「…………」
「…………」
 お互いに口を利かないまま、なんとも気まずい雰囲気が漂っているここは――……彼の家。
 ……の、彼の部屋。
 狭いわけじゃない8畳の部屋に置かれているベッドへ座ったまま、私たちは何も話をしていなかった。
 ……気まずい。
 あー……やっぱり、間違いだったのかな。
「…………」
 ちらっと隣に座っている彼を見ると、やっぱり気まずそうに視線を宙へ向けていた。
 ……あんなこと、言うんじゃなかった。
 っていうか、石橋を叩いて渡る私はいったいどこへ行ってしまったの?
 そう思えるくらい、大胆で、有り得ない行動。
 ――……そんな、ほんの1時間とちょっと前のことが、頭に浮かんだ。

 駅に着いて、お互い別れなきゃいけない……ってなった、あのとき。
 彼が『家まで送る』と言ってくれたんだけど、どうしても足が動かなかった。
「…………いの……」
「……みかりん?」
「帰りたく……ないの……」
 代わりに口から出たのは、とんでもない言葉で。
 ……自分でも、それがどういう意味かなんてわかってる。
 わかってはいるけど――……やっぱり、明日になったら彼がいなくなってしまうというのが、どうしても怖くて。
 怖くて怖くて、だから少しでも長く一緒にいたいと思った。
 好きだから……こそ、余計に。
「ちょ……っと、待って?」
 そのときの彼は、瞳を丸くしてから、見たこともないくらいに驚いた顔をしていた。
 ……気持ちは、わかる。
 だって、言った本人が1番驚いてるんだから。
 だからこそきっと、彼はもっと焦っただろう。
 それはわかるんだけれど……今さら『やっぱり嘘』なんて冗談は、言う気にもなれなかった。
「……みかりん、さあ」
「え……?」
「それって、めちゃめちゃ俺のこと煽ってるって……自覚ある?」
「……へ……?」
 はぁーっと大きくため息をついた彼が、腰に手を当ててこちらを見た。
「煽ってる……の?」
「でしょ。それは、確実に」
 ……そう……なの?
 っていうか、『煽ってる』とか言われても、私にはさっぱりわからないんだけど。
 煽るって、何?
 え? 別に私、彼をたきつけてないよね?
 いつもよりも瞳を細めて、ほんの少しだけ頬を染めている彼を見ながら、まばたきと『?』マークだけが増えていく。
 ……えっと。
 これは、やっぱり聞いたほうがいいのかな?
 なんて思っていたら、もう一度彼がため息をついた。

「俺んち来る?」

「っ……え……!」
 まっすぐに見つめられ、喉が鳴る。
 ……彼の、家。
 ということは、やっぱりその……彼の……家なわけで。
 ……ああ。
 なんか、頭がどんどん鈍くなっていく。
 理解しようとしているのに、やっぱり、ちゃんと働かないし。
 だけど。
 でも、やっぱり……。
 どくどくと早くなる鼓動を抑えるように胸に手を当て、彼を見る。
 いつもより、真面目そうな顔。
 ――……が。
「……って言うしかないっしょ?」
「っ……」
 一変して、彼は冗談だとばかりに手を振って笑い声をあげた。
 ……嘘だ。
 その顔は、違う。
 そう。
 あの、初めて彼の家に行ったときと同じだったから。
 ……冗談なんかじゃない。
 きっと、今、彼が言ったのは――……本当のこと。
 そして、そう言ってみて私を試してるんだ。
 ……彼は、絶対に。
「…………」
 ……うん。決めた。
 っていうのは、おかしいかな。
 私の気持ちは、きっと、もっとずっと前に決まっていたはずだから。
「だからさ、あんま無闇にそういうこと――」

「行く」

「……え……?」
 けらけら笑っていた彼の言葉を遮り、ぎゅっと両手を握る。
 ……ここまで来たんだから。
 自分で言い出したんだから。
 ――……だから、今さらあと戻りはできない。
「行きたいの。……ダメ?」
 心底驚いた顔をしている彼をまっすぐに見たまま、自然に言葉が漏れた。
 そのときの彼の顔は、間違いなく私が今まで見たこともないようなモノだったと思う。


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