今日の開館時間は、15時までらしい。
 さっきお昼をたーくんと一緒にとったときに聞いたから、間違いないはず。
 今日は、クリスマス。
 だけど、館内で過ごしている人は思った以上に多かった。
 現に、私のすぐ前のテーブルには6人ほど女性たちが座っている。
 何冊もの本を並べて、レポート用紙に一生懸命何かを書き込んでいるみたいだ。
 ……もちろん、雑談を交えながらだけど。
「え? 何よ、別れたの?」
「そーだよー! ……もー、すっごいショックだったんだから」
 先ほどまでは、バイトがどうのという話だった。
 店長が変わったばかりで、お店の回転がよくないとかなんとか。
 ……って、別に聞き耳を立ててるわけじゃないんだよ?
 だけど、聞こえてくるんだもん。
 こればっかりは、防ぎようがない。
「……あふ……」
 読んでいた本の文字列が、涙で滲んだ。
 んー……。
 さすがに、お昼を食べたあとの時間は眠くなってくる。
 ひょっとして、たーくんも眠たいのかな。
 なんて考えてから、小さく首を振る。
 ……まさかね。
 彼は今、仕事中なんだから。
 そう易々と居眠りなんて、するはずない。
「…………」
 窓の外から本に視線を戻し、読んだ場所から再び読み直す。
 彼が薦めてくれたこれは、『高村光太郎詩集』。
 文庫本にまとめられている詩なんだけど、どれもこれも、とても……なんて言うんだろう。
 中でも、智恵子抄のところは泣きそうになるくらいだった。
 彼が彼女を想っているのが痛いくらい伝わってきて、とても愛している姿が見えて。
 ……透明、なんだよね。
 たーくんがこれを薦めてくれると思わなかっただけに、最初はとても驚いた。
 どうして、これを教えてくれたんだろうって。
 どうして、これを読んだほうがいいって思ったのかって。
 ……でも、読み進めていくとなんとなくわかった気がするんだよね。
 たーくんがこれまで私に対してしてくれたことと、似てるような……そんな感じ。

 『あなたが私にあることは 微笑みが私にあることです』

 収録されている、『人類の泉』という詩の一節。
 私も、いつかそんなふうに言えるときが来るだろうか。
 そして、言うことを相手は……彼は許してくれるだろうか。
 そんな想いが、これを読み進めながら強くなっていった。
「…………」
 思い浮かべるのは、ひとりしかいない。
 幼いころは、いつだってそばにいてくれた……あの人。
 ……あなたが私にあることは――。
 本から視線を外してふと考えると、いろいろなことが浮かんで、より一層想いの強さを実感することになった。

「あー……ねみ」
 思わず口走ってしまってから、慌ててあたりを見回す。
 だが、幸いにも誰かが目を光らせていることはないようだ。
 このときばかりは野上さんすらいなくて、ほっとする。
 土曜ということもあって学生も少ないかと思いきや、そうでもなかった。
 ……ま、レポート提出がそろそろ迫ってきてるせいってのもあるんだろうけどな。
 昼メシを葉月と摂ってからの、午後の勤務。
 ……眠い。
 やっぱり人間、休息ってのは必要だろ。
 カウンターでぼーっと椅子に座っているのも若干問題だとは思うが、やっぱ……シエスタは必要じゃねーか。
 ウチの図書館でも、取り入れてくんねーかな……昼寝時間。
 人間、食後15分休んだほうが効率上がるって言うし。
 眠りかけた頭を軽く振ってから立ち上がり、大きく伸びをひとつ。
 ダメだ。
 このままじゃ、絶対に寝る。
 仕方なく、それほどたまっていない返却された本ではあるが、身体を動かす口実に配架へ行くことにした。
 ついでに、独りで暇だろう葉月の相手でもしてやるか。
 エレベーターを呼び寄せながら欠伸を噛み殺し、本を抱えて乗り込む……と。
「あれ。瀬那さん、ヒマなんすか?」
「……仕事してる人間に向かって失礼だぞ、お前」
「いや、でもかなりヒマそうっすけど」
「うるせーよ」
 先客がいた。
 よく、閉館時間ギリギリまでいる、中等国語専修の学生。
 いわゆる、俺の後輩。
 ……つーか、ちょっと待て。
「お前、降りないの?」
「え? いや、ちょっと忘れ物をしたんで」
「……馬鹿か」
「ほっといてくださいよ!」
 ここの図書館は、外見5階建ての建物。
 だが、1階部分には学生会館が入っているので、実質の図書館は4階までとなる。
 その上には、先日俺が整理に行った書庫があるんだが、普通に図書館を利用しているだけの人間ならまず知らない場所だ。
 このエレベーターの最下階は、建物の2階部分でもあり図書館の1階部分にあたる、ここ。
 ……ややこしいが、まぁ、そういうことだ。
「一緒に降りなくてもいーだろ」
「なんでそんな邪険にするんすかー。俺のこと嫌い?」
「好き嫌いの問題じゃねーよ」
 4階でエレベーターのドアが開くと同時に、仕方なく学生とともに下りる。
 ……ったく。
 何が悲しくて男にモテなきゃなんねぇんだよ。
 ただでさえ、どいつもこいつも用もねーのに俺を見れば寄って来やがって。
 俺はヒマじゃねぇっつの。
「…………」
 本を持ったまま中2階への階段を上がると、左のスペースに置かれているテーブルの端っこに葉月が座っていた。
 ……眠そうな顔しやがって。
 眠いときに寝れる立場のヤツは、ものすごく羨ましいと同時に今は少しばかり憎らしい。
「ンだよ。ついて来るなって」
「いや、そういうワケじゃないっすよ。俺、あそこの席だったんで」
 後ろには例の学生がまだいた。
 ……うっとーしい。
 男女問わず、つきまとわれるのは趣味じゃねーからな。
「あの!」
 学生を連れる形で葉月のそばまで足を進めると同時に、横から声がかかった。
「……あー」
 声の主を見るなり、思わず視線が逸れる。
 ……いたのか。
「瀬那さん。ちょっと話があるんですけど」
「今、仕事中」
「いいじゃないですかっ! ちょっとだけ!」
「……なんだよ」
 相変わらず、強引だな。
 ……しつこいのは嫌いなんだよ。
 だからこーなったってことに気付いてないからタチ悪いが。
「…………」
「…………」
 ため息をついて横を見ると、少しだけ驚いた顔の葉月と目が合った。
 ……はー。
「せめて場所考えたらいいんじゃね?」
「ここがいいんです」
「……職場だぞ。勘弁してくれ」
「でもっ! みんなに証人になってもらうんで!」
「証人? ……なんだそれ」
 うっかり舌打ちが出なかったあたり、俺もまだ“公”のツラできてたのかもな。
 彼女が指したテーブルを見ると、いかにも興味津々って顔をした学生が数人座っていた。
 ……どいつもこいつも、人の話好きそうだな。
 俺は、なんとしてもこの場だけは避けたい。
 事情をまったく知らない葉月が、すぐここにいる以上は。
 ったく。
「あ、ちょっ! 瀬那さん!?」
 こーなったら、強制的に場所を変えてやる。
 棚に戻す本を持ったまま違う方向へ足を向けると、さすがの彼女もあとを追いかけてきた。
 この手の話は、多分短く纏まらない。
 それがわかっているから、せめて場所を変えたかった。
 それに、何も知らないアイツにわざわざ聞かせるようなことでもないし。
「……っち」
 文庫が並んでいる1番奥の棚まで歩きながら、ため息が漏れた。

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