「っ……」
 どくどくと、脈が速くなる。
 明かりはしっかりとついているのに、なぜか……私の前には影。
 それは――……。
「……いい、の?」
「…………そんなこと……聞かないでよ……」
「……そっか」
「…………そうでしょ」
 ベッドに横になった私の顔の、すぐ横。
 そこに、彼が両手を付いている格好だから。
 ……押し倒されるなんて、ドラマだけだと思ってた。
 だけど、こんなふうに今、自分の身にも……起こっているわけで。
「…………」
「…………」
 さっきと同じ、沈黙。
 だけど、さっきまでとは全然違う。
 どきどきして、苦しくて……恥ずかしくて。
 どんな言葉も出てこないし、どんな言葉も相応しくない気がする。
 ただ、ひとこと。

「……明かり、消して?」

 この、言葉以外は。

「……ん……」
 あの、観覧車のときと同じように、彼がキスをくれた。
 ただ、触れるだけのもの。
 だけど、すごくすごくどきどきして……緊張して。
 ……そして、すごく……嬉しい。
「っ……!」
 彼の指が、首に当たった。
 それだけで、心臓がまた大きく跳ねる。
 ……どう……しよう。
 まさか、こんなことになるなんて思わなかった。
 だから、より一層……頭が混乱する。
 どうしていいのか、わからない。
 そしてこれから先、自分がどうすればいいのかも……。
「……な……なか、みや君……」
「え?」
 掠れている、小さな声。
 それで、ようやく彼を呼ぶことができた。
 途端に彼の手が止まって、ほんのちょっとだけ……安心する。
 でも……きっと、この状況が改善されるなんてことはないだろうけれど。
「……あの……あのね?」
「ん?」

「……私……その…………は……はじ、めてなの……」

 ぼそ、と言葉が漏れた。
 ほんっとうに小さくて、もしかしたら聞き取れていないかもしれない。
 ……そんな、声。
 なん――……だけど……。
「え……?」
 彼は、頭を撫でてから、小さくため息をついた。
「……実は、さ」
「…………うん……?」

「俺もなんだよね」

 一瞬、時間が止まった気がしたのは気のせいじゃない。
「……え……え!? 嘘! 嘘でしょ!!? そんな! えぇええ!?」
「……みかりん、驚きすぎ」
「だ、だって! だってだって! 中宮君、沢山の子と付き合ってたじゃない! だから、私てっきり――」
「……俺、そんな遊び人じゃないんだけど…」
「ご、ごめん……っ! いや、あの、でも……そういう意味じゃ……なかったんだけど」
 いきなり言われた、とんでもないこと。
 ……あ。ううん。
 とんでもなくなんかは、ないんだけど。
 むしろ――……アレだ。
 ん? なんだ?
 いや、だから。
 えっと……。
「……はー。やっぱ、感じ悪いよなぁ。……童貞なんて」
「えぇ!? そんなことないよ!!」
 がっくりとうな垂れるかの如く彼が呟き、身体を離した。
 その途端、無性に寂しくなる。
 ……彼が離れてしまったことが、すごく……イヤだった。
「っ…みかり……ん……?」
「そんなことない……! 違う! 私……嬉しかった、から」
「……嬉しい……?」
「うん」
 うっすらとある光のお陰で、彼に抱きつくことができる。
 ……耳に届く、彼の鼓動。
 それが、なんだかどきどきしているのに、やけに落ち着いて聞こえる。
「……なんで?」
「だ、だって……私も、初めてだし……」
「……けどさ、男が初めてって聞いたら……フツー、引かない?」
「え? そうなの?」
「……そう……なんじゃないのかな」
「どうして?」
「へ!? や、ほら……その……て、テクとか?」
「……てく……?」
「いやいやいや、なんでもないって! でも、あの……まさか、笑われることはあっても、こんなふうに喜ばれるなんて思わなかった」
 なぜだかすごく焦っている彼が手を振り、ひと息ついてからまじまじと私を見た。
 ……笑う、の?
 え、どうしてだろう。
 だって、嬉しいじゃない?
 自分も初めてならば、彼も初めて。
 ……ということは、お互いに――……1番最初の人、になるんだよ?
 ほかの誰でもない、自分が。
「……嬉しいよ、やっぱり」
 そう思ったら、にんまりとした笑みが出た。
 正直言って、確かに少し怖いっていう気持ちもある。
 気持ちもあるけど……。
「……中宮君の1番最初になれるんでしょ?」
「そ、れは……そうだけど」
「だから、嬉しい……って思ったの」
 えへへ、と小さな声が出た。
 ……ヘンな状況。
 こんなふうに、いざ! ってなったにもかかわらず、普通に話をしてるなんて。
 だけど、それを聞いた彼は、瞳を丸くしてから……なぜか俯いてしまった。
 ……あれ……?
 私、何か悪いこと言ったかな……。
 突然の彼の変化に、少しだけ不安になる。
 ――……けど。
「っな……かみやくっ……!」
「……あーもー……みかりん、かわいすぎ」
「えぇ!? なんで! どこが!?」
 顔を見ずにぎゅっと抱きつかれ、少し苦しくなった。
 ……だけど、こうされるのは正直に嬉しい。
 彼がすごくそばにいてくれるし、抱きしめられるっていうのは……本当にステキな愛情表現だと思うから。
「……ヤバい。めちゃめちゃかわいい……」
「な……中宮君……?」
「すっげぇ嬉しい。……ありがと、実花」
「ッ……!!」
 字のごとく、満面の笑み。
 それを浮かべたままで、彼が真正面から見つめた。
 ……それだけじゃない。
 今……実花、って言ったよね……?
 いつもみたいに、『みかりん』じゃなくて、『実花』って。
「……やだなぁ……もぉ」
「え? あれ? 俺、何か悪いこと言った?」
「違うよ。……むしろ、逆。ズルい」
「ズルい?」
「……未継って、呼びたくなっちゃうじゃない」
「っ……」
 ほんの少しだけなぜか泣きそうになりながら、彼の頬へ手を伸ばす。
 ……温かくて、柔らかい。
 私が、これまでの自分じゃ考えられないことをしちゃうくらい、大好きになった人。
 そんな彼にもう1度笑うと、軽く唇を結んだ彼も、同じくらいの笑みをくれた。


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