「……いねぇな」
 ぐるりと館内を一周してから戻って来た、カウンター前。
 もう1度雑誌コーナーを見るが、やはり姿はない。
 探し始めて、どれくらい経ったことか。
 ……どこ行ったんだ、アイツ。
 つーか、まだ学内にいるのか?
 それすらも定かではない。
 図書館へ戻ってまず野上さんに声をかけてはみたものの、これといった情報を得ることはできなかった。
 ……はー。
 となると、あとはどこだ?
「…………」
 とりあえず、もう1周。
 入れ違いになったかもしれないので再度4階から見て行くことにし、エレベーターホールでボタンを押す。
 と、ちょうど着いたらしく目の前のドアが開いた。
「あ」
「……え?」
 中に取り付けられている鏡へ向かって前髪を直していたのは、紛れもなく迷子人物。
「……お前」
「あ……たーくん。どうしたの?」
「…………」
「わ!?」
 ため息をついてから葉月の手を取り、エレベーターから引きずり下ろす。
 だが当の本人はといえば、事情なんて飲み込めている様子は皆無。
 きょとんした顔で、ワケがわからないといった具合だ。
「どうした、じゃねぇよ! 何、ひとりでうろうろしてんだ!」
「……だって……」
「だいたい、来るなら来るって前もって連絡しろっつったろ!?」
「でも今回はちゃんとしたんだよ? お父さんがしばらく家を空けることになったから、できればお邪魔させてほしいって……ちゃんと伯母さんに話したの」
「あのな。そーゆー大事な話は、お袋じゃなくて直接俺に言え! ……たく。お袋に言ったって、伝わんねーんだから」
「そうなの?」
 意外そうな顔をした葉月に、ため息を漏らす。
 だが、大して深刻にとらえていないのか、くすくす笑いながら手にしたバッグを持ち直した。
「でもよかった。ちゃんと会えて」
「……たく。俺だけじゃなくて、祐恭もお前のこと探してたぞ」
「えっ。そうなの?」
 祐恭の名前を出した途端、目を丸くして申し訳なさそうに眉を寄せた。
 ……ちょっと待て。
 俺のほうがよっぽど探してたんだから、まずはそっちに感謝すべきだろ?
 とは思うものの、口には出さない。
「ったく、心配させやがって。まぁ、見つかったからいーけど」
「たーくん……心配してくれたの?」
「は?」
「え? 何か変なこと言ったかな?」
 葉月の表情に、つい口が開いた。
 ……なんだその顔。
 なんでお前、そんなに嬉しそうなんだよ。
 ワケがわからず、眉が寄る。
「あのな。俺が心配しないわけねぇだろ?」
「……そっか。ありがとう、たーくん」
 はにかんだように笑った葉月が、今までと違ってやけに幼く見えた。
 まるで心底ほっとしているような笑顔に、つい何も言えなくなる。
「……なんだよ。やけに嬉しそうだな」
「嬉しいよ? ……だって、たーくんのこと好きなんだもん」
 にっこりと笑うのを見て、目が丸くなる。
 その顔は、小さいころそう言って俺のあとをくっついてばかりいた葉月と同じに見えた。
「…………」
「……たーくん……?」
 目を見たままため息をつくと、葉月はなぜか不安そうな顔をした。
 あのな。
「俺だってお前のこと好きだけど」
「っ……」
「じゃなきゃ、こんだけ構うかっつの」
 口元だけで笑い、ぐりぐりと頭を撫でる。
 きっとこれ以上伸びないんだろうが、俺よりずっと背の低い葉月。
 そのせいか、また幼かったころの姿とダブる。
「……あ?」
「ねぇ、それって……どういう意味?」
「は?」
 時計が目に入り、空腹度が増した。
 それもあって外へ向かおうと一歩踏み出したものの、葉月がワイシャツの袖を引いたらしく、足が止まる。
「どういう意味って……何が?」
「……好き、って……」
「なんだよ、お前ずいぶんそこにこだわるな。小さいころから、こんだけ関わってんだぞ? こないだだって、何年ぶりかに会ったのにブランク感じなかったじゃん。仲良いってことだろ?」
「…………」
「……葉月?」
「ううん、なんでもない」
「いや、待て。言葉と表情が一致してねーぞ」
 はァ? と思いながらきっちり説明してやったにもかかわらず、葉月は不服そうというよりも、まるで拗ねたかのような顔をした。
 なんだよ。
 つか、お前がそんな顔すんの初めて見た。
「あ。お前、まだメシ食ってねーだろ? ここの学食、結構評判イイんだぜ」
「え……そう、なの?」
「そ。ハヤシライスが名物」
 入り口に足を向け、振り返りながらドアを開けて階段を下りる。
「ほら」
「っ……」
「あ? なんだよ」
 つい先日と同じように、階段を先に降りながら葉月へ手を差し出したら、あのとき以上に躊躇した様子で足を止めた。
「葉月?」
「……ん。ありがとう」
 そっと置かれた指先を握り、階段を先に降り始める。
 俺は、葉月へ背を向けていて気づかなかった。
 ひどく困ったような顔で、俺の背中を見つめていたなんて。

 たーくんに手を引かれたまま、どんな顔をしていいのか自分でもよくわからなかった。
 日本は冬。
 わかっていたけれど、向こうと真逆の季節すぎて、重たい空を見たままため息が漏れる。
「あ?」
 がやがやとした人通りの多い場所を抜けようとしたとき、背後から声がかかった。
 もちろん、私にではなく目の前の彼が足を止める。
 それを機にそっと手のひらを外すと、たーくんは特に気にする様子もなく身体ごとそちらへ向き直った。
「珍しい。どうした?」
「瀬那さんー。来週末に、実行委員で忘年会やるんですけどー」
 きれいな人だった。
 いかにも大学生という感じがして、とてもかわいい印象も受ける。
 服も、髪型も。
 背は私と同じくらいだけど、雰囲気が全然違う。
 女子大生だなぁって、ひと目でわかるの。
 彼女が笑ったとき、ほのかに香水の匂いがした。
 とても甘くて、彼女らしいと感じるような物。
 躊躇なく彼の隣に並び、屈託なく笑う。
 それに対して、たーくんも同じように笑みを見せた。
 ……私が知らない彼のことを、知っている人……かな。
 なんとなくだけど、ぱっとそう思った。
 少なくともたーくんはここでお仕事をしてるんだから、学生にとっても馴染みの人だと思うし、彼のことは知っていて当然だと思う。
 だけど。
 ……だけど、そんな感じじゃなくて。
 すごく近い距離で話しているというのもあるけれど、それ以上に感じるものがあった。
「まぁ、考えとくよ」
「えー。来てくれなきゃ、つまんないー」
「そう言われても、予定見れねーし」
「スマフォあるんでしょ?」
「置いてきたんだよ。今日は」
「またー。そーやって断る口実じゃないですか?」
「違うって」
 心なしか、彼の言葉が柔らかいように思う。
 表情が笑顔だからそう思うのかな。
 普段、羽織や私へ対しているものとは違っているように思えて、いいな……なんて言葉が脳裏をよぎった。
「家帰ったら考えるから、イベントに入れといて」
「もー絶対ですよ? スルーしないでくださいね?」
 ひらひらと手を振って苦笑を浮かべた彼に、彼女は唇を尖らせた。
 なんだかまるで……恋人同士、みたい。
 そう思ってしまった自分が情けなく思えて、慌てて視線を逸らす。
 見ちゃいけないものを見たような、そんな気分。
「葉月。……おい葉月。行くぞ?」
「……え。あ……」
 ぽんぽん、と頭を叩かれたあと、たーくんは顔を覗き込んでからため息をついた。
「お前、何も食ってねーだろ。頭回ってなさすぎだ」
「違うの。……ちょっと、考えごと」
「そーゆーことにしといてやるから、とりあえずメシ食おうぜ」
「……もう」
 肩をすくめた彼がまた、肩へ触れた。
 自分とは違う、大きな手のひらの感触にどきりとすることを彼は知らない。
 ……私がこんなふうに思ってることを知ったら、たーくんは……ううん、きっと知っても変わらないんだろうな。
 つい先ほど口にした自分の想いは、今はもうかけらほども彼の中に残っていないだろう。
「……?」
 自嘲気味に笑ってから彼の後を追うと、後ろで小さな声が聞こえた。
 振り返れば、そこには意外そうな顔している先ほどの女性の姿が。
 ……なんだろう?
 少し気にはなったけれど、さすがに聞くことなんてできるはずもなく。
 先をどんどん歩いて行ってしまう彼を見失わないよう、ぺこりと頭を下げてから、小走りで追いつくしかできなかった。

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