「……中宮君……」
「…………あーもー。そんな声出すなってー」
 急に静かになってしまった彼に近寄ると、くすくす笑ってから――……いつもと同じ笑みを見せた。
 だけど、それは無理矢理だってわかる。
 ……笑ってるようで、笑ってない瞳。
 そんな顔を見たら、なんだか苦しくなった。
「だいじょーぶだよ? 俺、結構強いし」
「…………」
「それに、ほら。別にお袋が出てったからってさ、困ることはそんなに多くねーし」
「…………」
 大げさな身振りで、大きな声で。
 彼は、ばたばたと部屋の中を歩き回りながら、明るい声をあげた。
 ……そんな声出さなくていいのに。
 わざと、そんな風に笑顔見せなくていいのに。
 私がいるせいなのか、彼はずっとそんな調子を崩さなかった。
「……俺、ホントはさ」
「え……?」
「ホントは……ショックだったんだ」
 ――……だけど。
 彼は急に小さく笑ってから、ソファへ腰かけた。
「ふつー、考えねーだろ? 離婚するなんてさ」
「…………」
「だって、昨日まで普通に笑ってたんだぜ? それなのに……」
 いつもの雰囲気じゃない、彼。
 ……こんな姿、見たことなかった。
 俯いて、小さな声で、笑顔じゃなくて。
 こんな『弱い』彼の姿なんて――……もしかしたら誰も知らないかもしれない。
「中宮君……」
「…………なぁーんちゃってなー!! あっはっは! みかりん、心配し――…」

「……いいよ、そんなふうに言わないで」

 自分でも、ありえないと思った。
 だけど、いつの間にか身体が勝手に動いて。
 ……そして――……少し前の自分と、ダブって見えた。
「みかりん……?」
「……わかるよ、中宮君の気持ち」
「え……?」
「ウチも――……親、離婚してるから」
「っ……」
 ぎゅっと抱きついたまま、彼の肩口で呟く。
 すると、彼が小さく『そっか』とだけ呟いた。
 ……あれは、今から2年前のこと。
 いつもと同じように朝起きたら――……とっくに会社へ行ってるはずのお母さんが、椅子に座っていた。
 『どうしたの?』って聞いても、黙ってて。
 ただただ、何かを見つめていて。
 ……その視線の先にあったのは――……1枚の、紙切れだけだった。
 ドラマとかで、よく目にするそれ。
 無機質な字が並ぶ紙に、見慣れたクセのある字と……見慣れたハンコ。
 それを見つめたまま、お母さんは何も言わなかった。
 以来、お父さんが家に帰ってくることはなくて。
 そのとき私は初めて――……裏切られたような気持ちでいっぱいになった。
「……いいよ、そんなふうにしなくて」
 思わず、彼に回した腕に力が篭る。
 ……だから。
 だから、私はこうしていた。
 恐らく、彼の中に――……昔の私と同じ部分を見つけてしまったから。
「……俺さ」
「え……?」

「北海道に、転校するんだ」

「っ……」
 くぐもってない、はっきりとした声。
 耳元で聞こえたたセリフが、一瞬どういう意味かわからなかった。
「まだ、ちゃんと決まってはないんだけどさ。今度、親父が転勤になるらしくて。……だから、きっとそうなると思う」
「……嘘」
「嘘だったらいいよなー、ホント」
 そう言って身体を離した彼は、弱い……笑みを見せた。
 いつもらしさなんて微塵もなくて、今という事実に直面して戸惑っている男の子みたいな顔。
 ……そんな顔で、彼は、また私を見つめた。
「でさー。みかりんに、お願いがあるんだけど」
「え……?」
 そう言ってひとつ手を叩いた彼は、無理矢理に笑みを見せた。
 いつもみたいに、何か企んで……楽しんでるようで。
 そんな、私に心配かけまいとするような笑顔を。

「明日1日、俺とデートしてくんない?」

 これまでの、『石橋を叩いて壊れたら渡らない』という人生が、音を立てて崩れようとしていたのはわかっていた。
 ……わかってたけれど……。
「…………いいよ」
「っ……マジで?」
「うん」
 確かに、らしくないとは思う。
 これまで一度たりとも学校をサボらず、遅刻も早退もせずにきた自分が――……彼に了承の返事とともにうなずいてしまったんだから。
 ――……だけど。
 その顔を見た彼が、これまでにないくらい嬉しそうな顔を見せてくれたことが………ほんの少しだけ、素直に嬉しく思えた。


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