もうやめてとしか言えなくなる笑みだ。
「一緒にいたら楽しいよね? 沢山沢山笑うよね? ……えっちのときだって……楽しいんだよね?」
「……花菜……」
「でも私、一度も楽しいって思ったことないの。いつも怖くて、おどおどしてて……また来るんだって思ったら、嫌で嫌でたまらなかった」
まるで、泣きじゃくる子どものように、しゃくりを上げながら花菜が続ける。
……こんな姿、誰にも見せたくない。
いつだって笑顔で、どんなに嫌なことがあっても、我慢してきた彼女。
…………でも、違う。
本当は、いっぱいいっぱいつらかったのに。
本当は、全部捨ててしまいたいほど、抱え込んでいたのに。
……なのにこの子は、優しいから。
自分以外の誰かを傷つけるのが嫌で、全部背負い込んでいたんだ。
こんなに小さくて、こんなに華奢な身体に全部。
いつか割れてしまうその日だけを、ずっと見定めて。
「1番最初のときは、すごく嬉しかったの。恥ずかしかったけど、でも、すごく好きな人だったから。……だけど、今は違う。嬉しいとか、楽しいとか、思ったことないの。……もうやめたいっ、て。……もう……もうヤダって思ったこと、沢山あった」
「……花菜……」
「ドキドキしないの。怖くて……いつも私、泣いてた」
「花菜……!!」
首を振りながら涙を流し、まっすぐ私を見つめていた花菜。
その身体を思い切り引き寄せて、思いきり抱きしめる。
「……もうっ……もぉいいから……!」
「私っ……私……!」
「ごめんね、花菜……! ……ごめんね……!!」
一緒に泣きながら、だけどちゃんとその頭を撫でてやる。
なんて強くて弱い子なんだろう。
脆くて儚くて、今にも壊れてしまいそうで。
「……もう……もう、大丈夫だから……」
どうして今まで気付かなかったんだろう。
嗚咽を上げて泣きじゃくる花菜を抱きしめながら、悔しくて歯を噛み締めていた。
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