「そ……」
「……そ?」
「そ……そーだよ。うん。やっぱさ、送ってくよ」
「……え?」
 相変わらず沈黙を守っていた彼が、急に声をあげた。
 それで、これまで重苦しくてたまらなかった空気から一気に解放される。
 ……だけど。
 やっぱり、どこか無理矢理みたいな顔なのは……気のせいなんかじゃないと思う。
「ほら! きっと、おかーさんも心配してるって。ね? だからさ――」
「……うち、お母さん……夜遅いから」
「え」
「だから、この時間じゃ……まだまだ帰ってこない」
 ぴた、と彼が止まるのがわかった。
 そして、気まずい沈黙が……再び訪れる。
「……それよりも、中宮君は?」
「え?」
「お父さん……平気なの?」
「あー……。ウチも夜、遅い……から」
 ぴた。
 ……再び、私たちは揃って行動が止まる。
 …………き……気まずい。
 すんごい、気まずい。
 ていうか、きっとさっきまでよりもずっと気まずくなってしまったと思う。
「…………」
「…………」
 やっぱり訪れた、重い重い沈黙の時間。
 ……どこかに置いてあるらしい、時計の針の音だけが聞こえてくる。
 でも、聞こえてくるのは本当にそれだけ。
 ……静かなんだなぁ。
 なんていうか、私の中の彼のイメージは、もっとうるさくって、もっと騒がしい人だった。
 だから、まさかこんなふうに――……普通の反応をするなんて。
 正直、想像もできなかったのに。
「……え?」
「ううん。なんか……あはは。なんか、おかしくなってきちゃった」
「えぇ?」
 初めて会った、あの日。
 私は、彼のことをものすごく悪く言っていた。
 そして、抱いていた想いだってこんなんじゃなかった。
 ……それなのに。
「あはは」
「みかりーん。俺の顔見て笑うことないじゃん?」
「だってー! あははは!」
 こんなふうにふたりで笑って、簡単に触れて。
 こんなに……彼が私の身近な人になるなんて、本当に思わなかった。
「……っえ……」
 ぽたぽたっと、何かが落ちた。
「みかりん……?」
「……あれ? あはは……やだな。……変なの」
 涙。
 急に瞳がじわっと熱くなって、それから頬が濡れた。
 笑ってたのに。
 今までずっと、笑って、そして話していたのに。
 ……それなのに。
 どうして、急に涙なんて出るんだろう。
「ちょっ……どうしたの? え? なんで?」
「なんでだろ……変だよね? 急に……だけどっ……だけど……!」

 明日には、居なくなっちゃうんだもん。

 顔を覗きこんだ彼に、ぎゅうっと抱きついていた。
 さっき、観覧車でも思った
 だから、もっと彼と一緒にいたいと思った。
 ……もっと、沢山話をしたいと思った。
 ――……なのに。
「やだ……やだよ……! 行っちゃやだ……!!」
「みかりん……」
 彼と一緒に居る時間が長くなればなるほど、離れることができなくなる。
 彼に簡単に触れれば触れるほど、明日からそこにない温もりが恋しくなる。
 ……嫌だ。
 絶対に、嫌だ。
 ――……そんなふうになってしまうのは、イヤ……!
「っ……!」
「……泣くなよ」
 ぎゅうっと抱きしめられ、驚きからか涙が止まった。
 強い力。
 ……しっかりした、腕。
 ああ。
 彼はやっぱり、男の人なんだ。
「泣くなよ……頼むから」
 これまで見たことがないような切ない顔。
 これまで…………聞いたことがないみたいな、切羽詰った声。
 ……そんな顔をした彼が、また、私の頬に触れた。


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