「出かけるの?」
「ああ」
 家に着いて、しばらく経ったころ。
 リビングに入ると、ソファに座っていた葉月がこっちを向いた。
 テレビに映っているのは、他愛ないドラマの再放送。
 ……見てわかるのか……?
 第1話ではなくラストのほうだけにそんな疑問が浮かぶが、敢えて口には出さないでおく。
「っえ……」
「お前も来るんだよ」
「私も?」
 じっと俺を見ていた葉月の腕を取ると、驚いたように瞳を丸くした。
 見た目以上に華奢なことが、これだけでよくわかる。
 ……何を食ったらこうなるんだ、え?
 オーストラリアはそれこそオージービーフがどうのって印象があるだけに、これだけ細いのは謎だ。
 つーか、コイツも例に漏れないが、しっかりメシを食ったあとでも甘い物を食べるクセに太らないのはなんでだ。
 それが、羨ましくもあり不思議でもある。
「どこへ行くの?」
「まだお袋たち帰ってこねーだろ? どーせあのふたりが帰ってくるのなんて夕飯食ってからなんだし。だから、出かける。……ほら、部屋行ってあったかい格好してこい」
「……あったかい格好……?」
「そ。寒い場所にも適応できる格好」
「ふふ。まるで北極にでも行くみたいだね」
「いーんだよ」
 階段を上がりながらくすくす笑う葉月を見送り、入れ替わりにリビングへ。
 ソファにもたれると、レザーダウンブルゾンの擦れた音が耳元で響いた。
 ……これでも寒いかもな。
 両手を頭の後ろで組んでから、テレビのチャンネルをローカル局へ。
 案の定やっていた天気予報を黙って見ていると、しばらくして葉月が降りてきた。
「……だからお前な」
「え?」
「え、じゃねぇよ。なんで、ンな短いスカートがあったかい格好なんだ? あ?」
「あったかいよ? ほら、今流行の暖かい下着で――」
「……ったく、これだから。寒い寒い言うくせに短いスカートとか意味わかんねぇ」
「寒いって言ってないでしょう? それとも、何かイヤな思い出でもあるの?」
「ねーよ。……まぁいい。ンな格好選んだのはお前だからな。寒いって言うなよ?」
 テレビを消してから指差すと、再び自分の格好を見てから笑顔でうなずいた。
 ……ったく。
 これから行く場所、まったくわかってねぇな。
 とは思うが、敢えて何も言わない。
 じゃなきゃ、楽しみが半減する。
「あ?」
 玄関へ向かったところで、着信音。
「……またか」
 表示されいてるのは、名前ではなく携帯の番号。
 こうして番号が表示されている場合、大抵が過去に付き合った相手。
 昔から、友人でもない限りは女の番号は登録しない一種のクセのようなものがある。
 だからこそ、別れてから登録することもしばしば。
 ……なんとなく、ヤなんだよな。
 浅い付き合いだというのがわかっているからこそ、ついつい登録せずじまい。
 それに、付き合ってるとしても俺から敢えて連絡とることねーし。
「もしもし」
 電話に出ると、すぐに相手が名乗った。
 だが、その声で名乗られずとも顔は出てくる。
 なぜなら、ついさっき図書館でイヤと言うほど声を聞いた相手。
「……まだ何かあるのか?」
 また何か言うであろうことは容易に想像がつくので、先にため息が漏れる。
 壁にもたれて葉月を見ると、所在なさげな顔。
 ……そりゃそうだ。
 とっとと終わらせて出かけるに限るな。
『明日、会ってもらえませんか?』
「……は……?」
 唐突な申し出に、思わず声が漏れた。
 明日って……。
 いや、休みは休みだけど、そーゆー問題じゃなくて。
「いや、俺は――」
『あ……あの、みんなで飲み会するんです。だから、瀬那さんも誰かお友達と来てもらえると嬉しいんですけど……』
 あー、なるほど。そういうことね。
「場所は?」
『駅向かいのビルです』
「……あー、行けたら行く」
 半ば強引に通話を終え、落ちないよう内ポケットへ。
 途端、葉月が声をかけてきた。
「……また飲みに行くの?」
「行けたら行くつったろ。9割5分行かねぇときの常套句だぞ」
 小さな声だったが、どこか不安げな表情でなんとなくこっちまで不安になる。
 ……ンな顔するな。
 そんなんじゃねーから。
「ほら行くぞ。飲み会にはどうせ行かねぇから、そんな――」
 ぽんぽんと背中を叩き、玄関へ足を向けた途端、不意に服が引っ張られた。
「葉月……?」
「……やだ……」
 微かに聞こえた、小さな声。
 背中に当てられた手の感触に、思わず身体が止まる。
「電話……あの人だよね? ……さっき、図書館で喋ってた……」
「ああ。でも、別に――」
「……行っちゃ、やだ……」
 前を向いたまま返事をすると、手のひらに力を込めたらしく小さな音がした。
 ……珍しいな。
 葉月が、こんなふうに俺がしようとすることに対して否定することはなかった。
 ――いや。前にもあったな。
 もう12年も前だが、あの、例の件があったころ。
 あのときは、どこへ行くにも葉月がこうしてみんなのことを引き留めた。
 その手を離したから、母親が消えてしまったと思ったからだろう。
 人のことを掴んでは、必ず『行かないで』と泣きそうになりながら言っていたのを、ふと思い出す。
「だって私、たーくんのこと…………き、なの」
「何?」
「っ……私……!」
 ぽつりと聞こえた小さな声で振り返ると、おもむろに顔を上げて、俺をまっすぐ見つめた。
 それは、いつもの葉月と違ってやけに心細い声で。
 ひどく儚げで今にも泣きそうな顔に、眉が寄る。
「葉月……? お前、どうし――」
「っ……あ……ち、がっ……違うの……!」
「何?」
「あの、ほらっ。えっと……古月だったよね? あのケーキ屋さんのケーキ、好きなの」
「は?」
「ね、帰りに買おうね? クリスマスケーキ」
「いや、それは別にいーけど……」
 何かに気付いてワザとらしく表情を明るくしたかと思いきや、いきなり葉月が態度を変えた。
 ……なんだ……?
 恐らく、葉月が言おうとしていたのはもっと別のことだろう。
 だが、すでに先ほどまでの雰囲気はなく、うまく作り変えたような明るさがあって。
 何かを隠すかのように浮かべている、笑み。
 ……コイツは、昔からそうだ。
 わざと、こうして元気なように振舞う。
 何も心配事なんてなく、何も苦しんでいない……と見せかけるように。
「おい、葉月」
「ね、早く行こう? 遅くなっちゃうよ?」
「あ? あ、おい!」
「早く行って、早くケーキ買いに行こうね」
「わかったって! だから、ちょっ……! 待て!!」
 ぐいっと手を引いて、とっとと靴を履こうとする葉月。
 ……そんなに、聞かれたくないことなのか?
 そんな不安がよぎるものの、面と向かってコレ以上聞いてみても、今は何も話さないだろう。
 それは、わかる。
 ……にしたって、なんでこんな急に。
「っ……待てって!」
「たーくん、早くっ」
 先に靴を履いた葉月が、ドアを開ける。
 さすがに陽が落ちてからしばらく経っているだけあって、これだけ着込んでいても結構な寒さが来た。
 葉月の態度を見ながらどうしたって眉が寄るが、今は触れないことにしておこう。
 おそらく、それが葉月のためでもあると思うから。

 ひとつ戻る   目次へ   次へ